木村 良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
■5月8日から引き下げ
感染症の対策にはバランス感覚が欠かせない。小学生のとき、体育の授業で平均台の上を歩かされたことがあると思う。平均台の幅は10センチ足らず。バランスを失うと、平均台からドスンと落ちる。それは感染症対策では失敗を意味する。対策が強すぎると社会・経済の活動が大きく滞り、反対に弱すぎると感染症が蔓延する。
雪山の登山=写真(初春の硫黄岳、筆者提供)=で、雪の斜面をトラバース(横断)する難しさにたとえてもいい。ピッケルやアイゼンの扱いを誤ると、体のバランスを崩し、滑落して大けがを負ったり、命を失ったりする。パーティを組んだ仲間を巻き込むこともある。
4月27日午前、加藤勝信・厚生労働相が記者会見を開き、新型コロナウイルス感染症の「5類」移行の正式決定を発表した。厚労省の専門家らによる厚生科学審議会(厚労相の諮問機関)感染症部会の了承を受けた決定で、5月8日に感染症法上の位置付けが「2類相当」から季節性インフルエンザと同じ危険度の一番低い5類に引き下げられる。
3年前の2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言し、欧米がロックダウン(都市封鎖)に踏み切るなか、日本も4月7日に緊急事態宣言を7都県に発出(4月16日からは47都道府県に拡大)した。あれ以来の大きな節目である。それだけに私たちは今後の感染状況の変化から目を離してはならない。
■感染者の外出も個人の判断
27日の記者会見で加藤厚労相は「重症度でオミクロン株を上回る変異株は確認されていない。リスク上昇の心配はない」と説明し、「感染の状況は監視を続け、幅広い医療機関がコロナの患者を受け入れる環境づくりも進めていく」と話した。
5類に移行すると、私たちの生活はどう変わるのか。行政が様々な要請を求めてきた感染対策が、個々人の判断に委ねられ、一律の行動制限がなくなる。
たとえば、感染症法に則った入院の勧告がなくなり、感染者や濃厚接触者に対する外出の自粛要請もなくなる。感染者は発症の翌日から5日間は外出を控えることが推奨されるものの、外出は基本的に個人の判断に任せられる。その一方で、全額公費負担の医療費が通常の医療費と同様に1割~3割の自己負担となる。ただし、9月30日までの経過措置として高額な治療薬は公費で補助される。入院の費用は年収などに応じて上限が決まる高額療養費制度が適用され、最大で月2万円の減額もある。ワクチンも2023年度内は公費負担で無料接種できる。
感染者数の全数把握も廃止され、季節性のインフルエンザと同じように全国およそ5000の医療機関による定点把握に変わる。水際対策では日本人を含む全ての入国者に対する空港や港でのこれまでの入国制限(陰性証明書とワクチン接種証明書の提出)の撤廃が前倒しされ、4月29日午前零時の時点で廃止された。
■「第9波が起きる」と警告
加藤厚労相の記者会見では、感染の再拡大による医療の逼迫に備え、全国8400の医療機関で最大で5万8000人の入院患者を受け入れられるよう医療体制を整えることも明らかにされた。
新型コロナウイルスが消えてなくなったわけではない。規制の緩和に向かって突っ走るのではなく、こうしたバランス感覚を持った対策こそ重要だ。感染症対策は危機管理そのものである。常に最悪の事態を念頭に置いておく必要がある。ただし、政府の3年間の感染症対策には失敗した事例も多い。なぜ失敗したかをしっかりと早期に検証したうえで実効性のある対策を取ってほしい。
ところで、4月19日に感染対策について助言する厚労省の専門家会合(アドバイザリーボード)が開かれ、「現在の感染状況は、緩やかな増加傾向となっているが、この冬の第8波を越える規模の大きな第9波が起きる可能性がある」と警告する文書が公表された。4人の有志がまとめ上げた。
それによると、日本は新型コロナに対する免疫(抗体)を持つ人の割合が4割で、9割近い人が免疫を持つイギリスなど欧米諸国と比較するとかなり低い。とくに日本は世界で最大の高齢化が進んだ国でもあり、新型コロナの流行がこのまま継続し、流行の大きな山ができると、高齢者を中心に死者が発生し続ける恐れがあるという。
繰り返すが、新型コロナのウイルスは存在している。しかも人に感染しやすいように変異し続けている。それゆえ、最悪の事態を見据えた危機管理が求められる。ただし、警戒し過ぎて大切なバランス感覚を失ってしまっては元も子もない。
■「5つの基本」を遵守
4月のメッセージ@penで「高レベルに押し上げられた危機意識を引き下げ、マスクを外してもとの生活に戻ろう」と呼びかけた。マスクの着用は3月13日から個人の判断に委ねられているが、もちろん、これにもバランス感覚が必要で、その場に応じた臨機応変の着用が求められる。具体的には発熱の症状があって咳が続く場合や、混み合う朝晩の通勤ラッシュ時の電車やバスの中、あるいは重症化リスクの高い高齢者と接触するときなどである。
厚労省の専門家会合も5類への移行にともない、「状況に応じたマスクの着用」など「5つの基本」を挙げている。他の4つはというと、「3密(密閉・密集・密接)の回避と部屋の換気」「帰宅時の手洗いの励行」「適度な運動と栄養を考えた食事」「症状のあるときの自宅療養や病院受診」である。どれも当然の感染対策ではあるが、これからは個人個人がその場そのとき、その状況に応じて判断して実行していく必要がある。そのためにもバランス感覚が重要となる。やはり感染症対策にはバランス感覚が欠かせない。社会的にもそうだし、個人的にも然りである。
このゴールデンウイーク(GW)で人と人との接触の機会が増す。ワクチン接種や感染でできた免疫も時間の経過とともに下がってきているし、オミクロン株から派生した免疫を回避する変異ウイルスの割合も増えている。その結果、間違いなく感染者の数は増える。新型コロナが通常の風邪になって落ち着くまでに「短くても10年はかかる」というウイルス学者もいる。
問題は重症者や死者の数をどれだけ減らすことができるかだ。5類に引き下げられると諸手を挙げて喜ぶのではなく、個々人が5つの基本をしっかりと守りながら、高齢者や基礎疾患のある人をどう守っていくかを考え、新型コロナ対策を続けていきたい。それには一にも二にもバランス感覚を持つことである。
―以上―
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の5月号(下記URL)から転載しました。