2017-03-01(平成29年) ジャーナリスト 木村良一
新聞やテレビの調査報道など真実の追及が大きく評価されてきたアメリカで「うそ」が世論を形成し、政治を動かしている。信じられない事態だが、その元凶は米大統領選に当選したトランプ氏の言動にある。
昨年11月、世界最大の英語辞典を発行するイギリスのオックスフォード大学出版局もこの事態をとらえて2016年を象徴する言葉に「ポスト・トゥルース」(Post Truth) を選んだと発表した。「真実が終わった後」…。事実や真実ではなく、感情や個人的な信条で世論が作られるという意味である。
大統領選のさなか、さまざまなフェイク(偽)ニュースが作られては、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のツイッターやファイスブックで瞬時に拡散された。
「イラク侵攻には当初から反対していた」、「オバマ大統領がIS(過激派組織イスラム国)の創設者だ」、「クリントンがISに武器を売却した」、「同時多発テロのとき、世界貿易センタービルが崩壊してイスラム教徒が歓声を上げていた」などトランプ氏自身のうその発言も多かった。政治家の発言の真偽を検証する米メディアのポリティファクトによると、トランプ発言の7割が「ほぼ間違い」から「真っ赤なウソ」に相当するというから驚いてしまう。
フェイクニュースは落ち着いてちょっと考えれば「おかしい」と分かりそうなはずなのに、信じた28歳の男がピザ店で発砲事件を起こして逮捕される事件まで起きた。なぜみな、コロリとだまされてしまうのか。
メディア・コミュニケーションの研究に携わる専門家の多くが「類は友を呼ぶといわれるように人は自分の考えと同じ意見を好む。ネット上ほどそれが顕著に表れる」と分析する。客観的事実よりも、自分の立場を擁護してくれる情報に強く引き寄せられる。その結果、トランプ氏のような米国第一主義や過度の保守主義、自国さえよければ世界はどうなっても構わないという反グローバリズムに陥り、ポスト・トゥルースを生む。その原動力がインターネット社会である。
本来、ツイッターやフェイスブックをより多くの人々が利用することで、世界がさらにオープンになり、人々がつながっていく。人々が多種多様な意見や考えに触れるようになることで大きな知恵が生まれ、広く民意をとらえて民主主義を実現していく。社会を良い方向に前進させることができる。
ネットにはこうした正の面に対し、負の面がある。前述したように意見や考えが近い人同士がつながりやすく、共有される情報が偏る。事実や真実よりも共感できるかどうかが重視される。その結果、意見が極端になり、社会を分断させる危険が生まれる。異なった意見を聞いて認め合い、議論を深めていく民主主義のルールが無視される。ネットがもたらすゆがみが民主主義をむしばむ。「ネットうよ(右翼)」「ネットさよ(左翼)」などその典型だろう。
これを食い止めるにはどうすればいいのか。自分と異なる意見に耳を傾け、冷静に判断できる能力を養う必要がある。幼少時からの学校教育であふれる情報に対処できるよう訓練することが大切で、その訓練の中でネット社会の問題点を考えさせる必要がある。
手前みそで恐縮だが、自分自身は長い新聞記者生活のなかで、取材相手の話をじっくり聞いて自分の頭で理解するとともに、取材相手の表情、声色、動作など一挙一動も見て本当かウソかを考え、裏取り取材に動いた。とくに調査報道による事件取材では立場の違う複数の相手からの取材を重ねた。取材相手の話をうのみにせず、常に疑う複眼を持つ術を学んだ。新聞記者がこうした努力を続けることで新聞という媒体が、読者から信頼されてきたのだと思う。
新聞やテレビが真偽を検証するファクト・チェックも重要だ。たとえば前述したウェブサイトのポリティファクトのように選挙の候補者の演説や討論会での発言にうそや偽りがないかを調査して有権者に正しい情報を提供する。マスコミによる権力の監視のひとつの姿だ。
ネットが世論や政治に影響を与える事態は日本でも増している。トランプ氏のようにツイッターを積極的に活用する候補者や政党は多くなり、ネットによる選挙運動もすでに解禁されている。いつ何時、アメリカのように事実や真実が無視され、感情に訴えるポスト・トゥルースが、はばを利かせる事態に陥るかもしれない。
そうならないように皆がSNSの情報を疑うことだ。既存の新聞やテレビにはしっかりした取材や調査を行い、正確なニュースや分かりやすい解説、社説を報じることが求められる。それによって読者や視聴者から信頼が得られ、いかに事実や真実の追求が重要であるかが理解されるはずである。決してポスト・トゥルースを放置してはならない。
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慶大旧新聞研究所のOBによるWebマガジン「メッセージ@pen」の3月号(下記URL)から転載しました。