2013-10-08 産経新聞論説委員 木村良一
ジャーナリストにはことあるごとに思い出し、記憶にとどめる努力を怠ってはならない取材対象があると思う。私にとってそのひとつが移植医療であり、その背後にでんと横たわる深刻な脳死ドナー(脳死下での臓器提供者)不足だ。
今年7月2日付の朝刊各紙に報じられた岡山大病院(岡山市)の生体肺移植手術のニュースが、そんな私の思いに再び火を付けた。
岡山大病院の手術は、3歳の男児に母親から摘出した右肺の中葉を移植するものだった。生体からの中葉の肺移植の成功は世界で初めてで、国内的にも男児は最年少の肺移植患者になる。
岡山大病院の執刀医は1日夜に記者会見して「経験したことのない難しい手術だったが、無事成功した」という趣旨のことを述べていた。まずは手術の成功を祝し、移植手術を受けた男児と肺を提供した母親の健康を祈りたい。
しかしながらここであえて厳しいことを言わせてもらう。確かに手術自体はうまくいったかもしれないが、移植医療の取材を20年近く続けてきた新聞記者としては「成功」という言葉をそのままうのみにはできない。
男児は2年ほど前に白血病の治療で骨髄移植を受けた後に合併症から肺機能が低下し、肺の移植手術が必要になったという。肺は左の肺が上葉と下葉に分かれ、右肺は上葉と中葉、下葉に区分される。一般的に肺の移植では、容量が大きな下葉が使われる。しかし幼児の場合、下葉ではサイズが大き過ぎるため、岡山大病院は最も小さい中葉を移植した。
ところが中葉は小さいだけでなく、下葉とは形や血管の位置関係が異なることから手術の難易度はかなり高く、世界でもこれまでに成功例がなく、「中葉は移植に適さない」とまでいわれてきた。
患者を何としてでも助けたいという医師の思いや、外科医として自らの手術手技を高めたいという気持ちがあったからこれだけ難しい手術をやり遂げられたのだろう。
それにしても状況は過酷だ。移植された肺は再生能力のある肝臓と違い、男児が成長しても大きくならない。母親の中葉を移植された男児は10~15歳になると、肺の容量が不足する。このため脳死ドナーが現れるのを待つか、それが無理なら父親の下葉の肺を移植する計画だという。移植手術の中でも難しい肺移植を二度も施されることになり、しかも母親の次は父親から肺を譲り受ける。移植医療のことなら分かっているつもりの私も「ウーン」とうなってしまう。それほど今回の岡山大病院の生体肺移植は過酷である。
前述したように①肺が分割されている②肝臓に再生機能がある③腎臓が2つある-を利用して健康な人から肺や肝臓の一部、片方の腎臓を摘出して患者に植え付ける手術が生体移植だ。そもそもこの生体移植は健康体にメスを入れることから大きなリスクをともなう。これまでドナーに後遺症が出たり、ドナーが死亡したりするケースもあった。それゆえ移植先進国の欧米では、生体移植はやむを得ない緊急避難的な措置とされてきた。
しかし欧米諸国とは違って日本は長い間、脳死移植つまり脳死者をドナー(臓器提供者)とすることが認められず、その状況を打開しようと患者の多い腎臓を中心に生体移植が行われてきた。
それでもその一方で臓器移植法が成立=1997(平成9)年6月=し、さらにその後、提供者本人の意思が不明でもドナーになることができ、15歳未満の子供も臓器を提供できるように臓器移植法が改正=2009(平成21)年7月=された。
その結果、日本臓器移植ネットワークなどによれば、2010年7月の改正臓器移植法の施行後、それまで年間平均わずか7人しか出なかった脳死ドナーが11年に44人、12年には45人と一挙に6倍以上にも増えた。
しかしながら今年7月1日現在、移植ネットに登録して移植臓器を待つ患者は心臓263人、肺214人、肝臓370人、腎臓1万2281人と多く、脳死ドナーはまだまだ不足している。とくに15歳未満の子供のドナーは改正法の施行後、2人しか出ていない。さらに言えば、年間数千人の脳死ドナーが現れる欧米と比べて日本の脳死ドナーの数はあまりにも少な過ぎる。
ここで岡山大病院の生体肺移植を振り返ると、脳死ドナーさえ存在したらあのような過酷な移植は避けられたと思う。世界的なドナー不足は臓器売買を助長し、中国のような死刑囚をドナーにする臓器移植も生む。
移植医療を取材してきたひとりの新聞記者として脳死ドナーを増やすことの重要性を忘れず、そして機会あるごとにそれを訴えていきたい。
(慶大綱町三田会・メッセージ@penから転載)
http://www.tsunamachimitakai.com/pen/index.html