21014年7月19日(JST.13:30) John Bosnitch 地対空ミサイル『ブーク』に撃墜されたマレーシア航空、B777-200ER型機の真相解明で、事故機の『ブラック・ボックス』の回収、データの解析が親露派反政府組織の犯行と断罪する上で、最大の関心事だ。露有力メディア、RTは7月19日、2番目のブラック・ボックスが救援隊の手で回収されたと外電を引用して報じた。ウクライナ政府、親露派反政府組織の何れが入手、保管しているかは依然判然としない。事故現場に接近を試みた『OSCE』(欧州安全保障協力機構)の代表メンバーが現地で親露派反政府組織の武力阻止で引き返しを余儀なくされた事実は、『ブラック・ボックス』がウクライナ政府のコントール下に無い事を示唆しているようだ。 航空事故で、自国に不利な場合、『ブラック・ボックス』を回収していても、”黙り戦法”を取るのは、旧ソ連時代からのロシア情報機関の”常套手段”。典型的な例が、1983年8月31日、起きたサハリン上空で大韓航空007便B747型機(乗客乗員、269人搭乗)が迎撃戦闘機、スホーイSu15の空対空ミサイルで撃墜されたケース。 当初、KGB(国家保安委員会)が牛耳っていた旧ソ連、アンドロポフ政権は事実の確認すらしなかった。しかし、防衛庁(当時)がキャッチした電波情報で撃墜に至る生々しい交信(パイロットと地上管制官)が、国連の議場でも暴露され、渋々、大韓機のミサイル撃墜を認めた。 話はそれで終わらない。オホーツク海モネロン島沖の機体残骸から遭難信号音が発信され、米ソ入り乱れてのブラクッボックス争奪戦が1ヶ月近く続いた。原潜も動員、空と海からの大規模捜索だったが、発見できずに終わった。 ところが、事件の顛末が旧ソ連ジャーナリスト等が回想録、ノンフィクションで『墜落の早い段階で、ブラックボックスをソ連側が回収。偽の発信音で、米側の捜索部隊を撹乱した』と舞台裏を暴露した。 『ブラックボックスの実物は、後刻エリツィン大統領が訪韓時、恭しく当時の盧泰愚大統領に引き渡した。欧米製のブラックボックス解読の機器が旧ソ連に存在せず、粗雑な作業でデータの毀損はひどかったという』(韓国通のジャーナリスト)。 今回のマレーシア航空、MH17便、B777-200型機撃墜事件でも、親露反政府組織、バックにいるロシア政府の動きは、31年前の大韓機撃墜事件で繰り広げられた”国祭謀略戦”を彷彿とさせる。 露報道機関は、発生直後、マレーシア機撃墜はウクライナ軍の地対空ミサイル、スホーイSu25攻撃機の空対空ミサイル攻撃の結果といち早く報じた。 しかし、米国が『撃墜に使用した地対空ミサイルは、(ウクライナ南東部の)親露派反政府組織が支配する地域から発射された。証拠もある』(バラック・オバマ大統領)と犯行は反政府グループと糾弾すると、1)(親露派勢力)は高度1万㍍を飛行中の航空機を撃ち落とす能力は無い。2)ウクライナ軍は問題の”ブーク”地対空ミサイルの発射機を同国南東部に21基保有。関連レーダーの作動を示す電波を捉えた。3)ドネツク自治共和国政府はウクライナ軍の”ブーク”ミサイルを押収したが、スクラップ同然で使用に耐えぬ代物。-などもっともらしい屁理屈を並べ立てた。 ウクライナ政府保安当局が、撃墜直後、現場近くの情報将校が、ロシア本国の担当将校と軍用機と間違えて民間機を撃墜したとの会話傍受記録を公表。更には”ブーク”発射台を積載した車両が露側へ急遽移動、発射基のミサイル1発が無いビデオ映像が、ウクライナ政府のHPで公開される事態になった。犯行の首謀者は判っていますよとのだめ押しだが、プーチン大統領は自国の非を一切認めず、撃墜事件はウクライナ側にあると開き直った。 逆に、原因究明は、客観的に実施する必要が国祭調査団のメンバーに加わる意向を示し、自信の手は汚れていないとの立場を強調した。それだけでなく、なぜ紛争地域上空を飛行したのか、ウクライナ航空管制当局は事件後ではなく、それ以前に当該空域を民間航空路から閉鎖すべきだったと追い討ちをかける始末。 『黒を白と言いくるめる、旧ソ連時代の、強健外交そのもの復活ではないか。プーチン大統領が、いよいよ羊のマスクを外し、狼の顔を露骨にしだした』(在ロンドン露問題専門家)。クリミア半島を併合してから、今回の撃墜事件に至る過程は、歴史が、新たな東西対決と国際情勢混迷へ動く転換点とみた方が良さそうだ。 いずれにしろ、撃墜事件の真相究明と再発防止の国際協力、責任に所在の明確化と”正義の裁き”こそが空中に散ったMH17便、B777-200型機犠牲者、298人へのせめてもの償いだ。
[(Honeywell)更なる進化を遂げる”Honeywell”のブラックボックス]