2019-03-03(平成31年) ジャーナリスト 木村良一
映画「青春の殺人者」を思い出す
千葉県野田市の栗原心愛(みあ)ちゃん(小学4年、10歳)が自宅で死亡して両親が逮捕された事件の一連の新聞記事=写真=を読んでいて、学生のころに見た映画を思い出した。
いまから40年以上前の1976(昭和51)年に公開された「青春の殺人者」という映画だ。原作は中上健次の小説「蛇淫」で、東京湾沿いにコンビナートが広がる同県市原市で起きた両親殺害事件をもとに書かれた。映画の主演は水谷豊で、その母親役が今年1月に82歳で亡くなった市原悦子だった。
映画の中でいまも頭の片隅に残っているのが、母親の台詞である。息子が父親を殺したことを知り、確か母親役の市原悦子はこんな内容のことを言ったと思う。
「お父さんを殺したことはもう仕方がない。自首なんかするのはやめて時効の15年(当時)が過ぎるまで2人で暮らそう。これはうちの家庭で起きたこと。家庭内の出来事は他人には関係ない」
息子が父親を殺してもそれは身内のことであり、外部の警察に届け出る必要などないというのが母親の言い分だった。映画を見た当時、母親というものは自分が産んだ子のためなら、こんなことまで考えるのかと妙に感心させられた。それで記憶に残っているのかもしれない。
家族を外の社会から守ってくれるのが家庭である。家庭には父親と母親がいる。息子や娘を理不尽で冷たい世間から救うのが父親であり、母親だ。
それがどうだろうか。心愛ちゃんの事件では、両親が加害者として傷害容疑で逮捕された。心愛ちゃんには守ってくれる家族がいなかった。家庭がなかった。そんな最悪の事態に子供はどう対処していけばいいのだろうか。
教育・行政機関にミスと甘さがあった
「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」
心愛ちゃんは小学校のアンケートにこう書いていた。だが学校や教育委員会、児童相談所は救い出せなかった。このSOSが新聞やテレビで報じられる度に「なぜ救えなかったのか」とやるせない気持ちになる。
もともと心愛ちゃん一家は沖縄県糸満市で暮らしていた。2017年7月、母方の親族から糸満市に「母親がDVを受けている。心愛ちゃんは恫喝されている」と訴えがあった。しかし翌月に一家が野田市に引っ越したため、糸満市は事実関係を確認できず、訴えは野田市に伝えられなかった。両市が積極的に動き、情報交換していたら心愛ちゃんを救えた可能性はある。
心愛ちゃんは野田市の小学校に通学し始めて2カ月後の2017年11月6日、アンケート用紙にあのSOSを書き込んだ。小学校が顔のアザを確認し、千葉県の柏児童相談所が心愛ちゃんを翌7日に保護した。子供の安全を最優先したその対応は良かったが、その後がまずかった。父親に脅されて一時保護を解除。さらに野田市教育委員会がアンケート用紙のコピーを渡してしまう。その結果、心愛ちゃんは本当のことを言わなくなっていった。明らかに教育・行政機関のミスである。
教育委員会がコピーを渡した3日後の昨年1月18日、心愛ちゃんは野田市内の別の小学校に転校。その後はその小学校が様子を見ていたが、報告を受けた柏児童相談所や野田市は「もう問題はない」と判断した。ところが今年1月7日の始業式以降欠席し、24日に心愛ちゃんは自宅の浴室で死亡していた。胸の骨も折れていた。長期の欠席を教育・行政機関は問題にせず、自宅訪問も行わなかった。判断が甘すぎた。
家庭・家族の在り方まで議論を深めたい
心愛ちゃんは両親に裏切られ続けた。そんなとき子供を助けられるのが社会だろう。しかし減点主義で評価される学校や教育委員会、児童相談所、文部科学省などの教育・行政機関は当事者意識が薄くなりがちで、事なかれ主義に陥る。都合のいいように「大丈夫だろう」と解釈し、傷口を大きく広げてしまう。だから何度もチャンスがあっても心愛ちゃんを救えなかったのである。
教育・行政機関の改革は当然だ。実態に即して法律を整備したうえで、児童相談所の児童福祉司を増員し、警察との連携強化や弁護士の配置などの介入強化を進めたい。
昨年3月には東京都目黒区で5歳児が両親の虐待を受け、死亡する事件も起きた。虐待事件は後を絶たない。しかし教育・行政機関には限界がある。改革も追いつかない。民事不介入の警察にすべてを頼るわけにもいかない。
映画「青春の殺人者」の時代は家庭が家族を守ってきた。しかし家庭の構造が変化してきている。一部では家庭が役割を失いつつある。子供を守るべき両親が子供を虐待している。この家庭崩壊の原因を調べ上げ、根底から対策を講じる必要がある。
そこで新たな研究機関の創設を提言したい。これまで起きた虐待事件の原因と背景を探って事件の共通項を見つけ出し、その共通項に即した対策を指摘して再発防止につなげる新組織だ。子供を死に至らしめるまで虐待を続けた親はどんな人生を送ってきたのか。育った環境から心の奥底まで徹底的に調べる必要がある。心愛ちゃんの事件で父親は学校に威圧的だったが、職場や近所では真面目で温厚な人柄にみられていた。この極端な二面性に何かが潜んでいるように思える。
研究機関では家庭・家族の在り方まで議論を深めるべきだ。メンバーは社会学者や心理学者、哲学者、法律家ら専門家のほか、虐待の分野を長く取材しているジャーナリストも入れたい。できれば国ではなく、民間が財団を作って運営するのがベストだ。
ー以上ー
※慶大旧新聞研究所のWebマガジン「メッセージ@pen」の3月号から転載しました。http://www.message-at-pen.com/?p=1833