人工衛星への電波応用(第2回)
- 通信衛星 (1) –
2021-05-30(令和3年) 豊岡秋久
衛星による通信は、地表面に沿った電線ケーブルもしくは短波(主として数MHz~数10MHz)による通信が主要な手段であったグローバルな通信の形態を大きく変えるものとなった。これまでに打上げられた通信衛星の累積の数は膨大であり、そのうちの代表的な物を、今回と次回の二回に分けて報告をすることにしたい。今回は、初期(1980年代までを目途として)の通信衛星(除く日本)について紹介を行い。次回は日本の通信衛星の経緯および、現段階での衛星通信の状況及び将来的な大容量衛星通信の計画などに関して紹介することとしたい。
Satellite communications have significantly changed the form of global communications, in which electrical cable communications along the surface of the earth and shortwave radio technology (mainly several MHz to several tens of MHz) were the main means. The cumulative number of communication satellites launched so far is enormous, and I would like to report on the typical ones dividing two sections. This time, I will introduce the early days (until 1980s) communication satellites (excluding Japan). Next time, would like to introduce the history of Japanese communications satellites, the status of satellite communications as of now, and plans for future large-capacity satellite communications.
(世界最初の通信衛星 エコー)
1.グローバル通信衛星の最初のアイデア
1945年にワイヤレス・ワールド誌に掲載された静止衛星通信の提案は、アーサー C.クラーク卿の将来に関する予測として有名である。1965年4月6日に最初の商用静止通信衛星であるIntelsat I(Early Bird)が打上げられ、20年以内にこの予測が実現した時点で、この予測は真剣には顧みられなかった。
ワイヤレス・ワールドの1945年2月号(58ページ)に掲載された「Peacetime Uses of V2」というタイトルのクラークの編集者へのレターでは、クラークは、「将来、ナチス・ドイツ軍が作ったV2のような強力なロケットで赤道上空36,000kmの円軌道に物体を打上げることができる時代が来れば、地上からは静止して見えるので、これを使えば大陸間の電話中継やラジオ放送ができるのではないだろうか…」と述べ、さらに「正しい距離に置いた人工衛星は同じ地点の上に静止したままで、地球の表面のほぼ半分が光学的見通し範囲内となる。正しい軌道上で120度離れた3つのリピーター・ステーション(人工衛星)を使って、TV電波やマイクロ波により地球全体をカバーすることが可能である。」と述べている。(図1はワイヤレス・ワールドからの転載記事に依る)
詳細に述べると、地球の中心から約42,164kmの距離、つまり平均海面から約35,787 kmの距離にある赤道上の円軌道にある衛星は、地球の自転に等しい周期となる。地球上から見れば、衛星は赤道上の同じ点で静止した状態となる。2021年、クラークの予測した軌道には500を超えるアクティブな衛星がある。
図1:クラークが示したグローバル通信衛星の構想(出典: 向殿氏の”衛星通信時代の幕開け”より)
2.通信衛星の種類
(1)受動型通信衛星
1957年に当時のソビエト連邦が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功して実現性が検討された。当初は軌道上で安定に動作する中継機のトランスポンダの開発が困難で、受動型衛星のエコー1号と2号で実験された。この衛星は金属皮膜をもつ風船で、軌道上の衛星を電波信号の反射板として用いるものである。(後述を参照)
(2)能動型通信衛星
地上から送信された電波信号を衛星で受信して電力増幅し、高利得のアンテナにより地上に向けて送信する通信衛星。テルスター衛星は初めての能動型通信衛星である。ベル研究所で開発されたCバンド*のトランスポンダを装備していた。この時のアップリンク6GHz帯、ダウンリンク4GHz帯という周波数の組み合わせはその後広く通信衛星で用いられるものとなった。
*Cバンド:無線通信で用いられる周波数帯域のうち、4-8GHz帯の電波で、通信衛星・固定無線・無線アクセス・気象用レーダーに適用されている。
(3)静止通信衛星
赤道上の静止衛星軌道上に位置し、地上からは同じ位置に静止してオペレーションを行う通信衛星。1963年7月26日に打上げられたシンコム 2号は、完全な静止状態を得られず、メキシコ沖の大西洋上空で8の字状に動くものであった。通信品質はそれ程でも無かったが、実用に供した。1964年8月19日に打上げられたシンコム 3号は、太平洋の日付け変更線上で静止、同年の東京オリンピックにおいて日米間のテレビ画像伝送が実施され、通信衛星の有用性を広く世界の放送・通信関係者に印象付けることとなった。
1964年、静止通信衛星による国際通信網を運営するための国際協同の組織インテルサットが日本や米国を含む18カ国で設立された。インテルサットは1965年にインテルサット I号シリーズの衛星を打ち上げて商用の国際衛星通信サービスを開始した。
(4)低軌道衛星
低軌道衛星は、軌道周期が1日よりかなり短い低高度の衛星で、利用者の上空を通過する時間のみが通信可能となる。通信可能範囲を広げるために多数の衛星を必要とし、一群の衛星を連動して稼動する場合は衛星コンステレーション(編成)が必要である。近年、通信容量の増大が求められ、多数の近距離の衛星による通信サービスが実現されつつある。(詳細は次回に紹介予定)
3.通信衛星の具体例
以下に1980年代までの主な通信衛星に関して紹介をする。
3.1 エコー衛星(Echo)
NASAは1960年8月12日にエコー I通信気球衛星の打ち上げを行った。エコー Iは、NASAラングレー研究所のSpace Vehicleグループによって設計され、ミネソタ州ミネアポリスのGeneral Millsによって製造された直径100フィート(30.5メートル)の衛星である。1959年の地上膨張試験で公開された。(図2の写真参照)
エコー 1は、中継通信として無線信号とレーダー信号を反射するパッシブ通信衛星(表面に貼られたアルミ箔で反射する)であり、歴史上初めて、衛星を用いた音声通信と、TV放送の試験運用に成功した。また、一定期間にわたって正確な追尾を行うことで、軌道の変動を追跡し、大気の上部の空気密度の変化を調査するためにも使用された。
重さ150ポンド(68 kg)の衛星は、宇宙空間に到達した後に膨張させられた。隕石によって生じる穴や衛星の表面素材自体の気体透過性に対して、膨張した球を保持するため、ガス供給システムが衛星の内部に組み込まれていた。
図2 エコー衛星の地上での膨張テストの様子。写真の下に見られる車、人と比較し巨大さが分かる。(出典:NASA)
3.2 テルスター(Telstar)
テルスター衛星はNASAが打ち上げた通信放送衛星。テルスター1号はAT&Tの依頼を受けてベル研究所が製作したもので、1962年7月10日にケープカナベラル空軍基地からソー・デルタで打ち上げられ、パリからアメリカへのテレビ中継に成功した。衛星は、トランジスタによる機器を搭載し、ソーラーパネルで覆われた77kgの34.5インチの球体であった。姿勢制御はスピン安定方式、ミッション機器である送信機を2つ搭載していた。TV放送に加えて、Telstarは電話、データ送信、画像ファクシミリの中継を行った。テレメトリはPCM/FM/AMで変調され、受信するのに1分ほど要した。
テルスターの問題は、当時の技術的問題で低軌道のため、衛星が大西洋を通過する時に約18分間しか放送できないということであった。また、打ち上げの13日後から米-欧間でのテレビ放送の生中継が行われたが、ドイツからの製鉄所の高炉の映像、ニューヨーク市街、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの映像はともに現在と比較すると画質が相当悪かった。当時の技術的限界からもともと耐用期間が短かった上、高高度核実験による電磁パルスの直撃を受けたこともあって、運用できたのはわずか7ヶ月であった。
テルスター2号は1963年5月7日にケープカナベラル空軍基地からデルタBで打ち上げられた。テルスター1号と基本的に同じ機体であったが、テルスター2号はヴァン・アレン帯における高エネルギーの陽子および電子の分布を計測する科学衛星の位置づけも兼ねていた。
図3 テルスター衛星: 1964年にオハイオ州クリーブランドの公会堂で開催されたParade of Progress Showに展示された。(出典: NASA)
3.3 リレー衛星(Relay)
1960年初頭に、NASAは、パッシブ通信衛星実験(エコー衛星)に加えて、低高度アクティブ衛星プロジェクトを計画。1961年のソビエト連邦の「宇宙スペクタキュラー」の影響と、その後のジョンF.ケネディ大統領による強力な米国宇宙プログラムへの支援の結果、NASAは、このプロジェクトを支援のための資金を受けるに至った。リレー衛星は楕円形の低軌道を飛んだアメリカの人工衛星、リレー1号とリレー2号の総称である。両者ともNASAが資金提供を行い、RCAが開発を行った実験的な通信衛星でもあった。
リレー1号は1962年12月13日、ケープカナベラル空軍基地のLC-17Aから、デルタBロケットに搭載されて打上げられた。地球の放射線帯をマッピングするために設計された放射線の計器も搭載されていた。遠地点は7500kmで近地点は1300kmの軌道であった。
図4 リレー1号 (出典: NASA)
リレー1号は初めてアメリカのTV信号を、太平洋を越えて送信することに成功。最初の放送(1963年11月22日、2027:42-2048 (GMT)、ダラス時間午後1時27分)は、米国大統領(ジョン・F・ケネディ)から日本国民へ1963年11月20日にホワイトハウスにて事前に録画されていたスピーチを放映する予定であったが、何とジョン・F・ケネディの暗殺が伝えられることになった。次の周回において、”Record, Life of the Late John F. Kennedy”という番組が放送された。これはアメリカと日本で同時に放送された最初のテレビ番組であった。その後、1963年には、ウィンストンチャーチルの名誉米国市民権授与式の模様を、米国から英国に生放送のテレビ信号で送信した。
1964年8月、1964年の東京オリンピックの放送を、東京からアメリカへはシンコム3号を経由し、アメリカからヨーロッパ間へはリレー1号を使用し送信された。2つの衛星がテレビ信号送信のために同時に使われたのはこれが最初であった。
1964年1月21日打上げられたリレー2号は、改良された太陽電池が装備され、さらに、衛星の進行波管、電力調整システム、および放射線遮蔽に対しても新しい設計が採用された。リレー2号は、1964年1月29日に行われ、オーストリアのインスブルックでの冬季オリンピックの模様を、フランスとメイン州の地上局を経由し米国に送信した。
3.4 シンコム(SYNCOM)
シンコム(Syncom:「同期通信衛星」の意味)は、アクティブな静止通信衛星用に関するNASAのプロジェクトの一つとして1961年に始められた。衛星は、ヒューズ・エアクラフト・カンパニー(Hughes Aircraft Company:現在のボーイング衛星開発センター(Boeing Satellite Development Center))の宇宙通信部門によって開発・製造された。このシリーズは、同じくヒューズによって開発・製造された、はるかに大型な衛星であるシンコムIVとして継続された。
シンコム 1号は、最初の静止通信衛星となる予定であった。1963年2月14日、ケープ・カナベラルから人工衛星打ち上げ用中型ロケット、デルタ B 16号機で打ち上げられたが電子回路が故障、静止軌道に向かう途上で動作停止し、失敗に終わった。
シンコム 2号は、1963年7月26日、デルタ B 20号機で打ち上げられた。完全な静止状態は得られず、メキシコ沖の大西洋上空で8の字状に動く軌道となった。NASAによる音声、映像、テレタイプ端末、ファクシミリのテストに成功。帯域幅に制限があるため、映像中継に音声は付けず、その品質は良く無かったが視聴は何とか許容できる範囲であった。
シンコム 3号は、1964年8月19日、デルタ D 25号機で打ち上げられ、太平洋の日付け変更線上で完全に静止。同年の東京オリンピックにおいて日米間のテレビ画像伝送がシンコム3号を用いて実施され、通信衛星の有用性を広く世界の放送・通信関係者に印象付けることとなった。
図5 シンコム衛星の外観 (出典:NASA)
以下、シンコム2号および3号(基本的に両者は同じ仕様の衛星)の装備、機能について簡単に紹介する。シンコム衛星は、直径71 cm、高さ39cmの円筒形であり、フルに燃料を搭載した衛星の質量は68kgであった。固体推進剤を適用したアポジモータ*のノズルが円筒形の本体下部から伸び、同軸スロットアレイ通信アンテナが上部から伸びている。ノズルを含めると全高は64cmとなる。衛星本体の外部は、3840個のシリコン太陽電池で覆われており、衛星が太陽光に当たっている時間は、約29ワットの電力を供給し、衛星が地球の影にあるときにニッケルカドミウム2次電池から電力を供給。衛星の中央内部のほとんどは、アポジモータ用の燃料タンクと燃焼室で構成され、この周りに2つの過酸化水素と2つの窒素タンクと電子機器を配置。姿勢と速度の制御は、スピン軸を調整するための窒素ジェットと衛星の姿勢を調整するための過酸化水素ジェットを適用。
*アポジモータ:人工衛星の軌道投入に使われる上段の推進装置
TV信号の送受信に関しては、7360Mz帯の受信機と1815MHzの送信機が使用された。アンテナとしては、衛星のスピン軸に垂直な平面で幅25度のビームを形成したスロット型ダイポール送信アンテナが用いられた。この他にテレメトリとコマンド通信のために、周波数変換アクティブ中継通信機(冗長システム)を採用。アンテナとしてはスピン軸に垂直に向けられた4つのホイップアンテナを使用。
3.5 インテルサットI/アーリーバード(Early Bird)
1965年4月6日、NASAは、世界初の商用通信衛星インテルサットI(別名アーリーバード)を静止軌道に打ち上げた。この衛星は、ヒューズ・エアクラフト・カンパニーの宇宙通信グループによってCOMSAT(通信衛星公社)のために製造され、NASAによって打ち上げられ、1965年6月28日に商用サービスが開始された。インテルサットIの設計は、以前にNASA用に製造されたシンコム衛星からの発展形であり、目標は静止軌道上での通信の実用可能性を証明することにあった。
赤道上35,786㎞の軌道において、インテルサットIはヨーロッパと北アメリカの間で直接、かつ準リアルタイム通信を提供し、電話、TV信号、電信、ファックスなどの一般的な通信事業者のネットワーク・トラフィック全てを中継処理した(回線容量としては、240電話回線または1つのTVチャネル)。衛星自体は、かなり小さく、約76×61cmで、重さは34.5kgであり、本体の形状は図XXの様に、シンコムと同様の円筒形であった。
図6 インテルサットI (アーリーバード)の機体 (出典:NASA)
インテルサットIの成功は、静止衛星の発端となり、世界のすべての人口の多い地域への通信アクセスを提供するものとなり、また商用通信の分野における静止衛星の有用性を証明することにもなった。静止軌道通信衛星の大きな利点は、地上から見て、衛星の位置が固定されていることであり、複雑な追尾アンテナを必要とせずに、地上から衛星の追尾を行うことが可能である。尚、インテルサット I衛星の操作は、メイン州アンドーバーにある地上局から行われた。
3.6 インテルサットII
1966年に最初に打ち上げられたインテルサットIIシリーズの衛星は、ヒューズ・エアクラフト・カンパニーによって開発された第3世代の通信衛星であり、当時は商業運用のために同期軌道に打ち上げられた史上最大の衛星であった。インテルサットIIは、コムサットの監督の下、インテルサットに供給され、インテルサットIIシリーズとしては、4つの衛星が打ち上げられている。
図7 インテルサットII外観 (出典:Hughes)
最初の衛星F-1は、太平洋上空に投入するために1966年10月26日に打上げられたものの、アポジ・エンジンの問題で、静止軌道を達成できなかったが、それでもTV放送やその他の通信トラフィックを伝送するために使用された。
インテルサットII F-2は、1967年1月11日、日付変更線近くの太平洋上の静止軌道に打上げられ、衛星を介した通常の商用サービスは、1967年1月27日に開始され、米国、ハワイ、オーストラリア、および日本の地上局間を接続した。
インテルサットII F-3は1967年3月22日に打上げられ、大西洋の上の静止軌道に配置された。また、シリーズの4番目の衛星であるインテルサットII F-4は、太平洋上での商業運用のために1967年9月27日に打上げられた。インテルサットII衛星は、商用運用に加えて、NASAの月面着陸プログラムにおいて通信支援サービスも提供している。
インテルサットIIは、アーリーバードの2倍の大きさで、2倍以上の電力容量を備え、高度なアンテナを装備し、複数の地上局に同時に直接接続が可能となっていた。衛星の設計コンセプトは、アーリーバードと同等であり、スピン安定化、常時地球向けられたビームアンテナ、姿勢制御とステーション維持のためのガスジェットシステムが装備されていた。衛星のテレメトリサブシステムは2つのエンコーダー、2つのVHF送信機、および8つのホイップアンテナで構成。各衛星の通信容量は、240の双方向電話回線または1つの双方向TVチャネルであった。衛星の外面は12,756個のシリコン太陽電池で覆われ、85ワットの電力を供給可能であった。
3.7 インテルサットIII~IV
各衛星の詳細は省略するが、NASAによる年譜からの主なイベントの抜粋は以下の通りである。
日付 | イベント等 |
1969年2月5日 | INTELSAT III F-3は、インテルサットの要請でNASAによって正常に打上げられた。衛星は、コムサットとの問題があり、1969年5月に太平洋上からインド洋上に移動。1979年4月まで運用継続。 |
1969年4月21日 | インテルサットは、Thor-Delta やTitanをTitanの代わりにITELSAT IVシリーズを打上げるためにAtlas-Centaurを選定。 |
1969年5月21日 | INTELSAT III F-4は正常に打上げられ、太平洋リンクを提供。 |
1969年7月25日 | 大西洋リンクとして計画されているINTELSAT III F-5は、打上げロケットの第3段階の故障のために適切な軌道に達せず。 |
1970年1月14日 | INTELSAT III F-6は正常に打上げられ、大西洋リンクを提供。 |
1970年4月22日 | INTELSAT III F-7は、打上げロケット誘導システムの問題のために計画よりも低い転送軌道に留まったが、宇宙船のアポジーモータによって静止軌道に移動させられ、大西洋のリンクを提供。 |
1970年7月23日 | シリーズの最後のITELSAT III F-8は、西太平洋のリンクとして計画され、正しいトランスファー軌道に置かれ、その後、アポジーモータが発射され、静止軌道に上げられた。 |
1971年1月15日 | 新シリーズの最初のINTELSAT IV F-2は、大西洋のリンクとして正常に立ち上げられ、提供された。 |
1971年12月19日 | INTELSAT IV F-3が打上げられ、大西洋リンクとして提供。 |
1972年1月22日 | INTELSAT IV F-4が打上げられ、太平洋リンクとして提供。 |
1972年4月28日 | ロッキードは、INTELSAT IVに必要な高度技術を開発する時間を得るために、改良型IVであるインテルサットIV 1/2の設計を提案。 |
1972年6月13日 | INTELSAT IV F-5が打上げられ、インド洋のリンクとして提供された。 |
1972年9月5日 | ヒューズとブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションは、2倍の容量を持つ高度なINTELSAT IV衛星の実現を研究することに合意。 |
1973年8月23日 | INTELSAT IV F-7が打上げられ、大西洋リンクとして提供された。 |
1974年11月21日 | INTELSAT IV F-8が打上げられ、太平洋リンクとして提供された。 |
1974年12月6日 | インテルサットはヒューズとさらに3つのIVAの契約。(合計6つの衛星) |
1975年5月22日 | INTELSAT IV F-Iが打上げられ、インド洋のリンクとして提供された。IVシリーズの最後の打ち上げであった。 |
1975年9月26日 | ITELSAT IV A F-1は、IV-Aシリーズとして打上げられ、大西洋リンクとして提供された。 |
1976年1月29日 | INTELSAT IV-A F-2が打上げられ、大西洋リンクとして提供された。 |
1976年7月21日~28日 | インテルサットはINTELSAT Vの最終交渉相手としてエアロヌトロニック・フォードを選び、契約は9月に締結された。最初の打ち上げは1979年に予定されていた。 |
1977年5月26日 | INTELSAT IV-A F-4が打上げられ、大西洋リンクとして提供された。 |
1977年9月29日 | インド洋のリンクとして計画されたINTELSAT IV-A F-5は、打上げロケットのアトラス・ステージの故障のため、打上げ機と一緒に離陸から55秒後に破壊された。 |
1978年1月7日 | INTELSAT IV-A F-3が打上げられ、インド洋のリンクとして提供された。 |
1978年3月31日 | IV-Aシリーズの最後のINTELSAT IV-A F-6は、インド洋のリンクとして打上げられ、提供された。 |
1978年12月 | インテルサットは、7機のINELSAT V衛星を打ち上げるためAtlas-Centaur, Ariane, and Shuttleを適用することを決定。最初の4機は、Atlas-Centaurによって打ち上げられ、5番目と7番目はShuttle、6番目はArianeを適用する予定である。 |
3.8 Anik (アニク:カナダ国内用通信衛星)
Anikは、1972年から2013年にかけて、Telesat Canada向けとして、カナダおよび他の地域でTV、音声、およびデータ伝送のために打上げられた一連の静止通信衛星である。シリーズの後半の衛星の一部は軌道上で運用し続けている。衛星の名前は全国コンテストによって決定された。因みにAnikは、イヌクティトゥット語で「弟」を意味する。
Anik A衛星は、世界初の国内向け衛星であり(Anik A1の打ち上げ前は、すべての静止通信衛星は大陸間接続の目的であった。)、3つの衛星からなるAnik A編成によって、CBCは初めて北部カナダに放送できることとなった。各衛星には12個のCバンドのトランスポンダが装備されていたため、12のカラーTVのチャンネルを収容可能であった。3チャネルがCBC-TVに割り当てられ、2チャネルがTCTS(Thales Canada Transportation Solutions;Thales Cnadaが行う鉄道等向けビジネス)およびCNCP(Canadian National-Canadian Pacific) Telecommunicationsに、2チャネルがBell Canadaに、1チャネルがCanadian Overseas Telecommunicationsに割当てられた。
図8 検査中のANIK衛星 (出典:Wikipedia)
Anik Bは、1978年12月15日に打ち上げられ、Anik Aシリーズと実験衛星であったHermes(別名Communications Technology Satellite)の後継機であった。トランスポンダのほとんどは、CBC-TVの専用として使われた。その他に、CNCP Telecommunicationsの放送サービス中継、Globe and Mailのカナダ全土の印刷工場への原稿の送信にも適用された。Anikシリーズとしては、AおよびBの後C、D、E、F1、F2、F3、G1と順に打上げられている。
3.9 ウェスター(WESTAR)
ウェスターは、1974年から1984年にウエスタン・ユニオンによって打ち上げられたCバンドで動作する米国の国内向けの静止通信衛星であった。全部で7つのウェスター衛星が打上げられている。ウェスター1号(1974年4月13日に打上げ)は、1972年に北米で最初の国内向け静止衛星であるカナダのAnik A1に続いて、米国で最初に商業用途専用に打上げられた静止衛星である。ウェスター1号は、静止衛星軌道の西経99°に置かれた(99°Wは現在ギャラクシー16が置かれている)。
ウェスター衛星は、音声、ビデオ、データ信号をアラスカ、ハワイ、プエルトリコを含む米国内を中継。ウエスタン・ユニオンの主要な地球局は、ニュージャージー州グレンウッド、その他の地球局は、アトランタ、シカゴ、ダラス、ロサンゼルス付近に設置された。
図9 ウェスター1号の外観 [出典: Boeing BSS]
衛星は、スピン安定方式が採用され、デスパン型アンテナと衛星のボディに装着された太陽電池を装備している。軌道に到着すると、外側のシリンダーが「ディキシーカップ(使い捨てカップ)」方式により下向きに展開し、太陽電池パネルの面積を増大させる方式であった。また、衛星には4〜6 GHzの周波数範囲の12〜24個のトランスポンダを搭載(1~3号は12個、それ以降は24個)し、図6に示す通り直径72インチの反射型アンテナを装備している。12個のトランスポンダ搭載の場合の通信容量は、7000の双方向音声回線または12の同時カラーTVチャネルであった。各衛星の軌道上での設計寿命は7年であった。
特記事項としては、全てのウェスターは、NASAによって、回収可能な形で打上げられたことである。例えば、ウェスター6号は、スペースシャトルから軌道投入が試みられたが、正常動作しなかった。その後、シャトルミッションで故障した衛星は回収され、再度打上げられている。
2.10 サットコム(SATCOM)
サットコムシリーズは、元はRCA American Communications(RCA Americom: 現在はSES Americom)によって開発および運用されていた静止通信衛星のシリーズである。
最初のサットコム衛星であるサットコム 1は、1975年12月13日に打ち上げられた。最後の衛星であるサットコム K2は、1985年11月27日に軌道に乗せられ、2002年2月には軌道から外れた。(サットコム衛星は合計で15機打上げられている。)
サットコム 1がCATVネットワークと放送TVネットワークの両方で非常に広く使用された理由は、競合するウェスター 1の2倍の通信容量を持ち、通信コストを下げて提供できたことである。サットコムは、3軸安定化を行う衛星バス*を使用して構築され、24個のCバンドのトランスポンダ(6/4GHz)を搭載、アンテナは、4つのリフレクター型を装備していた。
*衛星バス:人工衛星としての基本機能に必要な機器と衛星の主構造の総称。これに対して衛星が個別のミッションを遂行するにあたって必要な機器のことをミッション機器と呼ぶ。
サットコム 1は多くのケーブルTV会社のビジネス展開に必要な重要通信機能として適用された(HBO、Showtime、Superstation TBS、Nickelodeon、CBN cable networks(現在はFreeform)、ESPN、The Weather Channelなど)。サットコムは、HBOからの協力も得て、CATV業界を大きく発展させた。因みに、HBOは、1975年に全国デビューして以来のウェスター 1衛星から、1976年2月にサットコム 1に移行。CATVネットワークは、衛星を使用して地上のケーブルTV用ヘッドエンド*に信号を中継する。これにより、ケーブルテレビは郊外および都市部の市場にへの参入を加速することができた。例えば、1977年末までにHBOは160万人の加入者を獲得している。
*ヘッドエンド: 各種のTV信号(放送波を含む)や地域の自主放送番組のTV信号などをケーブルTV用に変換し、混合・分配して受信者(家庭を含む)への伝送路に送出する機能を持つ設備
図10 サットコム C5 (出典: RCA)
3.11 マリサット(Marisat)
マリサット衛星は最初の海事通信衛星であり、3つの主要な海域(太平洋、大西洋、インド洋)の安定した静止軌道位置から商用船と米海軍に信頼できる通信を提供するように設計された。3つのマリサット衛星F1、F2、およびF3は、1973年ヒューズ・エアクラフト・コーポレーション(HAC)によって開発・製造され、コムサット・コーポレーションが運用した。これらの衛星は、大西洋、太平洋およびインド洋の3つの大きな海域で海上通信サービスを提供するように設計され、静止軌道上の東経72.5°、東経176.5°、東経345°に配置された。 3衛星のマリサットシステムは、最初のインマルサット(INMARSAT)によるコンステレーション(編成)として運用された。
マリサット F1は1976年2月19日、マリサット F2は1976年6月10日、マリサット F3は1976年10月14日に打ち上げられた。衛星の打ち上げには、マクドネル・ダグラス2914デルタロケットが使用された。 衛星は、NASAによってケープカナベラルから打ち上げられた。
衛星は同一仕様で設計され、3つの通信装置が搭載されていた。それらは、米国海軍用の極超短波UHF(240〜400 MHz)機器、音声、テレックス、ファクシミリ、および高速データによる船舶通信用のLバンド*(1.5〜1.6 GHz)、および固定陸上局への通信用のCバンド(6/4 GHz)の三つであった。
マリサット衛星は、Syncom 1、Intelsat I、IIなどの以前の衛星と同様の円筒形のスピン衛星の設計であり、地球の重力場で安定性を提供するために約30rpmで回転することによって生起されるジャイロスコープの力に依存している。 本来は5年間の寿命で設計されていたが、マリサット F2の様に32年間正常に動作した例もある。
*Lバンド: 1GHz帯(0.5 – 1.5GHz)の極超短波(UHF)の電波であり、主にレーダーや衛星電話、携帯電話、地球観測衛星の合成開口レーダー(SAR)などで利用されている。
図11 Marisat F1 (出典:Boeing BSS)
3.12 ECS (European Communication Satellite)
ECSの検討は、1960年代後半に、欧州宇宙研究機構(ESRO)が西ヨーロッパ諸国間の長距離電話トラフィックの一部としての衛星システムの有効性の調査することから始まった。1970年に、衛星に必要なハードウェアに関する開発に関して、ヨーロッパ企業との契約がスタートした。その後、実験衛星である軌道試験衛星(OTS)の開発が決定され、初号機の打上げ失敗はあったが、1978年5月11日にOTS-2の打上げに成功。同じ年に、OTSの運用上の後継機であるECSの開発のためのプログラムが承認された。
1979年、ESAは、最初の軌道上テストに合格した後、Eutelsatが引き継ぐ5つのECS (European Communication Satellite)を設計、製造、および打ち上げることに合意。
5つのECSのうち、4つは正常に打ち上げられ(1983、1984、1987、1988)、Eutelsatに運用が移管された。(尚、ECS 3は、1985年のアリアン3の打ち上げ事故で失敗に終わった。)
各衛星は、電話サービス、ファックス、データ、陸上移動サービス、TVおよびラジオ番組を含む、公共および民間の両方に対してサービスを提供。各衛星の設計寿命は7年で、帯域幅は72MHzであった。
図12 ECS 1 (Eutelsat-1 F1) (出典:ESA)
EUTELSAT I F-1衛星の通信機器としては、12,000の電話回線もしくは10のテレビチャネルの容量に対して20Wの出力電力を備えた12個(スペア2個を含む)のKuバンドの14 / 11GHzトランスポンダが搭載されていた。また、幅が13.8mの2つのソーラーアレイは、衛星のバスに1kWの電力を供給可能であった。
*Kuバンド: 無線通信で用いられる周波数帯域のうち、12GHz~18GHz帯の電波で、主に衛星通信を使用したBS放送などに用いられている。
3.13 モルニヤ
モルニヤ(ロシア語:Молния:雷の意味)とはソビエト連邦と、その宇宙開発事業を引き継いだロシア連邦によって運用されている通信衛星である。モルニヤ衛星は、楕円形の準静止軌道で運用され、地上から見るとロシア上空とアメリカ上空に一旦留まる軌道である。この軌道は、衛星の名前に因んでモルニヤ軌道として知られるようになった。(図12参照)
図13: モルニヤ軌道をとる衛星が地球上を移動する経路で、ロシア上空とアメリカ上空に一旦留まる。(出典:Wikipedia)
モルニヤの開発が始まったのは、政府によって開発命令が出された1960年10月30日のことである。1964年6月4日には最初の打ち上げが行われたが、ロケットの故障のため軌道投入に失敗した。続く8月22日の打ち上げでは、衛星の軌道投入にこそ成功したものの、アンテナの予定通りの展開が行われなかったため通信実験ができなかった。この衛星にはコスモス41号という名前が与えられ、一部の機能のテストが行われるにとどまった。1965年4月の3回目の打ち上げに至ってようやく成果を上げることができ、初めて正式にモルニヤの名が与えられた。始めのうち、モルニヤ衛星は軍事目的を主体として運用された。その後、軍事通信に加えて、衛星はOrbita*ネットワークの一部としてTV放送にも使用された。
*Orbita:ロシア語ではорбита。衛星を介してテレビ信号を放送および配信するソビエト – ロシアのシステム。衛星を利用したTVの世界初の国内ネットワークであると考えられている。
図14モルニヤの外観 (出典:Wikipedia)
モルニヤ衛星では、電力を供給するための6枚の太陽電池パネルが本体から放射状に伸び、風車のような外見をしており、太陽電池を含めた長さは8mに達している。質量はモルニヤ1型で約1650kgである。また、地上との通信中は、太陽電池パネルを太陽に、アンテナを地球に向けるように姿勢制御を行った。衛星の姿勢は搭載されたジャイロスコープによって安定化され、姿勢の検知には可視光センサーが利用された。モルニヤ1型に搭載された送信機はアルファという名前のもので、波長10m(30MHz)の周波数帯を使用し、単方向通信モード・双方向通信モードの両方が使用可能だった。
モルニヤ1は1965年から2004年までに計100機が打上げられ、そのうち94機が打ち上げに成功した。1974年7月に打ち上げられたモルニヤ1Sのみは、静止軌道に投入され、ソ連初の静止軌道衛星となった。
1970年になると送信機をベータ(出力は40Wで、0.8-1.0GHzの周波数を適用)に変更した改良型のモルニヤ1Tが登場した。その後、打上げられたモルニヤ3は、軍事用のモルニヤ1Tと比べやや増強された電力システムを持ち、セグメント3と名づけられた出力40 – 80W、周波数4 – 6GHzの3チャンネル送信機を搭載している。現在ではモルニヤ1Tが軍事目的・モルニヤ3が非軍事目的とすみ分けられている。
3.14 パラパ(インドネシア)
パラパ(Palapa)はインドネシアの商業通信衛星シリーズ。パラパ衛星の計画は、1975年2月にインドネシア政府がボーイング社と2機の人工衛星に関する契約することにより始まった。パラパという名前(「労働の果実」を意味する)は1975年7月にスハルト大統領によって決められた。
図15 チャレンジャーから放出されるパラパB1(STS-7)(出典: Wikipedia)
パラパ衛星は、国の6000以上の人が住むインドネシアの島々の間の地域通信を担っている。パラパシステムは、元国営企業のペルムテルが運営していたが、現在は1993年に設立されたインドネシアの民間企業であるサテリンドが運営している。
①パラパA: ボーイング衛星システムが製造し、アメリカのウェスター1号(英語版)やカナダのAnik Aと同一の設計であった。12個のトランスポンダを搭載し、平均通信容量は音声6000回線もしくはカラーTV 12チャンネルであった。衛星の形状はアンテナ含めた高さが3.4m、直径が1.9mの円柱型であり、重量は574 kgであった。
②パラパB: パラパB2は、パラパ衛星の2世代目であり、ヒューズスペースコミュニケーションが設計・開発し、運用はインドネシアの国有会社Telkomが行った。パラパAシリーズと比較して2倍のサイズ、2倍の通信容量、4倍の電力供給能力であった。太陽電池を搭載した円筒型で、アンテナは、打上げ時にはたたまれており、静止軌道に投入された後に展開する仕組みを採用。このシリーズは、計4機が製造され、5回打ち上げられた。
Bシリーズ2機目となるパラパB2は1984年2月にスペースシャトルチャレンジャー(STS-41-B)によって軌道投入されたが、ペリジモータ*の不具合によって軌道への投入に失敗。1984年11月ディスカバリーのクルーが船外活動によってB2を回収、地球に持ち帰った。その後、この衛星はパラパB2Rとして1990年4月に再び打ち上げられた。
*ペリジモータ: 人工衛星を静止軌道へ打上げる場合,まずパーキング軌道に乗せ,次に遷移軌道に移す方法を用いるが,この遷移軌道に移す際に噴射させるロケットモータ。ちょうど遷移軌道の近地点 perigeeで用いられるのでペリジモータと呼ばれる。
パラパB2Pは1996年にフィリピンのマブハイ・サテライトに所有権が移管され、フィリピン最初の衛星となっている。尚、最新のパラパシリーズは、1996年1月のパラパC1の打上げから開始されている。
本稿作成の参考にした記事等は次の通り。
・Wikipedia: Arthur C. Clarke
https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_C._Clarke
・The 1945 Proposal by Arthur C. Clarke for Geostationary Satellite Communications
http://lakdiva.org/clarke/1945ww/
・向殿政男:衛星通信時代の幕開け
https://www.mukaidono.jp/Board/link/2-2/intro.html
・Wikipedia 通信衛星
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E8%A1%9B%E6%98%9F
・NASA Aug 14, 2011 Project Echo
https://www.nasa.gov/centers/langley/about/project-echo.html
・Wikipedia テルスター衛星
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%A1%9B%E6%98%9F
・NASA History: Telstar Opened Era of Global Satellite Television
https://www.nasa.gov/content/telstar-opened-era-of-global-satellite-television
・NASA Goddard Space Flight Center: Relay
https://www.nasa.gov/centers/goddard/missions/relay.html
・リレー (人工衛星):Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC_(%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E8%A1%9B%E6%98%9F)
・Wikipedia: Syncom
https://en.wikipedia.org/wiki/Syncom
・Wikipedia情報 「通信衛星」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E8%A1%9B%E6%98%9F
・NASA Space Science Data Coordinated Archive: Syncom 2
https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1963-031A
・NASA Space Science Data Coordinated Archive: Syncom 3
https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1964-047A
・This Week in NASA History — Intelsat I: The “Early Bird” of Satellites
https://appel.nasa.gov/2010/02/25/ao_1-7_sf_history-html/
・NASA:Space Science Data Coordinated Archive: Early Bird
https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1965-028A
・Gunter’s Space Page: Intelsat-1
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/intelsat-1.htm
・Wikipedia “Intelsat I”
https://en.wikipedia.org/wiki/Intelsat_I
・Britannica: Intelsat I satellite
・Gunter’s Space Page: Intelsat-2
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/intelsat-2.htm
SP-4012 NASA HISTORICAL DATA BOOK: VOLUME III
・PROGRAMS AND PROJECTS 1969-1978
https://www.history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table4.103.htm
・Wikipedia: Anik (satellite)
https://en.wikipedia.org/wiki/Anik_%28satellite%29
・JPL Mission and Spacecraft Library QUICKLOOK
https://space.jpl.nasa.gov/msl/QuickLooks/westarQL.html
・Wikipedia Westar
https://en.wikipedia.org/wiki/Westar
・Gunter’s Space Page: Westar 1, 2, 3
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/westar-1.htm
・Wikipedia: Satcom (satellite)
https://en.wikipedia.org/wiki/Satcom_(satellite)
・Gunter’s Space Page: SATCOM 1, 2, 3, 3R, 4
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/satcom-1.htm
・Gunter’s Space Page: 1R, 2R, 5, C1, C3, C4, C5 (Aurora 1, 2)
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/satcom-5.htm
・NASA Space Science Data Coordinated Archive: Satcom 1
https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1990-100A
・Wikipedia Marisat
https://en.wikipedia.org/wiki/Marisat
・NASA Space Science Data Coordinated Archive: MARISAT 1
https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1976-017A
・Gunter’s Space Page: Marisat 1, 2, 3
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/marisat-1.htm
・ADS(astrophysics data system)
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1984SpCoB…2..372./abstract
・Gunter’s Space Page: ECS 1, 2, 3, 4, 5 (Eutelsat-1 F1, 2, 4, 5)
https://space.skyrocket.de/doc_sdat/ecs-1.htm
・Wikipedia: Eutelsat I F-1
https://en.wikipedia.org/wiki/Eutelsat_I_F-1
・Wikipedia: モルニヤ(人工衛星)
・NASA Spaceflight.com
https://www.nasaspaceflight.com/2012/11/soyuz-2-1a-launches-meridian-satellite-russian-military/
・Wikipedia:パラパ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%91
・JPL Mission and Spacecraft Library: Palapa