2017-09-23(平成29年) 松尾芳郎
図1:「ヤーセン」級2番艦「カザン」の想像図。水中排水量13,800 ton、水中速力35 kts。空母攻撃用の超音速巡航ミサイルを最大40発搭載できる。極めて静粛で8月北大西洋をノルウエイ沿岸から英国西岸に沿って潜水航行した際は、探知が極めて困難であった。同型艦5隻が建造中で2023年までに全て就役予定。我国の「そうりゅう」級の3倍以上の大きさ、能力にも大きな差がある。
今年8月、2週間に亘って北大西洋で小説「レッドオクトーバーを追え」さながらのロシア潜水艦追跡劇が行われたが、日本では殆んど知られていない。以下はその概要である。
(注)小説「レッドオクトーバーを追え」とは;—
原名”The Hunt for Red October”著者Tom Clancy 1985年10月Berkley Booksより刊行、邦訳は文春文庫井阪清訳、上下2巻1985年12月に出版。軍事テクノロジー小説あるいは海洋冒険小説としてベストセラーになり広く読まれた。内容は、旧ソビエトのタイフーン級原潜“レッドオクトーバー”を指揮する艦長ラミウス大佐が、その処女航海で米国亡命を試み成し遂げるという話。阻止しようとするソ連海軍、助けようとする米海軍が大西洋海中で熾烈な追跡競争を繰り広げる。記述があまりにも最新技術を正確に伝えているため、国防総省内で問題にされた。内容のすばらしさに感服したレーガン大統領は、著書トム・クランシー氏をホワイトハウスに呼び、昼食を共にした。
近着の外伝によると、NATO軍は、ノルウエイ沿岸を潜水し南方に航行するロシアの最新型原潜“カザン(Kazan)”(K-561)を探知したが、その位置特定/追跡に大変苦労した。
“カザン”は、ロシアの“ヤーセン(Yasen)”級原子力潜水艦の2番艦でセベロドビンスク(Severodvinsk)のセブマシュ(Svmash)造船所で完成、今年3月31日に進水したばかり最新鋭艦。現在ロシア海軍への引き渡し前の試験航海を行なっている。
捕捉追跡をしたのはノルウエイ、英国などの基地から飛び立ったNATO加盟の米国、カナダ、フランス、ドイツ、ノルウエイなどのP—3C、P-8Aなどの哨戒機を主に、各國の対潜艦多数が加わった。NATO軍事筋によると、“カザン”の位置を特定するために延べ20機の哨戒機が動員され、大規模な捜索飛行が行われた、という。
”カザン“は、同時期に行われた米英合同の北大西洋演習 ”Saxon Warrior 2017”を密かに偵察していた模様。この演習には、米海軍から原子力空母”ジョージ・ブッシュ(George H.W. Bush)“、英海軍から通常動力型の最新空母”クイーン・エリザベス(HMS Queen Elizabeth)“、さらに多くのフリゲート、ミサイル巡洋艦、駆逐艦などが参加していた。
ノルウエイ海軍からは2009年に就役したばかりの最新鋭フリゲート”ヘルジ・イングスタッド(KNM Helge Ingstad) 満載排水量5,300 tonが参加し、“カザン”の捜索活動に加わった。米国、カナダ、フランスは、南方海域の捜索を担当し、ノルウエイ沿岸の北方海域は主にノルウエイとドイツのP-3C哨戒機が担当した。
NATOの“Mil Radar”*が2017年8月29日に発表した結論は、「2017年8月14日から同28日までの間、NATOの哨戒機がノルウエイ沿岸に添い南下する“カザン”と推定される物体を追跡した。」と云うもので、正確な位置の把握はできなかった、としている。
(注)*”NATO Mil Radar”は、我国の「統合幕僚監部・お知らせ」に相当する発表で、NATO領域に接近する主としてロシア軍の航空機、艦船、陸上部隊、の動きを監視し、その内容を詳しく報道するニュース。
図2:(NATO Mil Radar) 2017年8月14-28日間におけるNATO軍哨戒機が実施した移動物体の探索飛行の概要。濃い青線で太く描かれているのは北から南に向かう“カザン”の航跡。細かく記入されているのは、赤線で示した基地から飛び立った哨戒機の記録。
ヤーセン級原潜、2番艦“カザン“の説明
図3:ヤーセン級855M型“カザン”の内部構造配置図。我が海自の「そうりゅう」の3倍以上もある大型潜水艦だ。
図4:(Sputnik News)“カザン”進水式の模様。13,000 tonを超える巨体が実感できる。
図5:(Sputnik News) “カザン”艦尾の外観
ヤーセン級原潜は、855計画として2010年にセベロドビンスクの造船所「セブマシュ」で1号艦“セベロドビンスク(Severodvinsk)”が完成、2013年末に就航した。これを改良し855M計画とした2号艦“カザン”は、2017年3月に完成し2018年の就役を目指して目下試験航海中である。855M計画では、“カザン”に続き5隻が建造中である。
排水量は浮上時/8,600 ton、潜水時/13,800 ton、全長139.5 m、幅15 m。原子炉は第4世代加圧水型Afrikantov OKBM製KPM型1基、これで蒸気タービンを回す。速度は浮上時/20 kt (37 km/hr)、潜水時/35 kt (52 km/hr)、最大潜水深度は600 mと言われている。
855M型の兵装は、VLS(垂直発射サイロ)を10基と魚雷発射管650 mm用を6基と533 mm用を2基備える。
10基のVLSには、対地、対艦、対潜水艦用の超音速巡航ミサイル、P-800オニックス(Oniks) 、3M51、3M54Kカリブル、などを最大で40発搭載する。
艦首にはロシア潜水艦では初めての球形ソナーMGK-600が取り付けられている。このため魚雷発射管は艦首ではなくやや後ろに斜め前方向きに取付けてある。
艦全体は低磁性鋼で作られている。自動化が進んでいるため乗員は90名程度、米海軍の最新型攻撃原潜バージニア級の134名に比べ少ない。
P-800オニックス超音速巡航ミサイル
P-800オニックスはYakhontとも言い、現代の最も強力な対艦巡航ミサイルで輸出型もある。2020年代初めから配備が始まり、潜水艦だけでなく、水上艦、地上、航空機などからも発射可能。誘導は目標近くまでは衛星情報(GPS)で飛行、最終のターミナル段階は搭載のレーダーで行われ、着弾精度は“半数必中界/CEP(Circular Error Probable)”で1.5 mと極めて正確。射程は、レーダー回避のため水面すれすれに飛ぶ場合は120 km、高度を上げ飛行し目標に向けダイブする場合は300 km、ロシア海軍専用型では射程を600 kmに伸ばした型もあるとの未確認情報がある。
P-800オニックスの推進は、2段で、発射時は固体燃料ブースターで超音速に加速、分離後は液体燃料ラムジェット推進に切り替わる。最大速度はマッハ2.5 (3,000 km/hr)で、西側海軍で多用されている近接防御機関砲システム(CIWS)では撃墜は困難。弾頭には高性能炸薬200-250 kgが装填され、通常艦艇に着弾すれば大損害を受ける。また弾頭には戦術核弾頭の装備も可能で、空母打撃群にとっては重大な脅威となる。
図6:(Military-Today.com) P-800オニックスは、全長8.6 m、本体直径67 cm、フィン翼幅1.7 m、発射時重量3,100 kg。マッハ2.5の超音速で飛行、射程距離120-300kmの巡航ミサイル。
3M54Kカリブル巡航ミサイル
3M54Kカリブル(Kalibr)は潜水艦発射可能な巡航ミサイルで、対地、対艦用。巡航中は亜音速飛行、目標に近づくターミナル段階で超音速に加速し迎撃を困難にして着弾する。各種のバージョンがあるが、最大射程は2,500 kmに達する。弾頭には高性能炸薬500 kgまたは核弾頭を装備する。
2015年10月7日、カスピ海(Caspian Sea)に展開するロシア海軍フリゲートと3隻の小型コルベットからシリア攻撃に26発発射された巡航ミサイルは、3M54Kカリブルであった。
図7:(Wikipedia) 3M54Kカリブル(Kalibr)巡航ミサイルは、ロシア版“トマホーく(Tomahawk)”とも呼ばれる。重量は最大2.3 ton、全長8.9 m、弾体直径は53 cm、速度は、巡航時はマッハ0.8、ターミナル域ではマッハ2.9まで加速される。直径が細いので魚雷発射管からも発射可能。
終わりに
以上述べたように、ロシアの次世代原潜“カザン”は8月14-28日の間、折から北大西洋で実施中のNATO海軍の空母を含む演習を偵察した。“カザン”は搭載する大量の巡航ミサイルで空母攻撃ができる「空母キラー」として西側海軍が恐れている潜水艦である。そればかりではない。数年後に同級潜水艦が7隻揃いその一部がロシア太平洋艦隊に配備されると、我が国全域がその射程内に入る。
超音速巡航ミサイルに対処できるのは、米国が開発した艦載用迎撃ミサイルRIM-116 RAM (Rolling Airframe Missile)で、米海軍はじめ日本等の新型艦に採用が始まっている。もう一つは日本の「03式中SAM改」地対空誘導弾、こちらは今年の予算で1個中隊配備が始まったばかり、さらに艦載型は来年建造予定の護衛艦から搭載される。
原潜“カザン”の隠密偵察に続いて、ロシア軍は9月14日からベラルーシと共同で大規模軍事演習「ザーバド2017」をロシア西部とベラルーシで開始した。NATOは、10万人規模の兵士、戦車、装甲車など数百両が参加するものと見て、警戒を強めている。ロシアは2013年に今回と同規模の演習を実施したが、その数ヶ月後(2014年)にウクライナ南部クリミア半島に侵攻、ここを占領して自国領に編入したと云う前例がある。
NATO加盟諸国は今回の「ザーバド2017」終了後、ロシアが国境を接するウクライナ東部、ポーランドやバルト海沿岸3カ国に侵入、占領する恐れありとして、危機感を募らせている。
ちなみにロシアの2016年のGDPは、世界第12位、1兆3,000億ドルでオーストラリアを僅かに上回る規模、これに対し日本は世界第3位の4兆9,000億ドル。ロシアはこのような小規模経済の国であるにもかかわらず、既述の強大な軍事力を背景にして、国際社会では事ある毎に他国の求めに対し異議を唱え、実力で状況変更を既成事実化してきている。この傾向は当分収まりそうにない。対等な対話を望むには、対等な軍事力を持つ必要性を感じさせる咋今である。
図8:(Google)ロシア西部と欧州の地図。原潜“カザン”はロシア北部白海に面したセベロドビンスクを出港、ノルウエイ沿岸からイギリス北東海域を潜航通過した。続いてロシア軍大演習がベラルーシを含む地域で実施中。エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナは、いずれも旧ソビエト時代その領土であった。
—以上—
本稿作成の参考にした主な記事は次の通り。
Sputnik Military & Intelligence 31, 08, 2017 “Red October Revisited: Massive Submarine Hunt along Norwegian Coast””
Military-Today.com “P-800 Oniks” Anti-ship Cruise Missile”