エベレスト登頂50年 なぜ田部井さんの映画に涙するのか
2025-12-03(令和7年)木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)

登山家なら一度は挑む北アルプスの劔岳(2999メートル)。ガレ場の錆びた登山道標が印象的だ。田部井淳子さんも若いころに登っている=2017年9月5日、撮影・木村良一
■生まれて初めての経験だった
映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』を観てきた。女性として世界で初めてエベレスト(8848メートル)の登頂を成し遂げた、登山家の田部井淳子さん(享年77歳)を描いた映画である。田部井さんの話は前回のメッセージ@pen11月号(「田部井淳子さんを偲ぶ」)でも取り上げた。
映画のストーリーは世界最高峰のエベレストの登頂までの挑戦と成功、登頂後の仲間との離反、長男の反抗、がんの闘病、夫婦の絆、子供たちとの家族愛、登山を通じた友情など田部井さんの半生そのものである。かつて田部井さんを取材し、1問1答形式の記事にまとめたことのある私にとって大半は直接、聞いた話だった。
にもかかわらず、涙が止まらなかった。映画が始まり、スクリーンに山の景色が映し出された途端、目頭が熱くなり、涙がこぼれ落ちそうになった。そんなに感動する場面でもないのに泣けてくる。田部井さんを演じる吉永小百合さんがエベレストや富士山を登る姿を見ると、もう涙が止まらない。映画の初めから終わりまでこの調子だった。この泣き顔を妻や知人に見られたくない。1人で観に来て良かった。こんなことは生まれて初めての経験である。なぜだろう。歳を重ねたせいなのだろうか。
■「山女にゃほれるなよ」
『てっぺんの向こうにあなたがいる』は10月31日に全国で公開された。公開前の27日には、第38回東京国際映画祭のオープニング作品として上映された。映画興行通信社によると、「週末動員ランキング」で初登場の3位に入り、公開3日間(10月31日~11月2日)で観客16万4000人を動員、興行収入は1億8900万円を記録した。祝日を含む4日間(10月31日~11月3日)では、19万4000人の2億2800万円となるなど好スタートを切った。
田部井さんのエッセイ集『人生、山あり時々谷あり』(潮出版)をベースに映画は作られた。監督が『亡国のイージス』『北のカナリアたち』の阪本順治さんで、主演の吉永さんの夫役が佐藤浩市さんだ。田部井さんの親友でエベレスト登頂など多くの登攀をともにした元読売新聞記者の北村節子さんの役を天海祐希さんが好演している。
高年の吉永さんと天海さんの2人が、テントの中でコッヘルにバーボンを注いでそれをストレートで飲んで酔って若き日々を思い出し、ダークダックスの『山男の歌』を「山女にゃほれるなよ」と替えて歌ったり、テントから上半身を出して寝そべって満天の星を見上げたりするシーンは見ていて楽しくなる。
■あきらめない強さで成し遂げる
田部井さんたちは1944年に女子登攀クラブを設立して仲間を集めた。資金集めにも翻弄する。田部井さんによると、エベレスト登頂のための資金は当時のお金で6千万円というかなりの金額だった。しかし、田部井さんは決してあきらめることなく、資金集めに駆け回り、応援してくれる企業を見つける。私の取材に田部井さんは「それじゃ応援しようという新聞社とテレビ局が出てきたんです。それで何とか解決できた」と答えていた。
映画の中でもいくつも企業を回っては出資を頼み込み、その企業の経営者から「女性だてらにエベレストとは驚かされる。ウーマン・リブとかいうヤツかね」とか「登頂は応援するけどお金は出せない」と次々と断られる場面が出てくる。田部井さんたちが女性だけのエベレスト登頂を目指したころは、アメリカで女性の解放を目指すウーマン・リブの運動が盛んで、その運動が日本でも火が点いて社会に影響していた時代だった。
11月号のメッセージ@penでも触れたが、田部井さんはエベレストの頂上の手前で大きな雪崩に遭い、間一髪のところをシェルパたちに救出され、窒息死を免れた。それでも田部井さんは「こんな大きな雪崩だったのに誰も死ななかった。だから下りることはない。登頂を再開できる」と考え、登頂をあきらめずに頂上を目指した。もちろん映画でもこの場面は出てくる。
■「余命3カ月」の宣告にもへこたれない
私が田部井さんを取材したのは、2011年1月14日と27日だった。そのときは乳がんを切除した直後だったが、田部井さんは気さくで笑い声を絶やさず、元気はつらつとしていた。その取材から5年9カ月後の2016年10月20日、田部井さんは腹膜がんで亡くなった。77歳だった。取材の後、田部井さんと会ったことはなかった。だから腹膜がんを発病して亡くなるまでの田部井さんの闘病生活の様子は知らない。
映画にはこの闘病生活の場面が出てくる。腹膜がんの告知、抗がん剤の投与、その副作用、がんの脳への転移、ガンマナイフ治療(放射線治療)、緩和ケアのシーンである。田部井さんを演じる吉永さんは「余命3カ月の腹膜がん」と担当医に宣告されてもへこたれない。宣告を受け1人で悩む姿がスクリーンに映し出されるが、すぐにいつもの笑顔を取り戻し、気丈に振る舞う。自分に言い聞かせるように夫や子供たちの前で「病気になっても病人になったわけではない」と話す。がんと闘いながらも、東日本大震災で被災した東北の高校生たちに富士山の登山を経験させ、勇気付けるプロジェクトを企画し、毎年高校生たちといっしょに富士山に登った。
■連絡して励ましてあげるべきだった
田部井さんは生きることを決してあきらめなかった。宣告から4年以上生きた。みごとに余命3カ月の宣告に打ち勝つのである。
がんと闘いながら富士山を登る田部井さんの姿をテレビで見て私は田部井さんの闘病を初めて知った。夫に支えられながら確か8合目まで自力で登っていた。エベレストの頂きを目指したときのように一歩一歩進んでいた。
闘病を知ったとき、田部井さんに連絡して励ましてあげれば良かった。すぐにお見舞いに駆けつけるべきだった。日々の仕事に追われ、「自分が行かなくとも田部井さんを元気にできる人は周りに大勢いる」と勝手に考えて行動しなかった。それが悔やまれてならない。
田部井さんを演じる吉永さんがエベレストの登頂、がんとの闘いと前向きに生きる姿を見ると、涙があふれ出てくる。田部井さんにはあきらめずに挑戦し続ける力がある。あの取材から15年近くが経つなか、『てっぺんの向こうにあなたがいる』を観ると、田部井さんの強さをあらためて感じる。
―以上―
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の2025年12月号(下記URL)から転載しました。