2024-11-4(令和6年)木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
1周忌集会では補償を巡って日航に対する不満が爆発した。右から4人目が日航の山地進社長=1986年8月2日、前橋市の群馬県教育会館(『旅路』から)
13回忌の灯籠流しで遺族たちは犠牲者の冥福を祈った=1997年8月11日、群馬県上野村(『旅路』から)
■遺族の反応が気になった
先日、「8・12連絡会」の美谷島邦子(みやじま・くにこ)さんと電話で話した。美谷島さんは、9歳になる小学3年の次男を1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故で亡くし、事故直後から遺族で作る8・12連絡会の事務局長を務めている。航空、鉄道、船舶の事故や事件の被害者に寄り添う活動やその半生が新聞の記事はもちろんのこと、テレビドラマや映画、ネットにも取り上げられ、大きな反響を呼んできた。
なぜ、美谷島さんと連絡を取ったかというと、拙著『日航・松尾ファイル』に対する遺族の反応がずっと気になっていたからである。実は、本屋に並ぶ前の6月20日、美谷島さん宅に拙著を送り、翌日、ショート・メールでこんな内容の返事をもらっていた。
「いま届きました。これから関東電気保安協会の安全大会で講演です。日本教育会館の一ツ橋ホールで話してきます」
「(私のことについて触れた)あとがきは問題ありません。先週は日航のオペセン(オペレーションセンター)で話しました。忘れないこと、忘れさせないことで生まれてくるものがあると思います。ご本がその導きとなりますよう願っています」
「今日は感電死された方々の犠牲を忘れないための安全大会です。今度、私の講演を聞きにいらして下さい。ご本、しっかり拝読いたします」
■被害者も加害者もない
これだけの返事をもらっていても心配だった。拙著のサブタイトルが「日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか」で、内容も大切な肉親を失った遺族の気持ちを逆なでしかねない可能性もあると考えたからだ。もちろん、拙著で書いたことは取材で得た事実ではあるが、正直言って出版しない方がいいかもしれないと悩んだこともあった。
今回の電話での美谷島さんの答えは、遺族の方々が拙著を「肯定的に受け入れてくれている」という内容だった。その話を聞いて「良かった。ホッとした」と嬉しくなった。
美谷島さんは11月26日から28日にオランダ・ハールレムで開かれるICAO(国際民間航空機関)の「航空事故の犠牲者とその家族への支援に関するシンポジウム」で講演する予定で、いまそのための準備に追われている。美谷島さんは「来年で御巣鷹山の事故から40年です。ICAOでは事故は被害者も加害者もないという話をしてきます」と話していた。
拙著のあとがきの最後にこう書いた。
〈520人という数の命を奪ったことで、日本航空やボーイング社の関係者は自責の念に駆られ、耐え切れぬほどの苦しみと痛みを負ったはずだ。だから彼らも犠牲者だし、被害者だと、私は思う。航空事故は関係するすべての人に対し、理不尽でどうしようもなく重く暗い影を落とす〉
出過ぎた言い方だが、美谷島さんもこうした思いなのだろう。
■撃墜説はエビデンスに欠ける
ところで拙著を書き上げるための取材で強く感じたことだが、ジャンボ機墜落事故の日航123便は自衛隊機、あるいは米軍機によって撃墜され、証拠隠滅のために群馬県の御巣鷹の尾根に墜落させられたとの陰謀論がいかに多く巷にはびこっているかに驚かされた。しかもエビデンス(証拠)のない撃墜説をまとめただけの書籍が売れている。これはどう考えたらいいのだろうか。
まず断っておきたい。日航123便はボーイング社による後部圧力隔壁の修理ミスが原因で噴出した客室の与圧空気によって垂直尾翼や油圧システムが吹き飛ばされ、操縦不能に陥って墜落した。当時の運輸省航空事故調査委員会(事故調)はフライトレコーダーとボイスレコーダーの解析、それに墜落現場で見つかった隔壁の損傷状態から極めて科学的にこの結論を導き出している。
爆撃の有無についても、事故調は1987年6月に公表された報告書の「爆発物等に関する調査」(本文63ページ)にこう記した。
〈墜落現場及び相模湾等から回収された機体残骸のうち、客室内装材、化粧室内装材、後部圧力隔壁、垂直尾翼取付部及び水平尾翼取付部等から採取した試料約160点について、火薬、爆発物等の含有の有無について調査した結果、いずれの試料からもアンモニウム、塩素等(無機物)及びニトログリセリン、
トリニトロトルエン(有機物)の成分は検出されず、また各残骸の破損状態から爆風を受けた形跡等は認められなかった〉
つまり事故調の調査と検証の結果、ミサイル、砲弾、弾丸など爆発物の存在は皆無なのである。それにもかかわらず、撃墜説は消えない。それどころか、勢いを増しているように見える。
■衝撃性に好奇心をくすぐられるのか
航空評論家で元日航機長の杉江弘さんは、自身の著書『JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相』(宝島社)の中で撃墜説を「非科学的な説」「妄想」「1点たりとも確実な証拠がない」と否定し、こう指摘している。
〈詳しい経緯や科学的な実証データに基づく論理的な話よりも、主観的な憶測に基づく単純明快で耳に入りやすい陰謀論のほうが気楽なのかもしれない〉
〈ミステリアスかつ衝撃的な内容で、好奇心もくすぐられることだろう〉
なるほど、たとえ興味本位の作り話でもセンセーショナルな内容の方がより目を引くということなのだろう。だが、果たしてそれでいいのか。
拙著『日航・松尾ファイル』に登場する元日航取締役(技術・整備担当)の松尾芳郎さんは、元日航労働組合委員長の小倉寛太郎氏(2002年10月、72歳で死去)と旧制湘南中学の同級生だった。小倉さんは日航の組合活動などを扱った小説『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)の主人公のモデルになった人物として知られている。
太平洋戦争中だったが、湘南中学では松尾さんも小倉さんも飛行機に強い憧れを持ち、意気投合して航空の話に夢中になった。しかし後年、日本航空社内では航空エンジニアの頂点に立つ幹部とストライキを繰り返す労組トップという真逆の立場となる。小倉さんは、松尾さんが理路整然と何度も隔壁破壊による墜落原因を説明しても撃墜説を固持して譲ることはなかった。
松尾さんは「小倉君は筋金入りの活動家だった。いま陰謀論を主張しているのは、彼のもとにいた人たちだと思う」と説明する。
■嘘を見抜くリテラシーを養いたい
陰謀論や撃墜説で苦しむのは遺族たちである。ましてや愛する肉親をどうして失わなければならなかったか、その真相は不明のままだ。ボーイング社が隔壁の修理ミスが起きた理由を明らかにしないからだ。
そんな遺族たちを非科学的でエビデンスに欠け、好奇心をくすぐるだけの陰謀論や撃墜説で苦しめていいのだろうか。陰謀論を主張する人々は、遺族の気持ちを考えたことはあるのか。陰謀論に基づく書籍を発刊する出版社は、社会的責任をどう考えているのか。売れれば、もうかれば、それでいいと思っているのだろうか。そうだとしたら歪んだ商業主義だ。
陰謀論や撃墜説に騙されてはならない。嘘を見抜くリテラシー(読解力)をしっかりと養うことが大切である。
陰謀論に対し、8・12連絡会の美谷島さんは「『許せない』を通り越しています」と訴えるが、私も1人のジャーナリストとして遺族を苦しめる陰謀論や撃墜説は許すことができない。
最後に、8・12連絡会が墜落事故から21年間の活動を記録した『旅路 真実を求めて』(初版2006年8月12日)のまえがきの一部を抜粋する。
〈旅は21年前に始まりました。愛する人を失ったものたちが集まり、手を添え合うように生まれたひとつの輪。私たちは誓い合いました。嘆き悲しむだけでなく、顔を上げること。心の中に生き続けるみたまを慰めること。かけがえのない命とひきかえに空の安全が訪れるのを見届けること。そしてそのために、事故の真相をすべて明らかにすること―〉
遺族たちが一番知りたいのは、愛する家族がどうして亡くならなければならなかったか、その理由である。陰謀論や撃墜説ではない。なぜ日航ジャンボ機墜落事故は起きたのか。40年近くその答えを求め続ける遺族たちの姿を思うと、目頭が熱くなってくる。
―以上―
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の2024年11月号(下記URL)から転載しました。