2017-02-03(平成29年) ジャーナリスト 木村良一
年末から年始にかけ、謎の棋士がインターネット上で世界中の著名な棋士を次々と破り、大きな話題を呼んだ。実はこの棋士、昨年3月に韓国のトップ級棋士に4勝1敗で打ち勝った米グーグル傘下の企業が開発した、AI(人工知能)の囲碁ソフト「アルファ碁」の改良型だった。
AIが自ら学習しながら進化していく「深層学習(ディープラーニング)」が急速に進歩した結果、チェスより複雑な囲碁でトップクラスの棋士に勝てるようになった。囲碁の世界だけではない。いまやAIは医療、交通、エネルギー、教育、文芸といった人類の生活すべてに大きな変化をもたらそうとしている。
しかしイギリスの宇宙物理学者のホーキング博士が警笛を鳴らすようにその使い方を誤ると、人類の滅亡につながる危険性がある。人間はAIを使いこなすことができるのだろうか。
機械は人間の生活を豊にしようと、考案された。18世紀に起きた産業革命では蒸気で機関車や船を動かし、人や物を早く遠くに運ぶことができるようになり、生活は大幅に向上した。
だがその半面、資本家と労働者の間に格差を生み、公害によって自然環境が破壊された。テクノロジーは戦争やテロにも使われ、多くの命がいまも失われている。めざましい勢いで進化するAIの登場は、産業革命以上に大きな悲劇をもたらすかもしれない。
18年前に公開された米SF映画「マトリックス」。キアヌ・リーブスふんする主人公のネオが、体をくねらせて拳銃の弾を避け、人間離れした技で戦うシーンは圧巻だ。敵は知性を持つ汎用人工知能のコンピューターだった。現実の世界で人間をカプセルの中で飼育してエネルギー源にする一方、仮想現実の世界を作り出して人間の脳を活性化させていた。
このマトリックスの世界が、現実のものとなる危険性がないとはいえない。たとえば「脳科学の進歩で人の脳をAIで再現できれば、その人の意識や記憶をロボットに移すことも可能になる。その結果、人は肉体から切り離されバーチャルな存在になる」と指摘するAIの専門家もいるし、世界では人間の意識をアバター(分身)のロボットに移すプロジェクトも進められているからである。
それゆえ「人間の脳を操作していいのか」「AIをどのように人間の社会に役立たせ、どこで制限を加えるべきか」など倫理面の議論を時間がかかってもしっかりと行う必要がある。
AIによる医療の進歩を考えてみよう。日本の全国の病院が集めたがん患者のデータをAIが深層学習して新しい治療方法を見つけ出し、がんの撲滅を目指す開発はすでに始まっている。
がんだけではない。近い将来には患者一人ひとりのゲノム(全遺伝情報)に飲食や喫煙などの環境情報を加えた医療ビックデータをAIが分析し、その人が何歳でどんな病気にかかるかを判定できるようになる。しかもAIのこの分析をもとに最適な予防方法を導き出すことも可能だ。究極のオーダーメード医療である。運悪くその病気になったとしても、AIが新薬の投与など最善の治療方法を選択してくれる。iPS細胞などの万能細胞による再生医療もAIで格段に進歩する。
こうなってくると、人の健康寿命はどんどん伸びる。健康に長生きすることは素晴らしいと思うが、最後には「人はどこまで生きるべきか」が大きな問題になる。ましてAIによって人間の意識がロボットに移されるようにでもなれば、死んでもその人の意識が残ることになり、死の意味合い自体が変化する。だからこそ倫理的議論が必要不可欠なのである。
このメッセージ@penの2015(平成27)年3月号で「『人はどこまで長生きしていいのか』生命倫理研究者を取材した」というタイトルを付け、生命倫理の問題を調査・研究して政策を提言している社会学博士の橳島(ぬでしま)次郎さんを取材した話を書いたことがある。
記事では「最先端医療には生命倫理の議論が欠かせない。ところが日本では生命倫理の議論が十分になされていない。再生医療はどこまで許されるのか。医療技術の進歩に倫理面の議論が追いついていかない。精子や卵子の扱いや代理出産などを規制する生殖補助医療法案や、延命治療を受けないで自然な死を迎えるための尊厳死法案も国会に提出されず、宙に浮いたままだ」と訴えた。
AIの問題も同じだ。いやAIの問題は最先端医療の問題を包み込む。車の自動運転やがんの治療ぐらいまでならまだ許されるが、人間の脳や命が支配されるとなると話はまったく別である。そんな時代を人は幸せと感じられるのか。AIに使われるのではなく、どう使うか。未来のためにこれを考えることこそ、いまの私たちの務めである。
—以上—
※慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」2月号から転載しました。