この100年間のエンジン発達史(その2)


この100年間のエンジン発達史(その2)

 

2016-01-13(平成28年) 松尾芳郎

 

4)液冷エンジン(Liquid-cooled)

マーリン液冷

図6:(Wikipedia)パッカード・マーリン(Packard Merlin) V-1650-7エンジン。マーリンはロールスロイス製だが、アリソン(Allison)社経由の2段階ライセンス生産で米国パッカード社が製造した。気筒容積は2,700 cc、出力は1,670馬力。スーパーチャージャー付きで高空性能が良くノース・アメリカンP-51ムスタング戦闘機に使われた。

 

空気抵抗を小さくし高速を出せるよう、シリンダー配列を星型から縦型にしたエンジンが現れた。しかし空冷のままだと冷却が難しいので水で冷却する液冷方式が考案された。高出力の液冷式ピストン・エンジンは1940年代に最盛期を迎えたのである。

ロールスロイス・マーリンは1936年に量産開始、英国を代表する戦闘機、ホーカー・ハリケーン(Hawker Hurricane)やスーパーマリーン・スピットファイヤー(Supermarine Spitfire)に装備された。英国で112,000台と米国でのライセンス生産分55,000台、合計で16万台以上が生産された。

ドイツが作った代表的な液冷エンジンはダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz) DB-601である。V12気筒、1,100馬力クラスで1937年から1943年の間に約19,000台が生産され、改良型のDB-605と併せてメッサーシュミットBf 109戦闘機(生産数約34,000機)に使われた。日本はDB601のライセンスを取得、ハ-40型として愛知航空機および川崎航空機で作られ、川崎航空機の“キ-61”「飛燕」戦闘機に搭載された。「飛燕」は3,000機以上生産された。

 

5)究極のピストン・エンジン(Ultimate Piston)

R3350 PRT

図7:(Wikiwand com.)ライトR-3350ターボサイクロン・エンジンは2重星型18気筒スーパーチャージャー付きで、さらに6気筒ずつのグループからの排気ガスを使う3個のターボチャージャー(PRT)を備えていた。離昇馬力は3,700 hp。写真はロッキードL-1049 ”スーパー・コンステレーション”型機の4番エンジン。写真上部中程に排気ダクト付きPRTが見え、中央下部にダクトが外されタービンが露出ているPRTが写っている。PRTが回収した動力は、タービン軸先端の流体継手を介してクランクシャフトに戻される仕組みだった。

 

第一次大戦後、強力な空冷式星型エンジンが、英国のアームストロング・シドレー(Armstrong Siddeley)、ブリストル(Bristol)、およびカーチス・ライト(Curtiss & Wright)などで作られた。1925年になるとプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)がR-1350型を開発、市場に参入した。当時のクランクケースは鋳造(cast)だったが、R-1350は鍛造(forged)製で、軽量かつ効率的だったので、その後30年に及ぶ同社の大型ピストン・エンジンの黄金時代の基礎を作った。カーチス・ライト(Curtiss-Wright)のR-1820サイクロン(Cyclone)エンジンはダグラスDC-2旅客機に採用され、高い信頼性で好評を博した。カーチス・ライトとプラット&ホイットニーはライバルで、それぞれ複雑な冷却方式と機構を組み込んだ強力な複列型エンジンを開発し、競り合った。

その頂点となったのが、P&Wでは2重星型R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)/ 2,500馬力と4重星型R-4360ワスプメイジャー(Wasp Major)/3,500馬力である。対するカーチス・ライトは2,200馬力R-3350デユープレックス・サイクロン(Duplex Cyclone)を作りB-29爆撃機に搭載された。

その改良型の3,700馬力R-3350ターボ・コンパウンド(Turbo–Compound)は、GE製のターボチャージャー「パワー・リカバリー・タービン(PRT=Power Recovery Turbine)」3基をエンジン後部に取付け、それぞれを6本のシリンダーからの排気ガスで回し、各PRTが出す450馬力をクランク軸に戻していた。そして、最後のピストン・エンジン付き旅客機であるダグラスDC-7Cとロッキード・スーパー・コンステレーション(Super Constellation)に使われた。

 

6)最初の実用的ターボジェット (First Practical Turbojet)

ユモ-004

図8:(Wikipedia)「ユモ-004」は軸流式8段コンプレッサー、6本の燃焼筒、タービン1段、アフタバーナー付きで、推力2,200 lbs、長さ3.86 m、直径81 cm、重さ720 kg。メッサーシュミットMe-262に搭載され、1942年7月に初飛行した。1944年初めから「ユモ-004Bあるいは-004C」の量産が開始され、5,000台以上が作られた。我が国では、これらの僅かな資料を参考にして「ネ-20」エンジンがIHI社の手により作られた。

 

第二次大戦中、航空宇宙分野で最も革新的な業績を残したのはドイツであった。その一つが「ユモ-004 (Jumo-400)」ジェットエンジンで、メッサーシュミット(Messerschmitt) Me-262ジェット戦闘機に搭載され、大戦末期のドイツ本土の防空戦で活躍した。 ユンカース(Junkers)系列の“ユモ・モートレン ( Jumo Motoren)” 部門で作った「ユモ-004」は、世界で初の実用化に成功した軸流式ターボジェットである。

「ユモ-004」は後世のジェットエンジンに使われている数々の技術をすでに組み込んでいた。すなわち、内部を冷却空気で冷やすタービンブレード、直流式の燃焼室、アフタバーナー、可変式排気ノズル、などである。特に当時信頼性に優れるとされていた遠心式コンプレッサーを退け、「軸流式コンプレッサー」を採用したのは“先見の明”があった。これが後のエンジン大型化に貢献し、現在のGE90-115B推力115,000 lbsなどの出現に繋がったのである。

当時の軸流コンプレッサーは非効率で段当たりの圧力比が極めて低く、「ユモ-004」のコンプレッサーは8段だが、圧力比は3.14:1に過ぎなかった。今日のGE9Xは、コンピューター流体力学(CFD=computational fluid dynamics)の発達のおかげで、コンプレッサーは前部6段の可変ステーター・ベーン付きの部分を含み11段だが、その圧力比は27:1になっている。

ジェットエンジンの発明者と言われるドイツのオヘイン(Hans von Ohain)や、イギリスのホイットル(Frank Whittle)は、全く別個にほぼ同時期にそれぞれのエンジンを試作した。オヘインが試作したエンジン、HeS 3はハインケル He-178試作機に、またホイットルはW.1をグロスターE.28/29型機に取付け初飛行に成功した。(オヘインは1939年8月、ホイットルは1941年5月)いずれも遠心式コンプレッサーを使う方式だった。

従って軸流コンプレッサーを選んで大量生産を行い成功した「ユモ-004」が近代ガスタービンの曽祖父と云うべきだろう。「ユモ-004」に続いて2軸式の「ユモ-012」の設計が進められたが、敗戦のため中止になった。

なお、ユンカース「ユモ-004」と、ほぼ同じサイズのBMW「003」エンジンの資料は、Me-262戦闘機資料などと共に、2隻の潜水艦に搭載し1万5千浬(28,000 km) 彼方の日本に向け送られることになった。任務を担当したのは、U-1224こと「呂501潜」・「皐月/さつき2号」/水上排水量1,100トンと、「伊-29潜」・「松」/水上排水量2,600トンである。2隻は1994年4月から1月間隔で、それぞれドイツ北部のキール軍港とフランスのロリアン基地から出発した。しかし「皐月2号」は大西洋で撃沈され、「伊-29潜」・「松」はシンガポールまで無事に到着、僅かな資料を飛行機で日本に運んだのち出港、日本を目指したが途中バシー海峡で米潜の雷撃を受け沈没した。

 

6)2軸式ターボジェット(Twin-spool Turbojet)

JT3C

図9:(P&W) P&W JT3Cエンジンの1/4カット・モデル。基本型はJ57、米国初の推力1万ポンド級軸流式ターボジェットで、改良型はアフトバーナー付きで推力約2万ポンドになった。これがJ75/JT4AターボジェットやTF33/JT3Dターボファンの開発に繋がった。J57/JT3Cのコンプレッサーは、低圧 (LPC) 9段、高圧(HPC)7段で、圧力比12:1であった。1951-1965年の間に21,000台程が製造された。

 

先の大戦後プラット&ホイットニーは、当時のジェットエンジンの2倍の推力1万 lbs を出して、燃費を改善したエンジンの開発に取り組んだ。完成したのが2軸式、つまり2組のコンプレッサーとタービンを同軸上に配置した「2軸式ターボジェット」である。

最初が「J57」で、低圧コンプレッサー(LPC=low pressure compressor)と低圧タービン(LPT=low pressure turbine)を外側シャフトで結合し、高圧コンプレッサー(HPC)と高圧タービン(HPT)のシャフトを、その内側で支える構造だった。これで効率が高くなり、出力が増え、加速減速がスムースに行えるようになった。

1950年に試運転に成功したJ57は、米空軍のB-52爆撃機、KC-135タンカー、マクドネル・ダグラス製F-101およびF-102戦闘機、海軍のF4DおよびF5Dを含む多数の機体で使われるようになった。1953年にはノース・アメリカン(North American)YF-100戦闘機で初めての超音速巡航に成功した。J-57を民間用にしたJT3は初期のボーイング707とダグラスDC-8に採用された。英国では後にロールスロイスに吸収されるブリストル(Bristol)により、1950年に2軸式のオリンパス(Olympus)が作られ、バルカン(Vulcan)爆撃機に搭載された。また、超音速旅客機コンコード(Concorde)のエンジンにも採用された。

(その3に続く)