2025-10-2(令和7年)きむら・りょういち(慶大旧新聞研究所OB)
半世紀以上も前の話である。中学1年になったころ、玄関を入ってすぐ脇の四畳半が私の部屋だった。そこで勉強し、夜は畳の上にマットレスを敷いて寝ていた。机は父親から譲り受けた座り机だった。机の上には、半球状のカバーが付いたスタンドを置いていた。鈍く光るアルミ製のそのカバーの中に裸電球がねじ込まれ、スタンドの首は自由に曲がって手元の本やノートを照らしてくれる。これも父親のお古だった。
学校から帰ると、すぐにラジオのスイッチを入れた。そのラジオもかなり古かった。真空管を使ったミカンの木箱ほどの大きなもので、音量の調整や周波数の同調は、直径4センチぐらいのツマミを回す。スピーカーとチューニングメーターの部分に薄褐色の網目の布が貼られていたのを覚えている。当時、わが家ではもっぱら白黒テレビばかりでラジオは聞かなかった。だから私が必要になって古いラジオを押入から引っ張り出してもらったのである。
そのラジオで何を聞いたかというと、NHKラジオ第2放送の「基礎英語」だった。NHKアーカイブスによると、基礎英語は大正末期からの「英語講座初等科」を改題し、「基礎英語講座」の名称で1933(昭和8)年からスタート、大戦で一時放送停止となり、戦後の1945年11月から再開した。1961年から基礎英語という名称になり、その後、形を変えていまも続いている。これに対し、文化放送などの民放がカジュアルな雰囲気で始めたのが、「百万人の英語」(1958年〜1992年)だった。
私がラジオで聞いた基礎英語は確か、夕方の6時台に放送されていたと思う。単語を発音するときの舌の巻き具合や唇の動かし方、それに日常会話までネイティブの生の英語を聞きながら学ぶことができた。この基礎英語を聞くことが、学校から求められた課題だった。
ところがである。基礎英語のオープニング音楽が流れ、講師の流ちょうな英語が聞こえてくると、ついウトウトしてしまう。放課後のクラブ活動の運動でくたくたになっていたから無理もなかった。眠らないように音量を大きくしているにもかかわらず、電気スタンドの裸電球の黄昏色に染まった光に照らされながら机の上にうつ伏せになって心地いい眠りに落ちる。畳の上の大きな古いラジオから流れる基礎英語のテーマソングと講師の発音だけが周囲に響き渡った。
当然、基礎英語の大きな音は隣の家にも聞こえた。隣家に住んでいたのは、少々年配の夫婦だった。子供はなく、夫婦ともに高校の教師だった。聞こえてくる基礎英語に「お子さんは英語をしっかり勉強されている。偉い。将来が楽しみですね」と私の両親に話していた。
正直、その話を聞いて心が重かった。眠ってしまい、ほとんど聞いていない。それにもかかわらず、褒められる。「実は…」と隣家に話そうかとも思った。もちろん、両親は眠り込んでいる私に気付いていたようで、ラジオの大きな音量も問題だと考えたのだろう、しばらくしてイヤホーンが付けられる小型のトランジスタラジオを買ってくれた。
こんな状態だったから英語のスピーキングとヒアリングは大の苦手である。海外を旅行すると、私の英語はほとんど通じない。相手の話も理解できない。現在はスマフォに翻訳機能があって通訳をしてくれるからいいが、以前は旅行に同行してくれる妻の英語力が頼りだった。自己弁護しておくと、それでも学校の英語の試験はトップクラスだった。スピーキングとヒアリングがなかったからだ。
いま自宅リビングにあるBOSE(ボ―ズ)に内蔵されたラジオから英語の声が聞こえてくると、あの黄昏色の淡い記憶が蘇る。
ー以上ー
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の2025年10月号(下記URL)から転載しました。
◎「メッセージ@pen」の放送100年の企画です。