—内閣改造でガス抜きの余裕があるのか–
2014-03-04 豊島典雄
安倍晋三首相が今秋に予定される臨時国会前に内閣改造と自民党役員人事を行う意向を固めた。第二次安倍内閣の閣僚は、在任期間が一年を超え、今夏には一年半余りとなる。内閣改造・党人事は「官邸主導の政権運営に与党内で不満があり、人事で求心力を高め、党内を引き締める狙いもある」(3月1日の朝日新聞)などと背景を報じられているが、日本の閣僚=国務大臣の平均在任期間は短い。総理が一年でころころ代わる猫の目内閣には批判が強いが、閣僚が1年弱で代わって来たことは良いのか。今回は政界の人事について考えてみたい。
竹下登官房長官の「政治家に、三つのコース」
昭和47年7月まで続いて佐藤栄作内閣の番記者時代に、私は某夜、首相公邸の門の右側にあった番小屋で佐藤総理の帰宅を待って待機していた。宴会帰りの竹下(官房長官)さんに誘われ、官房長官公邸で、酒の相手をした。竹下さんは宴会帰りで、したたかに酔っていた。
「政治家には三つのコースがある。第1のコースは大臣の匂いはすれどもなれないのコースだ。豊島君、君の故郷の佐野市が選挙区のM・Kさんだよ。第2のコースは大臣にはなれるコースだ。第3のコースは総理総裁になれるのコースだ。10年たったら竹下さん」と言っていた。竹下さんが後に総理総裁に上り詰めたことは言うまでもない。M・Kさんは当選を10回も重ねたが大臣にはなれなかった。
第二次世界大戦後の日本では自民党が1955年以来、短期間の例外を除いて政権の座にある。自民党の衆院議員なら一部の例外を除いて当選6回で国務大臣に就任できた。
ところてん方式で大臣が誕生
派閥の領袖の推薦名簿に沿って組閣が行われた。総理総裁が、過去の贈収賄事件などを理由にして拒むと、領袖が激怒して組閣が遅れたこともある。だいたい、ところてん方式で当選年次順に国務大臣になれた。ベテラン議員になっても入閣できないと、永田町雀に「入閣できない何かがあるのか。身体検査にOKがでないのか」なとど陰口されてしまう。選挙区での評価も下がり、次の選挙での当選が危うくなる。
ところてん方式での入閣なので、適材適所とは言いがたい国務大臣も少なくなかった。群馬県選出の防衛庁長官は「それは大事な問題ですから政府委員に答弁させます」と答弁して、世間を唖然とさせた。大事な問題だから責任者である大臣が責任を持って答弁するべきであった。全く不向きな女性法務大臣もいた。
米国のレーガン政権のころに日米の閣僚の在任期間を比較してみたことがある。日本は平均10ヶ月であった。英米では大統領や首相は任命した者を在任中代えない。大統領が2期8年務めるなら閣僚もそうである。シュルツ国務長官は7年、ワインバーガー国防長官も7年務めている。ドイツのゲンシャー外相にいたっては18年も務め上げた。日本の閣僚は毎年国際会議で、「お初にお目にかかります」と挨拶していたことになる。練達の士である各国閣僚を相手に、よく国益を守れるか?
大臣は旅人
中曽根康弘内閣時代に参議院でこういう国際比較を踏まえて首相に「閣僚を短期間に代えるべきではない」と質問した議員がいたが、「後がつかえています」という趣旨の答弁であった。短命閣僚の背景には「霞ヶ関の官僚が望んでいるんですよ。長く1人の人が大臣をやると、人事権を持つのだから省の人事にくちばしを入れるようになる。官僚としては困るのだ。敬して遠ざけたかったのだ」(自民党関係者Aさん)。霞ヶ関の官僚にとっては「我々は住人、大臣は旅人」であった。嫌な大臣でも1年我慢すればいなくなったのだ。官僚政治の背景には短命閣僚があったのだ。
「歌手1年、総理2年の使い捨て」といわれていたが近年、総理1年の使い捨て状態であった。より頻繁に総理がころころ代わる猫の目内閣が続いた。当然、閣僚も頻繁に交代した。近年では国務大臣の平均在任期間は11ヶ月である。高度経済成長、日米関係が強固な時代なら、それでも済んだのだろう。
今日、日本周辺では中国や北朝鮮の軍拡、対日恫喝の砲艦外交が展開されている。また、経済再生と財政再建を同時に達成しなければならない。アクセルとブレーキを同時に踏むようなものだ。超少子高齢化も難題である。外政、内政ともに困難な課題を抱えている。厳しい道である。「図らずも○○大臣を拝命いたしても………」という議員を大臣にしている余裕はない。
原敬にみる大臣ポストの重み
しかし、戦前はそうではなかった。大正時代の話になるが、平民宰相として、初の政党内閣を組織した原敬が可愛がっていた“子分”に、武藤金吉という群馬県第一区選出で当選8回の代議士がいた。彼は政友会の功労者で、なんとか一度大臣にしてほしいと懇願した。「ところが、原敬は非常にむつかしい顔をし、態度を改めて『僕は君のために何でもしてあげたいと思う。しかし大臣というものは自らその人がある。君は大臣になるという柄ではない。それだけは諦めてくれ。その他のことは何でもしてあげる』と云い、武藤もすっかりしょげた」(安岡正篤著『暁鐘』)という。国務大臣ポストの重みが現れている逸話である。
今年2月になってから政治の街である永田町に行くと、通常国会(6月22日まで)終了後から、秋の臨時国会までの間に行われる内閣改造と自民党役員人事が話題の中心であった。「適齢期の自民党議員はそわそわしていますよ」「大臣になりたい、なりたいという大臣病患者で安倍病院の待合室は満杯ですよ」(自民党関係者Bさん)などと言われている。安倍批判派の実力者のN・T議員の周囲では「安倍批判は控えてほしい。我々のことも考えてほしい」と親分に言っている。
安倍病院の待合室は満杯
なぜ、待合室は一杯なのか?戦後3番目の5年半続いた小泉純一郎内閣が派閥の推薦を受け付けなかったこと、それに自民党が3年4ヶ月の間、野に下っていたので、適齢期の議員が滞留してしまったのである。ところてんのように押し出せなくなっていたのである。
適齢期とは衆院なら当選5回以上、参院なら当選3回以上の与党議員で過去に入閣経験のない議員ことだが、衆院に43人、参院に10人余りいる。未入閣の自民党所属の衆院議員は、当選9回に1人、8回に2人、7回に2人、6回に16人、5回に22人いる。
最近の自民党総務会で、中堅議員が安倍内閣の方針に不満をぶつけるときがあるが、これも党内では「人事の停滞が原因だよ」(自民党関係者Cさん)との見方がもっぱらである。「ガス抜きに内閣改造が必要」(Cさん)なのだそうだ。
霞ヶ関も内閣改造に備えて準備している。情報収集と受け入れ準備に余念がない。先週末に懇談した官僚も、「うちの大臣は、自民党の要職に転出するでしょう。次は○○先生ですよね。○○先生に推薦する秘書官を誰にするとか、我々も準備していますよ」と言っていた。
来秋の自民党総裁選に備える
「党の役員人事の要は幹事長ポストです。来秋の自民党総裁選をにらんで人事が行われます。石破外しですね」(自民党幹部Dさん)という。一昨年秋の自民党総裁選の党員票で一番であった石破茂幹事長をどうするかである。かつて、昭和53年の総裁選で総理総裁の福田赳夫氏が、大平正芳幹事長に総裁選の一回戦で敗れたこともある。石破氏を閣内に取り込むのかどうかが、見ものである。後任の幹事長は菅官房長官だ、とかの噂が飛び交っている。
「内閣の重鎮や要は代えない。麻生副総理兼財務大臣、菅官房長官、甘利経済再生相は代えない。安倍首相を三人で支える4人衆体制は代わらない」(自民党幹部Dさん)と見られている。閣僚ポストは18。うち1ポストは公明党枠、参院枠が2~3。大臣待望者のすべての要求を満たすことは到底できない。
口の悪い永田町雀は「安倍首相は滞貨一層を迫られている」というが、わが国の置かれている厳しい情勢を考えればそんな余裕はない。
やはり野に置け蓮華草
民主党内閣時代にも、人材不足か、波の高い日本周辺の国際情勢を無視したかのような信じられない組閣があった。永田町では不適材不適所を「やはり野に置け蓮華草」と表現してきた。最近の民主党内閣にT・Mさんとかまったく不適材不適所の防衛相がいなかったか。続いたのではないか。「日本は防衛を軽視している」という誤ったメッセージを世界に発したことになる。任命権者の総理の責任は重大である。
中国の宋名臣言行録に張詠(946~1015年)の次の言葉がある。
「人を挙ぐるにはすべからく退を好む者を挙ぐべし
退を好む者は廉謹にして恥を知る
もし、これを挙ぐれば志節いよいよ堅くして、敗事あること少なからん
奔競の者を挙ぐることなかれ
奔競する者は能く曲げて諂媚こととし人の己を知らんことを求む
もし、これを挙ぐれば、必ず、能く才に矜り、累、挙官に及ぶこと、もとより少なからざらん」。
一言で言えば「俺が俺が」「私が私が」という人物は信用するなと言うことである。スタンドプレイ型の人物は要職につけるなということである。「私が私が」という人物(T・N)に、小泉純一郎首相でも手を焼いたではないか。
年功序列の余裕はない
お手手つないで幼稚園という国際社会ではない。ロシアのウクライナへの侵略は国際社会では弱肉強食の「ジャングルの掟」が生きていることを教えている。ヨーロッパの「白い熊(=ロシア)が紙の鎖(=条約)につながれていたためしはない」という教訓は生きている。日ソ中立条約もそうだった。
他国の一部を占領してしまえば、国連も何もできない。オバマ大統領の米国がロシアへの経済制裁を呼びかけても大国ロシアにどれほどの効き目があるか?既成事実を作ってしまえば勝ちである。尖閣諸島への中国の野望を考えるうえで教訓を含んでいるウクライナ情勢である。
日本周辺には、軍国主義としか言いようのない中国、北朝鮮、それに執拗に反日言動に血道をあげる韓国がいる。外交や安全保障政策の優先順位はますます高まっている。防衛相、外相、それに「国家百年の大計」である教育行政を担当する文科相などは続投させるべきである。「後がつかえている」などという次元で人事に臨むべきではない。「政府委員ではなく、政治家である大臣らが国会答弁する時代です。能力を求められているのです。そうそう人材がいないわけでもない。誰でも当選年次を重ねれば大臣になれるということは断ち切らねばいけない」(自民党関係者Bさん)のである。
元代の官僚・儒学者である張養浩の「三事忠告」に次の言葉がある。
「天子の職は相を択ぶより重きはなし
宰相の職は賢を用いるより重きはなし
然らば即ち何を持ってかその賢を知る
これを人に諮れば即ちこれを知る
その行を察すれば即ちこれを知る
挙ぐるところを観れば即ちこれを知る」。
天子を首相に置き換えて読んでみれば良いだろう。人事の重要性を深く知るべきだ。
安倍内閣は官僚政治ではない。政治主導である。また、アベノミクスと東京五輪の誘致成功で、長期政権化の流れに乗っている。人事でもおおむね適材適所である。党内のガス抜きという視点や、年功序列人事の愚は避けるべきである。腕の良い者を長く続けさせる必要がある。
–以上−