『4メガトンの水爆が暴発寸前。1961年、B-52型機墜落事故の真実』
ー安全装置の最後の一個が核の惨事、食い止める。ニューヨーク、ワシントンなど米・北東回廊部で数百万人に放射能汚染危機ー
2013-09-13 ジョン・ボスニッチ(ベオグラード)
広島原爆の260倍の破壊力を有する水爆が、搭載した米空軍戦略爆撃機(B-52)の墜落事故で暴発寸前だったことが明らかになった。英国の有力紙『ガァーデアン』が9月20日、”特ダネ”扱いで報じた。欧米の大手メディアも重大な核事故として一斉に追随報道した。起爆装置のうち、最後の1個が不作動で核爆発が寸前で食い止められたという。最悪の場合、ニューヨーク、ワシントン、フィラデルフィア、ボルティモアの米東海岸、人口稠密地域を放射能雲が襲い、数百万人の市民が巻き添えで生命の危機に直面したとしている。
[米核戦略の主要な柱を担うB-52,戦略爆撃機:写真、ボーイング]
『ガァーデアン』(9月20日付け電子版)によると恐怖の核兵器事故を暴いたのは調査報道ジャーナリスト、エリック・シュロッサー記者。『フリーダム・オブ・インフォメーション・アクト』(情報公開法)に基ずき米国政府の機密文書の開示を求め、事故を巡る凍り付くような事実に迫ったという。
問題の事故は1961年1月24日、発生した。核の重大事故の一つとして過去、様々な文書で公表されたが、『4メガトン、広島型原爆の260倍の破壊力を有する水爆1個が暴発寸前に追い込まれた事実はこれまで伏られてきた』という。米南部ノースカロライナ州ゴールズボロのセイモア・ジョンソン基地所属の戦略爆撃機、B-52G= 機長、タロック少佐=が事故の主役だった。当時、米露は冷戦の真只中。核兵器を搭載した戦略爆撃機が24時間、空中警戒任務につくのが日常だった。事故機は、KC−135空中給油タンカーから給油中。その際、機体に異変が起きた。右主翼で、大量の燃料漏れが発生。基地へ緊急帰還を試みたが、高度3,000メートル付近で操縦不能に陥り、機体が空中で構造破壊。同機に搭載中の4メガトンの水爆(MARK 39)2個が空中に投げ出された。うち1発は作動を開始、4個の起爆装置の最後に当たる低電圧の簡便なシステムが不作動で核爆発を食い止めたという。最後の安全装置がギリギリで核の大惨事を防いだことになる。
ケネディ大統領が就任、3日後の核重大事故だったが、事故の鬼気迫る状況は詳細が封印されたままだった。しかし今回明らかになった政府の機密文書開示で、実際は事故現場の北方、ニューヨーク、ワシントン、フィラデルフィア、ボルティモアなど米政治経済の中枢部に最悪のケースだと水爆炸裂に伴う放射能雲襲来で市民レベル、数百万人の生命の危険が懸念される事態も予想されたという。