人工衛星の電波応用(第1回) -初期の衛星とその応用 -


人工衛星への電波応用(第1回)

初期の衛星とその応用 -

2021-01-27(令和3年) 豊岡秋久

 

世 界初の人工衛星は、1958年にその当時のソビエト連邦共和国によって打ち上げられたが、その名称に因んで米国にはスプートニク・ショックなる衝撃を与えた。その後、米国は開発を急ぎ約1年遅れで初号機の打上げに成功している。本シリーズでは、人工衛星(以下衛星と呼ぶ)の電波応用に関して、種別ごとに紹介をしたく考えており、今のところ以下のテーマで6回シリーズとすることとしたい。

(1) 各国の初期の衛星とその応用(電波応用を中心として)

(2) 通信衛星

(3) 放送衛星

(4) 衛星測位システム

(5) 観測衛星(電離層、大気観測、地表面観測など)

(6) 深宇宙通信

今回は第1回として各国で初期に打上げに成功した衛星とその応用について紹介をしたい。電波応用という意味では少し外れる内容も含まれるが、各国でどの様な目的をもって初期段階の衛星が打ち上げられたかについて振り返ってみたい。

(The world first artificial satellite was launched by the Soviet Union in 1958. This made a big impact called Sputnik Shock after the satellite’s name to the United States. The US succeeded to launch its first satellite one year after Sputnik. This series is aimed to introduce radio applications of artificial satellites with classifying them into several categories, and the following

(1) Early time satellites and their applications using radio mainly

(2) Communication satellites

(3) Broadcasting satellites

(4) Satellite based global positioning system

(5) Observation satellite for ionosphere, atmosphere, earth surface, etc.

(6) Deep space communication system

As the first report, earlier time artificial satellites successfully launched by each country are introduced, and the intention and objective of each country for its satellites are reviewed.)

 

1. ソビエト連邦

(1) スプートニク1号

スプートニク1号(ロシア語: Спутник-1)は、ソビエト連邦が1957年10月4日に打ち上げた世界初の人工衛星である。重量は 83.6kg。尚、Спутникはロシア語で衛星を意味する。コンスタンチン・ツィオルコフスキー(ロシア帝国イジェフスク生まれのロケット研究者、物理学者、数学者、SF作家)の生誕100年と国際地球観測年に合わせて打ち上げられた。科学技術的に大きな成果となっただけでなく、スプートニク・ショックを引き起こし、米ソの宇宙開発競争が開始されるなど、冷戦期の政治状況にも影響を与えた。

打ち上げは1957年10月4日にバイコヌール宇宙基地より行われた。使用したロケットはR-7ロケットである。衛星の軌道は遠地点約950km、近地点約230km、軌道傾斜角65°の楕円軌道であり、96.2分で周回した。

図1

図1 スプートニク1号機体 (出典:Wikipediaスプートニク1号)

衛星の外形は、直径58cmのアルミニウム製の球であり、それに長さ2.4mのアンテナ4本が一方向についているものであった。主設計はコロリョフ設計局で、重量は83.6kgである。20MHzと40MHzの、2つの送信機(出力1ワット)を搭載しており、衛星の温度情報を0.3秒ごとに発信した。初号機ではあったが、ミッションには、電離層*観測および電波の伝播実験が含まれており、その当時の電波伝播に対する科学的関心が強かった事が伺える。但し、電離層観測に関しての詳細は不明である。

電池の寿命は3週間であったが、22日後に電池が切れた後も軌道周回を続けた。しかし、近地点の高度があまり高くなかったことから軌道が下がるのが早く、打ち上げから92日後の1958年1月4日に大気圏に再突入し、消滅した。

*電離層:地球の高度約60kmから500kmの間に存在する、太陽光線等によりイオンと電子に分離した状態の層を電離層と呼ぶ。この電離層により地上から発射した数十kHzから数十MHzの電波が反射され、遠距離通信が可能となる。(電離層観測についてはこのシリーズの第5回で詳細を紹介予定である。)

余談になるが、1950年後半の時点では未だ太平洋の海底ケーブル敷設も無く、光ファイバ通信も無く、グローバル通信には電離層反射による無線通信が使われていた。よって、電離層の状況の把握は重要課題であった。

 

(2) スプートニク2号

図2

図2 スプートニク2号の機体 (出典:Wikipedia スプートニク2号)

スプートニク2号(ロシア語:Спутник-2)は、ソビエト連邦が1957年11月3日に打ち上げた人工衛星・宇宙船。犬を乗せており、世界初の宇宙船となった。この成功により有人宇宙船の可能性が開けるものとなった。

衛星の本体は円錐形で、質量はスプートニク1号より大幅に重い508kgに達した。船内には「ライカ」という名の犬が乗せられていた。ミッションとしては、生命体の搭載の他に電離層観測を実施することであった。このため、ガイガーカウンターや2台の光度計などの計測器も搭載していた。

軌道投入までは順調だったものの、軌道投入後に行われるはずだったロケット本体と衛星の分離に失敗し、スプートニク2号はロケットと結合したまま軌道を周回することを余儀なくされた。さらに衛星の断熱材も一部が損傷した。これらのトラブルにより熱制御が妨げられ、船内の温度は40℃にまで上昇した。ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない。初期のデータではライカが動揺しつつも食事を取る様子が伺われた。その後は上記の熱制御の問題で異常な高温にさらされたため、1日か2日程度しか持たなかったと考えられている。

工学データと生物学データは、各軌道の15分間データを地球に送信するTral_Dテレメトリ・システムを使用して送信された。太陽放射(紫外線とX線放射)と宇宙線を測定するために2つの分光光度計を搭載。また、ライカを観察するために、テレビカメラがキャビンに取り付けられ、カメラは10フレーム/秒で100ラインのビデオフレームを送信。

スプートニク2号からの通信は11月10日に途絶え、更に打ち上げ162日後の1958年4月14日に大気圏に再突入し消滅した。

 

2. 米国

(1) エクスプローラー1号

エクスプローラー1号(Explorer 1)は、米国初の人工衛星。東部標準時の1958年1月31日22時48分にフロリダ州ケープカナベラル空軍基地よりジュノーIロケット(ジュピターCロケット)により打ち上げられた。

図3

図3 エクスプローラ1号機体(出典:NASAのHP)

ソビエト連邦が1957年10月4日にスプートニク1号を打ち上げたことにより米国においてはスプートニク・ショックが起こった。これにより、対抗措置・宇宙開発競争の一環として米国でも早急に人工衛星を打ち上げることとなった。米国海軍のヴァンガードロケットが1957年12月6日に人工衛星打ち上げを試みたが、これは失敗に終わった。これとは別に、陸軍主導の計画としてジェット推進研究所が衛星を製造し、米国陸軍弾道ミサイル局が打ち上げのためのジュノー1ロケットを製造することとなった。これらはわずか84日間で組み立てられた。ジュノー1ロケット(ジュピターCロケット)は、レッドストーン短距離弾道ミサイルとして開発が進められてきたものであった。

エクスプローラー1号の衛星本体は、ジェット推進研究所のウイリアム・ヘイワード・ピカリング博士指揮の下に組み立てが行われ、計測機器はジェームズ・ヴァン・アレン指揮の下に組み立てが行われた。

エクスプローラー1号は、1958年1月31日にフロリダ州ケープカナベラルから打ち上げられた。この衛星は、114分ごとに地球を周回し、遠地点は2,565キロメートルで、近地点は362キロメートルとなった。

エクスプローラー1号の主要な科学機器は、地球軌道の放射線環境を測定するために設計された宇宙線検出器であった。この機器による実験で、高度により、宇宙線計測数に大きな差異があることが判明した。ヴァン・アレンは、地球の磁場によって宇宙に閉じ込められた荷電粒子の帯からの非常に強い放射線によって機器が飽和した可能性があると予測。これらの放射線帯の存在は、2か月後に打ち上げられた別の米国の衛星によって確認され、発見者に敬意を表してヴァン・アレン帯*として知られるようになった。

エクスプローラー1号のバッテリー電池は1958年5月23日までに消耗したが、その後も軌道を周回し、1970年3月31日に太平洋上へ再突入している。

*ヴァン・アレン帯:地球の磁場に捕らえられた、主として太陽を起源とする陽子(アルファ線)、電子(ベータ線)からなる放射線帯。

エクスプローラー計画では、1958年内にエクスプローラー2号機から5号機までが打ち上げられたが、3号機と4号機は打ち上げに成功し、引き続き高エネルギー粒子の観測が行われた。(2号機と5号機は軌道投入に失敗。)その後、エクスプローラー計画は継続され、2018年には95号機が打ち上げられている。計画の目的としては、電離層、高エネルギー粒子、地磁気、大気などの観測、太陽、惑星等を含む天文観測などである。

 

(2) スコア(SCORE)

図4
図4 SCOREをフェアリングに搭載したアトラスBロケット (出典: 米国空軍)

SCORE(Signal Communications by Orbiting Relay Equipment:軌道周回する機器の中継による信号通信)は、世界で最初の通信衛星である。1958年12月18日にアトラス (ロケット)でケープカナベラルより打ち上げられ、アトラスを打上げ機として用いた最初の成功例となった。

アトラスはISBM用途に開発されたロケットであり、それまでのペイロード(積載重量)の小さいロケットから、長距離でペイロードの大きいロケットの成功は、当時のソビエト連邦とのICBMの開発競争で追いつくこととなった。

この衛星ミッションの技術な目的としては、アトラスが衛星軌道に達することができることを実証する事と、1つの地上基地局から1つ又は複数の地上基地局まで、大気上層を経由して情報の伝送を行うことであった。

軌道上の衛星のテープレコーダーからアイゼンハワー大統領のクリスマスメッセージを短波で送信し、世界中の注目を集めた。アイゼンアワーのメッセージは以下の通りであった。

“This is the President of the United States speaking. Through the marvels of scientific advance, my voice is coming to you from a satellite traveling in outer space. My message is a simple one: Through this unique means I convey to you and all mankind, America’s wish for peace on Earth and goodwill toward men everywhere.”

(こちらは、米国の大統領です。驚異的な科学の進歩により、私の声は宇宙を飛行する衛星からあなたに届けられています。私のメッセージは単純なものです。「このユニークな手段を通して、私はあなたとすべての人類に米国の願いは、地球上の平和とあらゆる地域の人々に対する善意であることを御伝えします。」)

衛星の通信機能に関する内容は次回のテーマであり、スコープに関する通信技術および機能等の詳細は次回に紹介することとしたい。

 

3. イギリス アリエル1号(Ariel 1)

図5

図5 米国のソーデルタ(Thor-Delta)によって打ち上げられたアリエル1号 (出典:GlobalSecurity.org)

アリエル1号(Ariel 1)はイギリス初の人工衛星。アリエル計画の第1号で、この衛星によってイギリスはソ連、米国に続き世界で3番目に衛星を運用した国となった。アリエル(Ariel)は、ウィリアムシェイクスピアの演劇「テンペスト」に登場した「大気の精」にちなんでハロルドマクミラン首相によって名付けられたもの。

この衛星は1959年、1960年における政治的討議の結果として同意された協定により、米国国内でNASAによって作製された。

1959年末、COSPARでの会合にて、他国の科学衛星の開発と打ち上げを援助するという米国の申し出を受け入れ、イギリスのSERC(Science and Engineering Research Council:科学光学研究評議会)はNASAにアリエル1号の開発を提案した。

衛星は、主としてNASAゴダードスペースフライトセンターとSERCによって製造され、衛星の運用と得られた実験データの解析はSERCが担当。衛星には、6つの科学装置が搭載され、宇宙線に関する装置以外はすべて太陽光と地球の電離層内変化の関係を研究するものであった。1962年4月26日に米国のケープカナベラル空軍基地からソーデルタ(Thor-Delta)によって打ち上げられ、低軌道に投入された。一部の装置の不具合を除けば、1962年7月9日まで正常に作動した。

アリエル計画は、1960年代初頭から1980年代にかけて実施されたイギリスの衛星研究プログラムであり、その一環として、前述の衛星アリエル1号から始まり、1979年6月2日のアリエル6号の打ち上げまで、6つの衛星が打ち上げられた。最初の4つは主として電離層の研究に特化したものであり、残りの2つはX線天文学と宇宙線研究に特化したものであった。最初の2つの衛星は、米国航空宇宙局によって製造され、その後の衛星はイギリスで製造された。 全ての打ち上げは米国のロケットが使用された。前述の様にアリエル1号は、ソーデルタ(Thor-Delta)であり、その後はスカウト(Scouts)であった。

 

4. カナダ アルエット1号(Alouette I)

アルエット1号(Alouette 1)は1962年9月29日に打ち上げられたカナダ初の人工衛星。米ソ以外の国が設計・製造した初の人工衛星としても知られる。打上げは米国の手によって行われた。

図6

図6 アルエット1号の外観 (出典:Canadian Space Agency)      

アルエット1号の開発は、1958年に新しく設立された米国航空宇宙局(NASA)からの新しい衛星開発プログラムにおける国際協力への要請によって始まった。 数か月後に、カナダのDRTE(Defense Research Telecommunications Establishment:防衛研究電気通信施設)

の科学者であるジョンチャップマンとエルディンウォーレンは、電離層を上から観測できる衛星の提案をNASAに提出した。

提案が受け入れられ、チャップマンの下でDRTE科学者のチームが結成され、アルエットの設計が開始された。しかし、衛星の開発経験がないため、DRTEチームの進捗は遅く、工学的な問題で悩まされた。幸いなことに、この時期にトランジスタや太陽電池などの最新技術が利用可能になり、小型で信頼性の高い衛星の開発・製造が可能となり、3年半をかけて衛星の開発は終了し、1962年9月29日に米国の太平洋ミサイル発射場から打ち上げられ、予定通りの約1000kmの軌道に乗せられ、直ちに上空からの電離層の観測が開始された。

当初の設計寿命は1年だったが、10年間ミッションが続けられ、その過程で100万以上の電離層の画像が生成された。

アルエット1号の成功を受けて、カナダと米国は、電離層研究用の国際衛星(International Satellites for Ionospheric Studies; ISIS)と呼ばれる新しいプログラムの下でさらに衛星を打ち上げる契約に署名。このプログラムの下で、アルエット1号のバックアップモデル(打上げ用機が不具合の時の代替機)は、1965年にアルエット2号機として改装され、打ち上げられた。さらに、ISISIとISISIIという名の2つの新しい衛星がそれぞれ1969年と1970年に打ち上げられた。

 

5. イタリア サンマルコ1号 (San Marco 1)

サン・マルコ1号(San Marco 1、San Marco A)はイタリア初の人工衛星。国立研究協議会のためイタリア宇宙研究委員会(Commissione per le Ricerche Spaziali, CRS)が作成し、イタリアと米国のサン・マルコ計画における5機のうちの1番機であった。

図7

図7 サン・マルコ 1の外観 (出典:NASA)

1961年、イタリア政府はCRSによって提案されていた国産人工衛星研究計画のための開発計画を承認した。その当時は米国とソ連以外に衛星を打ち上げる能力が無く、イタリアにはロケットも打ち上げに必要な人材も無かった。よって、米国のNASAと共同プロジェクトとなり、NASAはロケットの提供とイタリアの運用チームの育成を行った。 衛星はCRSのメンバーによって製作され、エドアルド・アマルディ等の著名な科学者、工学者もそのグループに入っていた。 サン・マルコ1号を含むサン・マルコ・シリーズの主な目的は電離層研究を行うためであった。

サン・マルコ1号は、直径66cmの軽量アルミニウム球形外殻に囲まれた円筒形の内部構造で構成され、4本のアンテナが衛星の機体から突き出る構成となっていて、総質量は115.2kgであった。衛星はスピン安定化技術が採用され、電力供給としては、200時間供給可能な12ワットの水銀電池が使用された。通信は、テレメトリ用のパルス振幅変調/周波数変調/位相変調(PAM/FM/PM)システムにより136.53MHzで0.25ワットの送信機によって行われた。大気抗力*の実験データ用に4つの連続送信チャネル、衛星状態監視データと電離層実験用に1つの共用のチャネルが割当てられた。また136.74MHzの搬送周波数を持つ50ミリワットのビーコン送信機が追跡に使用された。地上コマンドは、140〜150MHz帯域の無線周波数により衛星に送信。電離層実験では、670ミリワット、20.005MHzの送信機と拡張可能な400cmのダイポールアンテナを使用した。

*抗力:流体(液体や気体)中を移動する、あるいは流れ中におかれた物体にはたらく力の、流れの速度に平行な方向で同じ向きの成分。

1964年12月15日20時24分(UTC)、イタリア人のメンバーによって米国のバージニア州ワロップス飛行施設から米国NASAのスカウトロケットを使用して、サン・マルコ1号は打ち上げられた。その後、1965年9月14日に機体は大気圏再突入し、このミッションは終了した。

 

6. フランス:アステリックス(ASTERIX)

図8

図8 アステリックスのレプリカ(出展: Wikipedia アステリック)

 アステリックス(フランス語: Astérix)はフランス初の人工衛星。1965年11月26日、アルジェリアのアマギールからディアマンAロケットによって打ち上げられた。フランスはアステリックス打上げにより、人工衛星を保有する6番目の国となり、独自のロケットで衛星を打ち上げる3番目の国となった。

ディアマンロケット (フランス語: Diamant) は、ドゴール大統領の要請によって設立されたフランスのミサイル開発管理機関 (Société d’étude et de réalisation d’engins balistiques; SEREB) とフランス国立宇宙研究センター (Centre national d’études spatiales; CNES) が開発した人工衛星打ち上げ用ロケットである。

衛星としては、電離層を研究するために設計されたが、主な目的は、ディアマントによる打上げをテストすることであった。軌道高度が比較的高いため、数世紀は軌道上に存在すると予想される。

CNESとフランス国立宇宙研究センター(Centre national d’études des télécommunications ; CNET)は、1963年には、Astérixと同時に他の衛星FR-1を開発中であった。FR-1は、6つのFRシリーズ衛星を打ち上げるというフランスの野心的な計画の最初のステップであり、地球の大気の様々な研究することを目的としていた。FR-1は一般に電離層と磁気圏*における電界および磁界を研究するために設計された。最終的にフランスの最初の衛星であるAstérixは、当初、FR-2という名前で2番目のFR衛星として位置づけられた。FR-1と同様に、FR- 2は電離層を研究することを狙ったものであった。FR-3はFR-2の機能拡張バージョンであり、FR-4は上層大気の水素分布を測定する機器を搭載し、FR-5は “地磁気の急変現象”を研究し、かつ将来の研究のための基盤とするため、FR-6は、それまでの実験結果に基づいて決定される最終的なペイロードを備えた太陽光による姿勢安定化衛星とする予定であった。

*磁気圏:惑星、衛星などの天体の周辺にあり、電離気体(プラズマ)の運動が主としてその天体の固有磁場に支配されている領域

アステリックスの本体は、直径約55センチメートル、高さ55センチメートルで、外装はグラスファイバー製である。垂直・水平方向の動きと角速度を測定する加速度計、無線ビーコン、レーダー・トランスポンダ、温度計、およびテレメトリ送信機を搭載している。衛星を搭載したフェアリングは打ち上げの10分後にロケットから放出されたが、その時に衛星のテレメトリ装置が損傷し、この損傷のために、Astérixは信号を送信できない結果となった。よって、当初目論んでいた電離層の観測はできなかった模様である。

この衛星は当初、フランス陸軍の最初の衛星としてA-1と命名されていましたが、後にフランスの人気漫画のキャラクターであるアステリックスにちなんでジャーナリスト等によって名前が変更されるに至った。

 

フランスの人工衛星打ち上げの後、オーストラリア(WRESAT)およびドイツ(AZUR)が打ち上げられたが、両者とも米国の打上げ協力を得たものであった。本稿で詳細説明は紙面の都合もあり割愛する。

 

7. 日本

(1) おおすみ

図9

図9 おおすみの外観(出典:JAXA)

「おおすみ」は、1970年2月11日13時25分に発射された。ミューロケットによる人工衛星打上げ技術の習得と、衛星についての工学的試験を目的として打上げられた日本初の人工衛星である。この打上げ成功で、世界で4番目の自力での人工衛星打上げ国となった。「おおすみ」の名は打ち上げた大隅半島の地に因んで当時の東京大学の玉木教授が命名したものである。

発射後約2時間半を経過した15時56分10秒から16時06分54秒までの間、内之浦で信号電波を受信することができ、地球を1周してきたことが確認された。その後電波の受信レベルがだんだんと低下し、翌2月12日第6周の受信はきわめて微弱な信号を捉えたのみで、第7周目では受信できなくなった。この結果、「おおすみ」の信号は発射後14~15時間で途絶したものと思われる。原因は予想以上の高温になったため、電源容量が急激に低下したものと考えられている。衛星はその後も地球を周回し続けたが、2003年8月2日05時45分(日本標準時)、大気圏に突入し、消滅。

「おおすみ」は,チタニウム合金で出来た第4段モータの上にアルミニウムのカバーを持つ計器部が取り付けられており,外側には2本のフック型アンテナ,4本のベリリウムカッパーのホイップ型アンテナ(円偏波)が取り付けられていた。重量は計器部8.9kg,第4段モータの燃焼後重量14.9kgを合わせて23.8kgであった。搭載機器は,縦方向精密加速度計,縦方向加速度計,ストレーンゲージ型温度計,テレメータ送信機,ビーコン送信機,パイロット送信機などで,その他に送信機等へ電源を供給する容量5AHの酸化銀ー亜鉛電池が搭載されていた。

衛星の軌道推定は地上に設置した18mφパラボラアンテナが296.70MHzのパイロット信号を自動追尾した時の角度データとトラッキングアンテナで捕らえた136MHzビーコン信号から得られるドップラーデータを用いて行われた。

 

(2) たんせい

図10

図10 ノーズフェアリングに格納される「たんせい/MS-T1」と第3段モータ(出典:JAXA HP)

「たんせい」は、M-4Sロケットの性能確認、軌道投入後の宇宙環境の研究および衛星の性能試験を目的として、1971年2月16日に鹿児島宇宙空間観測所からM-4S-2によって打上げられた試験衛星である。打上げ後第1周の受信が14時50分40秒から15時9分12秒の間に行われ、軌道に乗ったことが確認された。その後、内之浦での観測は2月23日15時(第96周)まで行われた。この間、太陽電池の性能を計測する機器以外の搭載各機器はいずれも正常に作動、37回行ったデータレコーダの再生データから、衛星各部の温度、電源電圧・電流、衛星の姿勢やスピンの状態など、豊富なデータを入手。テレメータ、コマンド系の試験も良好であった。解析の結果、衛星内部の温度、環境がほぼ予測通りの良好な状態に保たれ、姿勢も安定していたことが確認された。また、電池の寿命もほとんど当初の予定どおりであった。太陽光を反射させ地上からの光学観測を行うための反射鏡も目的を果たした。

M-4Sロケット1号機が衛星MS-F1の軌道投入に失敗した後をうけて、急遽計画されたのが試験衛星MS-T1であった。すでに3種類の科学観測機器を搭載する科学衛星のフライトモデルMS-F2を用意していたが、慎重を期してM-4Sの2号機にはこれを乗せず、新しく試験衛星を製作することになった。

この衛星は軌道上における衛星の環境および機能試験を目的とし、その後に打上げ予定の1号科学衛星とほとんど同型、同重量で、主要エレクトロニクスも電源を除いてほとんど同一のものとした。3カ月で製作し、年内に飛翔前試験にこぎつけるという、今では考えられない猛スピードで2月の打上げに間に合わせた。当時の実験チームの意気込みが伝わってくるようである。

この初の「ミュー衛星」の軌道は、近地点高度990km、遠地点高度1,110km、周期106分で、わが国2番目の衛星となり、前述のとおり東京大学のスクールカラーにちなんで「たんせい」(TANSEI、淡青)と命名された。この「たんせい」衛星の成功は、実験班の大きな自信となり、Mロケットによる日本の科学衛星の時代が始まった。

日本の衛星打上げはその後、日本初の科学衛星となった「しんせい」(1971年9月28日)、地球の電離層から磁気圏にわたる領域の観測を目的とした第2号科学衛星「でんぱ」(1972年8月19日)が打ち上げられている。

 

8. 中国:東方紅1号

図11

図11 東方紅1号の模型(出典:Wikipedia 東方紅)

東方紅1号は中華人民共和国初の人工衛星であり、東方紅人工衛星計画の一環として1970年4月24日に打ち上げられた。この衛星によって中国は、世界で5番目の自力での人工衛星打上げ国となった。1958年、毛沢東が「我々も人工衛星をやらなければならない」と提唱し、中国経済が好転し始めた1965年6月に、1970~71年に最初の人工衛星を打ち上げることを決定。銭学森*の指示の下、開発が進められた。

1970年4月24日21時35分、内モンゴル自治区西部の酒泉衛星発射センターから、長征1号ロケットにより打ち上げられた。ロケットとの切り離しも正常に行われ、21時48分に予定通り軌道に乗った。

通信機を搭載しており、26日間、1960年代の文化大革命で中華人民共和国の事実上の国歌となった象徴的な歌「東方紅」を宇宙から配信した。これは日本でも受信可能だった。私事ながら、筆者も受信機を改造して、この電波を受信し、「東方紅」録音をした事を覚えている。音楽の最後にはテレメトリ信号が音声帯域内で送信されていた。

東方紅1号の主な目的は人工衛星技術の試験と、電離層と大気層の環境観測であった。東方紅1号は球状な72面体の形をしており、重量は173kg、直径は1mあった。この173kgという重さは、各国の初の人工衛星と比較して最も重い。姿勢制御のため、一分間に120回転し、温度調節のため、外表面は特殊な加工がされたアルミニウム合金でコーティングされていた。球体の中央部には長さが最低2mある4本の超短波ホイップアンテナが接続され、機体の下部はロケットエンジンを積んでいるステージに接続。

軌道の近地点は441km、遠地点2386 km。傾斜角68.55°、周期114.09分。20日の稼動予定で設計されたが、実際には28日間稼動した。稼働中、遠隔測定データを地球に送信し続け、5月14日に送信は終了した。東方紅1号は現在も431km から2124km の安全な軌道上に存在する。底面に光る金属リングを装着しており、5-8等級の光で見ることができる。

中国の衛星打ち上げ成功の後、オランダ、スペイン、インド、インドネシア、チェコスロバキア等が次々に自国の衛星を打ち上げている。1950年から1978年の各国の衛星打ち上げに関してはNASAのJet Propulsion Laboratoryの“An Early History of Satellites Timeline”を参照。

以上

 

本稿作成の参考にした記事等は次の通り。

・Wikipedia スプートニク1号

・NASA HP:https://www.nasa.gov/specials/60th/sputnik/

・Wikipedia スプートニク2号

・NASA HP:https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1957-002A

・Wikipedia エクスプローラー1号

・NASA HP:https://www.nasa.gov/mission_pages/explorer/explorer-overview.html

・Wikipedia SCORE(人工衛星)

・GlobalSecurity.org https://www.globalsecurity.org/space/systems/score.htm

・Wikipedia アルエット1号

・Canadian Space Agency HP:https://www.asc-・csa.gc.ca/eng/satellites/alouette.asp

・Wikipedia サン・マルコ1号

・NASA HP:https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1964-084A

・Wikipedia(English) Astérix (satellite)

・NASA HP:https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1965-096A

・Space Legal Issues February 28, 2019“When France became the third space power”

・JAXA-ISAS HP ミッション:科学衛星・探査機

・ISASニュース2002.8 No.257および2002.9 No.258日本初の人工衛星「おおすみ」誕生(井上浩三郎)

・JAXA-ISAS HP「日本の宇宙開発の歴史」

・Wikipedia東方紅1号

・Space Legal Issues:https://www.spacelegalissues.com/space-law-dong-fang-hong-i-the-first-chinese-satellite/

・NASA Jet Propulsion Laboratory“An Early History of Satellites Timeline”: https://www.jpl.nasa.gov/infographics/an-early-history-of-satellites-timeline/