新しい政党、立ち上げの明暗


  2026(令和8)年 2月12日  鳥居徹夫(元文部科学大臣秘書官)

第220回通常国会は召集日の冒頭1月23日に解散となり、第51回総選挙は1月27日公示、2月8日投票で実施された。

この総選挙に向けた情勢の中で、1月15日に新党「中道改革連合」が結成され、通常国会開催日の前日22日に結党大会が開催された。

「中道改革連合」は、立憲民主党と公明党の衆議院議員と候補者が離党し、新たに集まって結党した。「中道改革連合」は衆議院だけで、立憲民主党、公明党は存続する。参議院議員や地方議員は、新党に加わらない。

仮に新党の名称が「立憲公明民主連合」ならば、略称として届ければ「立憲」も「公明」も有効となるし、「民主」であれば国民民主党と得票按分となる。

比例の投票用紙には「中道改革連合」、略称の「中道」など政党名を連想させないと有効とはならない。

投票用紙に、立憲や公明と書くと無効になる。「中道改革連合」は、立憲民主党や公明党の後継政党ではないからである。

しかも選挙直前に結党した政党名は、これまでの支持者や有権者への周知徹底が簡単ではない。

衆議院の立憲民主党の離党者や、公明党の離党者が集まった「中道改革連合(中道)」は、政党名の浸透が鈍い。立憲民主党出身の候補者は、自分の名前はアピールするが、ポスターの政党名は小さい。

これまで立憲民主党所属の候補者であることを強調して運動してきたが、立憲民主党のネームバリューは、発足時のパンチはないものの、その遺産が使えなくなった。

しかも「中道」という名称はなじみにくいしイメージがわかない。当初ネットや一部報道に「中革連」という紹介があったが、中核派と全学連が合わさったものに見えかねない。

「中道」という言葉は、左右の中間のイメージだが、共同代表の野田佳彦らは「そうではない」と強調したが、公明側にとって「中道」とは、信仰と政治を結ぶ宗教用語を想起させる。有権者からみると、「中道」はカルト的なイメージに見られかねない。

 新党の「中道改革連合」は、立憲側から見れば、創価学会票が加わるとの期待が集まったが、反創価学会の票や無党派票が逃げた。

 選挙直前に新しい党を作っても、選挙対策の野合では失望を招く。沈滞した状況を打ち破る「わくわく感」がないと躍進が期待できない。

たとえば新党のトップに、強烈なキャラクタ―があり、さらに沈滞した政治打破が旗印ならば、より相乗効果を発揮し大化けする。

たとえば結党時で見れば、橋下徹氏らの日本維新の会、枝野幸男の立憲民主党など。古くは河野洋平氏らの新自由クラブ、細川護熙氏らの日本新党、小池百合子氏の都民ファースト、さらには池田大作氏の公明党もそうである。

新たに参入した、神谷宗幣氏の参政党、安野貴博氏の「チームみらい」も、それに近いと言えよう。

 また新党のネーミングで失敗し、スタートダッシュできなかったのが「立ち上がれ日本」と「保守新党」であり、「タチガレ(立ち枯れ)」、「ホシン(保身)」と揶揄された。

 選挙結果を見ると、今回の「中道改革連合」も、典型的な失敗例である。政党名もリーダーも、有権者を惹きつけるものがなかった。

 新党立ち上げには、既成政党から分離したケースが多いが、今回の「中道」は、落ち目の政党からの合流であり、選挙対策の互助会としての新党である。

今回の中道改革連合は選挙目的で、対立していた与野党が当選のため、政策抜きの野合であった。そのため立憲の支持団体である労働組合や支持者には説明もなく、所属政党の名称変更と比例政党の支持を、一方的に求めた。

選挙では候補者や政党の知名度が重要だが、政党トップが決断すれば、支持団体や地方組織、そして支援者も応じてくれるような感覚は異様であった。

しかもトップは野田佳彦と斎藤鉄夫で昔の顔である。いまだ過去の栄光の座にしがみついている長老支配・高齢者中心の政党になっている。これでは若い層が寄り付かない。

新しく誕生した政党でありながらフレッシュな感じがなかった。有権者からどうみられるのかを理解できなかったようだ。つまり落ちるべくして落ちたということ。

 旧立憲の候補者は旧公明の票で各選挙区に1~2万増えるという皮算用で、解散直後は緊迫感がなく、かなり緩んでいた。

選挙結果は、自民党が全議席の3分の2を上回る316議席を獲得。まさに歴史的大勝。

一方、中道は172議席が49議席となる大惨敗であった。しかも公明出身議員が全員比例上位で当選しね24名から28名と躍進。逆に小選挙区のみの立憲民主党出身議員は が148名から21名へと大幅に減らすこととなった。

 新しい政党の成否には、大義名分はもちろんであるが、政党のネーミングとトップの強烈なキャラクターがセットで必要とされる。