「明治日本の産業革命遺産」 ユネスコ登録から10年


令和7(2025)年11月10日    鳥居徹夫 ( 元文部科学大臣秘書官 )

「明治日本の産業革命遺産」が、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産に登録されて10年。ユネスコ登録が実現したのが2015年(平成27年)。

この産業革命遺産は、全国8県11市の広域にわたり、また現役で稼働している稼働施設もある。

韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)、軍艦島と呼ばれる長崎県長崎市の端島炭坑、橋野鉄鉱山・高炉跡(岩手県釜石市)、三重津海軍所跡(佐賀市)、さらには多くの人材を育てた松下村塾と萩城下町(山口県萩市)、明治期に作られた船渠やジャイアント・カンチレバ-クレーンがいまも現役として稼働している長崎造船所(長崎市)、官営八幡製鐵所(福岡県北九州市)など23施設で構成されている。

海外では、現役の稼働資産や、シリアル・ノミネーション(広範囲に点在する資産で、全体として普遍的価値を有するもの)も、産業遺産としてユネスコに登録されている。そして日本においても、同様にユネスコは産業遺産として世界遺産に登録した。

幕末のペリー来航からわずか半世紀で、日本は世界有数の技術立国へと成長し、近代国家としての基盤を築いた。それまで幕府は、200年余の長きに渡って鎖国政策をとり、西洋科学に門戸を閉ざしていた。

その東洋の島国が、わずか半世紀で工業立国の土台を築き、急速に産業化した道程を、時系列に沿って物語っているのが『明治日本の産業革命遺産』である。

その過程を物語る産業遺産群は、国際社会においても共有されるべき文化資産であり、教育的価値も高い。

日本は、西洋技術を取り入れながら、自らの力で人を育て、産業を興し、産業国家となった。幕末から明治にかけ近代化を成し遂げた日本の産業資産の歴史的価値を、世界が称賛したのであった。

海外では、現役の稼働資産や、シリアル・ノミネーション(広範囲に点在する資産で、全体として普遍的価値を有するもの)も、産業遺産としてユネスコに登録されている。

しかし日本においては、文化の振興や国際文化交流を調査審議する文化審議会や、文化庁、文部科学省といった既存の行政ルートにはなく阻まれ、事実上の門前払いであった。

この既定路線に、新しい流れを吹き込んだのが「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ申請を目指す野心的挑戦であった。

その挑戦が日本においても産業遺産として、ユネスコの世界遺産登録を実現して10年が経過した。

◆現代にも通じる、明治人の気概と情熱 

世界文化遺産登録に向けたユネスコ申請の要請を受けた時、私(鳥居)は文部科学大臣の秘書を務めていた。当時は民主党政権であった。

要請側には、文教族が多い自民党よりも、しがらみのない民主党政権の方が、スムースに進むのではないかという感触があったように感じられた。

そこで稼働資産など文化財保護法の適用除外を模索し、多くの議員や関係者の尽力を得て、内閣官房に「世界遺産室」が設置され申請の作業が進められた。

これらを経て、安倍晋三政権で閣議決定がなされ、ユネスコへの正式申請を経て、2015年(平成27年)世界遺産への登録が実現した。

ユネスコ登録から10年を経た現在も、我が国を取り巻く国際情勢は厳しさを増しているが、海洋国家としての日本の針路を切り開いてきた明治の先駆者たちの気概は、令和の時代にも脈々と受け継がれている。

「明治日本の産業革命遺産」は、単なる歴史的施設群ではなく、近代日本の出発点を象徴する。 

世界へと跳躍した明治人の挑戦と創意は、現代日本にも通じる精神である。

明治日本における、わが国の重工業(製鉄・製鋼、造船、石炭産業)におこった大きな変化が、日本の半世紀の近代化であり、産業国家の建設である。これら重工業は、今なお日本の産業基盤を支える重要な領域である。

世界遺産登録から10年の節目にあたり、明治の先駆者の気概に思いを馳せながら、未来の技術革新と国際連携を見据え、あらためて更なる発展を期待したい。

《参考》産経新聞(平成30<2018>年1月22日)

【歴史戦】明治産業遺産―前川氏主張に高木元文科相ら反論

www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220024-n1.html