なぜ、日本などアジアの国々では感染死が少ないのか。その「ファクターX」を追う


木村良一(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員)

 

 

欧米から「とてもミステリアスだ」との声が上がる

なぜ、日本をはじめとするアジアの国々では「コロナ感染」や「コロナ感染死」が少ないのだろうか。新型コロナウイルス感染症の最大の謎で、欧米からは次のような声が次々と上がっている。

「日本は犠牲になりやすい高齢者が多い国」「高齢社会にもかかわらず、欧米のような完璧な閉鎖ではなく、外出の自粛という国民任せの緩やかな対策で感染を抑え込んだ」「日本だけではなく、アジアの国々の感染は少ない」「とてもミステリアスだが、背景に何か要因があるはずだ」

ノーベル生理学・医学賞を受賞した京大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授も、ネットやテレビでその要因を「ファクターX」と呼んで「明らかにできれば、今後の対策にいかせる」と語る。

80%以上の患者が無症状もしくは軽症で済んで回復し、14%の患者に深刻な症状がみられ、残りの5%が呼吸困難や多臓器不全など命に関わる病態になるのが、この新型コロナウイルス感染症だ。なぜ、無症状の感染者が存在するのか。重症化する感染者を前もって見極めるにはどうすればいいのか。アジアで感染や感染死が少ない要因を探ることによってこれらの難題を解決する糸口も見つかるはずだ。

新型コロナは無症状の不顕性感染が多く、実際にどのくらいの人が感染しているかを把握するのは難しく、しかも国によってPCR(特定の遺伝子によって感染の有無を調べる検査)の検査数や検査能力にばらつきがある。それゆえ今回は感染者数ではなく、感染死者数で判断する。

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トップのベルギーは日本の109倍以上もの感染死だ

札幌医大フロンティア医学研究所のゲノム医学科部門が、WHO(世界保健機関)のデータをもとにまとめ上げた「人口100万人あたりの感染死者数」(7月5日時点、グラフ参照)を見てみよう。同研究所の講師、井戸川雅史氏が送ってくれた。

ベルギー(843・1人)をトップにイギリス(651・1人)、スペイン(607・1人)、イタリア(576・5人)、スウェーデン(536・7人)、フランス(458人)、アメリカ(391・8人)、オランダ(357人)、アイルランド(352・6人)と上位に欧米の先進国が並ぶ。その後にチリ(323・9人)、ペルー(315・8人)、ブラジル(302・3人)、エクアドル(270・3人)、メキシコ(235・5人)の中南米の国々が続いている。世界平均が「68・1人」とあるから、欧米と中南米がいかに多いかが分かる。

アジアに目を移すと、インド(14人)、バングラデシュ(12・1人)、フィリピン(11・8人)、インドネシア(11・3人)は、いずれも20人以下だ。私たちの日本を見ると、「7・7人」と少ない。日本よりもさらに少ないのが、韓国(5・5人)、シンガポール(4・4人)、マレーシア(3・7人)、中国(3・2人)、タイ(0・8人)、台湾(0・3人)である。

新型コロナウイルス発祥の地である湖北省武漢市のある中国が「3・2人」というのは釈然としないが、世界で初めてオーバーシュート(感染爆発)を経験し、武漢市をロックダウン(都市閉鎖)して社会・経済を立ち直らせつつある中国の底力の源は、このコロナ感染死の少なさに由来するのではないか。

 

「交差免疫」が感染死を防いでいるのか

要因のひとつとして注目されているのが、「交差免疫」である。交差免疫とは類似のウイルスに感染することで、抵抗力を獲得して新たなウイルスを寄せ付けないようになる防御のことだ。

コロナウイルスの場合、今回の新型コロナウイルス感染症や重症急性呼吸器症候群のSARS(サーズ)、中東呼吸器症候群のMERS(マーズ)のほかに4種類が存在し、この4種類は通常の風邪の病原体ウイルスとして知られている。4種類のウイルスはいずれも動物の体から飛び出して人間の世界でアウトブレイク(地域的流行)やパンデミック(地球規模の流行)を引き起こして常在化するようになったのだと思う。

この4種類のコロナウイルスに繰り返し感染することで、新型コロナウイルスに対する免疫をある程度獲得し、感染しても重症化しにくくなる。これが交差免疫に基づいた考え方だ。つまり、日本を含むアジア地域ではこの交差免疫が効率良く機能することで感染死するケースがかなり少なくなっているのではないかと考えられる。

アメリカの研究チーム(ラホイヤ免疫研究所)が、新型コロナウイルスに感染していない保存血液に同ウイルスを反応させて調べたところ、50%の血液から交差免疫の反応が確認された。ドイツの研究グループでも、68人の血液を調べ、そのうち34%の血液から交差免疫反応を確認している。日本の研究グループによる調査でも同様な交差免疫が確認されている。

しかし、このように欧米でもかなりの割合で交差免疫反応が確認されているにもかかわらず、欧米で感染死する人が多いのはなぜなのか。コロナ感染死を抑えている要因が交差免疫だけではないのかもしれない。

 

「遺伝子の記憶」も考えられる要因だ

動物のコロナウイルスが変異し、人に感染するいまの4種類の風邪のコロナウイルスが誕生したのは、かなり古い時代のことだろう。コロナウイルスのような風邪ウイルスの明確な流行記録がないことから、人が文字類を持つ以前のことかもしれない。

交差免疫と同様に注目されている要因が、「遺伝子の記憶」である。人類はアフリカで20万年前に誕生して以来、移動にともなって世界各地で様々なウイルスや細菌などの病原体に感染してきた。感染する度に免疫ができ、それが遺伝子に記憶され、いまの私たちの体の中にも残っている。人間のDNA情報の8%は、ウイルスからもらったものだともいわれる。

仮にアジアで大昔、新型コロナウイルスによく似たウイルス(たとえば4種類の風邪コロナウイルス)が出現して流行したと考えると、その時点で人に免疫ができ、その免疫の記憶が日本人を含むアジアの人々の遺伝子に組み込まれた可能性がある。時代が古ければ古いほど交通手段は少なく、人の行動範囲は限定され、流行の規模は小さくなる。はじめは風土病のようにごく限られた範囲での感染だったのだろう。

しかし、遺伝子の記憶については獲得した免疫がどこまで遺伝するのか。どのような免疫が遺伝するのか。どんなメカニズムで遺伝子に組み込まれるのかなど、詳しいことは分かっていない。ましてや、新型コロナウイルスに関する太古の記憶が遺伝子に存在し、それが現代のアジアの人々の感染にどう作用しているのかについての答えは、これからの研究を待つしかない。

 

BCG接種や生活習慣の違いも関係しているのか

交差免疫と遺伝子の記憶。この2つ以外にも指摘されている要因がいくつかある。たとえば、結核菌の感染を予防するBCGワクチン。データ上、BCGを接種しているアジアの国では比較的、新型コロナウイルスに感染して亡くなる人が少ないというものだが、もともとBCGには訓練免疫という作用があり、人の身体に備わっている自然免疫を活性化させて病原体を寄せ付けない働きがあるといわれてきた。しかし、BCGと新型コロナとの因果関係を示す決定的な証拠はない。

ちなみに、BCGは牛の結核菌の病原性(毒性)を弱めたいわゆる生ワクチンで、日本では生後1歳になる前の乳幼児に1回接種している。BCGという名前は、ワクチンを開発したフランスのパスツール研究所の2人の細菌学者の名前から取られた。

ところで、厚生労働省が実施して6月16日に公表した抗体検査の結果で、抗体保有率が東京都0・1%、大阪府0・17%、宮城県0・03%と異常に少なかった。その理由は抗体が長続きしないとか、抗体ができにくいというよりも、抗体ができ上る前に前述した自然免疫が働いて感染を抑えているからかもしれない。

BCGのほかにも指摘される要因はある。欧米に比べ、アジアは肥満が少なく、心臓病や血糖値障害という基礎疾患(持病)に結び付きにくい。アジアにはキスやハグ(抱擁)の生活習慣がない。手洗いやマスクの着用が日常生活になじんでいる、などである。ただし、ハグはオキシトシンというホルモンの分泌を促し、免疫力を高める。いたずらにハグを禁止することで感染が増す危険性もある。

ここまでに挙げたいくつもの要因が重なり合うことで、新型コロナに罹患しても、死亡することが少ないのではないかとも指摘されている。

以上、日本やアジアの国々で感染死者数が極端に少ない理由について考察してきたが、今後、必要なのはしっかりと要因のファクターXを探り出して新型コロナの防疫に役立たせることである。

 

―以上―

※慶大旧新聞研究所OB会が編集しているWebマガジン「メッセージ@pen」の8月号から転載しました。

http://www.message-at-pen.com/?cat=16