第25回参議院選挙ー取りこぼしが目立った自民党 ‼


2019(令和元)年8月4日  元文部科学大臣秘書官  鳥居徹夫

 

 9議席も減らした自民党だが、過半数は維持 

第25回参議院選挙が7月21日に投開票が行われ、それを受けて8月1日に臨時国会が召集され、参議院議長の選出、所属委員会の割り振りなど所定の手続きが行われた。

参議院選挙では、自民党が改選の66議席を9議席下回る57議席にとどまった。一方、立憲民主党と国民民主党が獲得した議席は、3年前に民進党が獲得した32議席を下回る23議席となった。

自民党は3年前の56議席とほぼ同議席で、連立を組む公明党とあわせ、過半数の123議席をこえる141議席となった。

憲法改正に必要な3分の2を割り込んだが、引き続き政治の安定が図られることとなった。

注目の一人区をみると、6年前の参議院選挙は、31の一人区で自民党が29勝2敗と大勝利したが、その改選となる今回は32の一人区のうち10選挙区で野党統一候補に敗北した。

ちょうど前回3年前の参議院選挙の直前、野党は平和安全法制の反対運動を国会内外で展開し、運動として盛り上がりを見せていたこともあり、野党統一候補は11議席を獲得した。

しかし今回は、盛り上がった運動もなかった。金融審議会の報告(老後生活に年金以外に2000万円必要)を、麻生太郎大臣が受け取り拒否したことなども争点にならなかった。

しかも民進党が分裂し、野党共闘が3年前と比べても機能していなかった。5野党1会派は候補者調整を行ったもののバラバラ感がぬぐえなかった。

にもかかわらず自民党の取りこぼしが目立ち、野党共闘に10議席も差し出した。

 

地域に根を張らない自民党の現職議員と候補者 

自民党の選挙区選出の参議院議員や候補者は、その地域の衆議院議員だのみの選挙戦であり、一部を除いて自らが地域を回り支持を拡大しようという意欲が見られない。

ましてやドブイタ的な活動とは無縁であることから、自民党議員は党員獲得のノルマ(1000人)すら縁遠いのが実態ではないか。

それ以前に、自民党の政策を街頭に出て訴え理解を求めようという姿勢は、新人議員や候補者はもとより、中堅のベテラン議員にも問題意識がない。

ある勉強会で筆者が、中堅で知名度も高い自民党議員に「平和・安全保障法制の必要性など、なぜ街頭に出て有権者や支持者に積極的に訴えようと自民党はしないのか」と質問したところ、「成立すれば、政府広報でやります」との回答が戻ってきたのにはビックリした。

自民党議員は、国家存立の重要課題であるにも関わらず、党員や支持者への政策説明すらも、法案審議の段階で他人事であった

つまり、政党に配布された政党助成金を使って政策アピールするのではなく、行政まかせの政府広報という媒体で、行政の立場からの説明を待っているのである。

政府広報は、あくまでも法律成立後の概要説明に過ぎない。行政府の立場からの広報にすぎず、「幼児保育が10月から無償となります」などの決定事項の広報であり、法案提出の段階から「成立必要性の広報」は制度上できない。

しかも野党がおかしな主張をしていたとしても、野党の批判や攻撃でできない。

ところが野党は、国会やマスコミに露出し、事実に反する「戦争に巻き込まれる」という虚偽のアピールに余念がなかった。

野党は、3年前の参議院選挙では、その勢いで一人区を前回の2議席から11議席に伸ばしたが、今回はそのような環境になかった。にもかかわらず野党共闘は10議席も確保した。

自民党は複数区では着実に議席を確保したが、一人区ではセリ負けが目立った。それがなければ、自民党は60議席を超えたのではないか。

 

比例と選挙区が連動しなかった自民党の一人区候補 

自民党は、野党統一候補が勝利した10選挙区(岩手、宮城、秋田、山形、新潟、長野、滋賀、愛媛、大分、沖縄)では、比例代表の票が伸びていた。

6年前の2013年を比べると、自民が比例得票率を伸ばしたところは10選挙区のうち沖縄を除く9選挙区に及んだ。3年前との比較でも、自民は岩手、宮城、秋田、山形、新潟の5選挙区で比例得票率をアップさせていた。

この10選挙区に限らず全国をみても、自民党が党勢を伸ばしている地域も多くあった。

つまり一人区で落選した自民党議員、候補者は支持層すらも固めきらなかった。

かつて自民党では、当落スレスレの候補者は「選挙区は候補者名、比例は公明」とアピールしていたが、それは比例に公明党に回す自分の後援会の票があったからである。

こういうやり方は、決して褒められたものではないが、比例で他党に回せる票を、当時の自民党候補は持っていたからであった。

つまり自民党には、比例と選挙区が連動していなかったのであった。それが落選した一人区に多くみられた。

それ以前に、参議院の改選議員、候補者が、地域に根付いていなかったし、地元活動の必要性も感じていなかったのではないか。

 

劣化が目立つ2012年当選の公募議員 

自民党で問題とされているのが、「魔の三回生議員」と言われる。

参議院議員選挙の期間中に、秘書を罵倒し、暴行を加えたとして新潟1区の石崎徹衆議院議員のパワハラ疑惑が、週刊誌やマスコミで大きく取り上げられた。

自民党新潟県連からも「離党勧告」か「除名」の処分を党本部に要請したという。

「魔の三回生議員」というのは、民主党政権下の2012年の総選挙で当選した議員であり、自民党が公募した候補者が多かった。

候補者公募は、民主党が政権獲得前に先鞭をつけたが、それは公募が世襲政治家のような「地盤・看板」に頼らずに政治家への道を開くものでもあったからである。

自民党も、政権転落後に候補者公募を本格化させた。それに公募し当選したのが「魔の三回生議員」である。

2012年の総選挙の場合、議員を目指すものは自民党の公募に応募するしかなかった。当時は民主党政権であり、ほとんどの選挙区に民主党の現職議員がいたからであり、そのため自民党に公募し当選した議員であった。

石崎徹は慶應義塾大学を卒業後、財務省に入省した官僚出身のエリート、あの豊田真由子もキャリア官僚であった。

これらの議員の特徴は、政治の追い風に乘って当選、経歴上はエリートながら人間性に実は問題があったといったものである。

しかも石崎議員は、自民党ではないところからの出馬を模索した時期もあったことが、2012年同期当選の元議員の金子めぐみが暴露した。

候補者公募では、書類審査と論文、面接で選考される。

選考側も、応募者は「一流大学を卒業し、経歴は一流。論文も党の政策を研究した上で書かれている」という。

ということは民主党に公募しても、学歴も経歴も論文も優秀ということであり、有力な候補者になってもおかしくない、ということになる。

 

真剣さに欠ける自民党議員の活動 

自民党は議席を大きく減らし、立憲民主党は9議席から17議席へと増加した。

だが立憲民主党は、当初予想された20議席以上の大躍進とはならなかった。有名弁護士や元アイドルら目玉候補は軒並み落選。比例得票数も2017年衆院選の約1100万から約316万減の約792万に落ち込んだ。

本来なら、野党の不人気もあって、自民党が圧倒的な勝利となっておかしくなかった選挙であった。

自民党が、みすみす躍進する機会をのがしたのは、政策アピール一つとっても地域活動においても、真剣さに欠けていたからではないだろうか。(敬称略)