2016-02-20(平成28年) 松尾芳郎
エビエーションウイーク誌創刊100周年記念の4番目の記事として「過去半世紀以上で航空輸送の安全性がいかに向上したか」、その歩みを書いた”Staying Alive” Bill Sweetman and John Croft共著、がJan 18-31, 2016号に掲載された。以下はこれを基にしてまとめたもの。
航空安全をさらに推進するには、合成視認増強システム(enhanced synthetic vision system)が有効とする意見、あるいはもっと自動化を推進すべし、など議論が絶えない。また、航空輸送開始から100年経った今でもマレーシア航空370便・行方不明のような謎に包まれた事故も起こっている。
今日では大変な数の旅客機が、ほとんど事故に遭うこともなく世界中を飛び交っている。1962年の死亡事故率(百万出発回数当たり)が変わらずそのままだったとして、2015年に当て嵌めると2日に一回の割合で死亡事故が起きる勘定になる、つまり年間180件も大事故が発生することになる。しかし2015年の事故は、パイロットが自殺したために起きた件(Germanwings A320 @ 3月24日150名死亡)と、テロによる爆弾で墜落した件(ロシアMetrojet A321 @ 10月31日224名死亡)の2件を含む、13件であった。
航空輸送の事故率は、徐々に減り今の水準になったもので、ICAOなどの国際機関が目標を立て推進したのではなく、事故毎に採られた対策が積み上げられ得られたものである。期間中に常識を破る技術革新があった訳ではなく、最新の旅客機でも1965年当時と基本的に同じでその延長上にある。
今日の航空の安全性は、飛行機の作り方、整備のやり方、新しい装備、運航の方法、などに関わる細かい改良によりもたらされたものである。業界全体が、事故の原因を一つ一つ丹念に取り除くことに努力して来たのが大きい。以前は判らなかった事故の原因を明らかにするための手法や技術の進歩も見逃せない。昔なら単に“パイロット・エラー”で片付けられていた事故が、技術的問題点、訓練の方法、関係者の心理状態、などの観点からも調べるようになってきた。しかし事故対策の本筋は依然として技術的改善に在ることに、これからも変わりはない。
図1:(Boeing/Aviation Week)水平軸に西暦年、左縦軸に百万出発回数あたりの折れ線表示の事故率、右縦軸に搭乗者死亡数の棒表示の推移、を表した図。これに主な事故対策項目を併記してある。事故率は「死亡事故率」、「全損事故率」、その合計の「全事故率」、いずれも低減しゼロに近くなっている。「年間搭乗者死亡者数」は、あまり減らず400人前後で推移しているが、これは出発回数が著しく増えているためだ。幾つかのピークは大事故のためで、1977-03-27:カナリア諸島テネリフェ空港でのパンナム747とKLM 747の地上衝突事故(死亡583人)、1985-08-12:日本航空123便747の御巣鷹山事故(死亡520人)、1996-07-17:TWA800便のニューヨーク沖での空中爆発事故(死亡230人)などがある。2013年の航空事故の死亡者数は約300人だったが、国連WHOによると同年の世界の地上交通事故死亡者数は125万人、うち半数が歩行者と自転車、バイクの搭乗者なので、自動車の搭乗者死亡数は62万人とされている。
- 疲労強度設計の改善・構造強度の疑問点解決(Solving Structural Mysteries)
英国のデハビランド・コメット(de Havilland Comet)は、まだ第二次大戦の余波が残る1952年に、世界初のジェット旅客機として登場した。しかし1954年になると1月と4月に地中海上空で空中分解、墜落する事故が相次いで発生、飛行停止になった。原因究明のため、用意した大型水槽に機体全体を入れ、水圧で繰り返し荷重を掛け試験したところ、胴体の窓枠やドア、その他の構造の切り欠き箇所の周囲に初期疲労によるクラックが生じることを発見した。これでコメットは全機退役となり廃却された。試験の結果から、応力集中を避け、発生したクラックの成長を防ぐ設計を取入れた完成度の高い新しいコメット4型が1958年から再び就航した。
米国では、ロッキードがターボプロップ付きエレクトラ(Electra)を作り、1959年始めから売り出し経済的だということでかなりの成功を納めた。しかし、2機が、1959年9月と1960年3月に飛行中に主翼が折れ、墜落する事故を起こした。調査の結果、原因は、エンジン取付けマウントの強度が弱くエンジンが振動し、特に外側エンジンとプロペラが起こす”ホイール・モード・フラッター“が、外翼のパネルの自然曲げ周波数(natural bending frequency)と共振して疲労し、外翼が破断した、と判った。すぐに設計をやり直したがコメット4の場合と同様、以後の販売は伸びなかった。
複雑な事故解析から得られた教訓は、以後の設計に反映され、また疲労強度の高い材料が使われるようになり、その後は使用時間の短い機体で構造が破壊するような事故は無くなった。
図2:(Wikipedia)ロッキードL-188エレクトラは最初の米国製ターボプロップ付き旅客機で、大きなプロペラと短い翼幅、翼後縁には大型フラップを装備、他機に比べ短距離離発着性能が優れていた。乗客約100名、全長32 m、翼幅30 m、離陸重量51㌧、エンジンはアリソン501-D13軸馬力3,750を4基。約170機が生産された。その後米海軍ではこれを改造してP-3 Orion対潜哨戒機として重用した(650機生産)。我が海上自衛隊は、川崎重工がライセンス生産したP-3C型を107機調達し、現在も使用している。
- 航空交通の管制改善(Controlling Air Traffic)
1956年6月30日、ユナイテッド航空のダグラスDC-7型機とTWAのロッキードL-1049スーパー・コンステレーション機がアリゾナ州グランドキャニオン上空で衝突、128人が死亡した。これはそれまでで最大の航空事故だった。当時DC-7は計器飛行中だったが航空路から外れて飛行中、またコンステレーション機は目視飛行中だった。衝突当時、両機は共に高度21,000 ft (約7,000 m)付近の雲のなかを飛んでいた、と推定されている。
事故調査報告書が発行されると、議会は、米国上空の空域が部分的にしか監視、管制されていないことに注目し、民間航空局(CAA=Civil Aeronautics Administration)に、レーダー網の整備と航空管制センターの拡充を要求、そのための予算を付けた。しかし航空路上の管制は依然としてCAAと米空軍で分割管理する状態が続いていた。このなかで、1958年4月には、ユナイテッド航空DC-7と空軍のF-100戦闘機が空中衝突を起こし、続いて5月にも軍民の飛行機が衝突する事故が起きた。議会は事態を重く受け止め、民間航空局(CAA)を連邦航空庁(FAA=Federal Aviation Administration)に格上げ改編し、全米の空域を一元的に監視、管制するよう体制を改めた。
新しいFAAにより、管制された空域を飛行する全ての航空機は管制側に自機の情報を自動送信する”トランスポンダー(transponder)[自動送受信装置]”を装備するようになったが、それでも衝突やニアミスを根絶することはできなかった。
空中衝突を防ぐには、すでに1950年代に、航空機に“トランスポンダー(Transponder)[受信信号に自動応答する装置]”と“インテロゲーター(interrogator)[質問装置]”を装備するのが有効、と判っていた。しかし技術の未発達で実現はずっと後になる。1980年代になるとコンピューター技術の進歩で、機上に搭載可能で誤警報を出さない実用的な警報装置が完成した。これが「空中衝突防止警報装置(TCAS=Traffic Alert Collision Avoidance System)」で、1990年代から各エアラインの旅客機に装備されるようになった。
TCASに適合するトランスポンダーを搭載する航空機は、自機の飛行情報を「放送型自動従属監視信号(ADS-B=Automatic Dependent Surveillance- Broadcast)」で周囲に送信する。近くを飛行中の他機に1030MHzで「問い合わせ」し、受信した他機は1090MHzで応答する。この送受信の繰り返しでTCAS装備機は相手機の位置を知り、自機の将来位置を推定し、衝突の恐れを判断し、パイロットに警告を出すと云うのが、TCASの仕組みである。
TCAS 1:第1世代型で、もっぱら小型機に使われている。周囲4 nm(7.5km)の交通状況を監視、相対位置情報や、お互いが接近している場合には「TA=Traffic Advisory(接近情報)」を出す。音声で「traffic, traffic(他機あり)」とアナウンスする。回避指示はしない。危険がなくなると「clear of conflict(危険は解除)」の音声がでる。
TCAS II:第2世代型で、民間航空機(米国では30席以上、離陸重量33,000 lbs以上の機体)に適用、監視範囲は40 nm(75 km)である。「TA=Traffic Advisory(接近情報)」と「RA=Resolution Advisory(回避指示)」を音声と表示でパイロットに伝える。音声では「descend, descend (降下せよ)」あるいは「climb, climb(上昇せよ)」と指示する。この指示の前に、TCAS II同士で「RA/回避指示」が話し合われ、お互いの回避方向を反対にする。現在は改良型の「TCAS II 7.0」が民間機に搭載され、Honeywell社とRockwell Collins社が供給している。
「RA/回避指示」は、昇降計(Vertical Speed Indicator)上に速度またはピッチ角で示され、操縦席の”PFD =Primary Flight Display”上に、“ヘッドアップ・デイスプレイ(HUD=Head up Display)がある場合はそこにも、表示される。危険な方向は”赤色”飛行すべき方向は”緑色”で示される。
図3:(FAA)”PFD”上に示された「RA/回避指示」表示の例。現在の飛行高度(FL)は約31,000 ft、速度は330 ktで水平飛行中だとわかる。左側速度計(Speed)で330 kt以上は危険(赤のドット)、右側の昇降計(VSI)には大部分が危険“赤色”で、“緑色”で約2,000 ft/分の降下率で降下せよ(Descent)の指示が示されている。
- 飛行記録装置/事故調査にデータの活用(Bringing Data to Investigation)
前述のコメットの事故(1954年)では生存者も目撃者もおらず、ましてや飛行記録装置(FDR=Flight Data Recorder)もなかったので、構造破壊の始まりを知るには、四散した機体の残骸から調べる以外に方法はなかった。コメットの事故を受け、オーストラリアの技術者デイビッド・ワレン(David Warren)は、墜落の衝撃に耐えられるアナログ式の飛行記録装置(FDR)を開発した。このFDRは24のパラメーターを記録できる装置で、英国航空当局が最初に採用、1965-1966年に民間旅客機に搭載するよう義務付けた。
基本型のFDRはその後の事故調査で大変役に立ったが、米国ではこれに「コクピットの音声を記録する装置(CVR=Cockpit Voice Recorder)」を含めるように改良した。ただしパイロットのプライバシーを考慮して、CVRの記録は最後の30分間のみとし、エンジン・シャットダウン後は自動的に消える仕組みにしてある。CVRが事故調査に役立った例は、イースタン航空401便ロッキードL-1011機がマイアミに向け飛行中エバグレイズ(Everglades, Florida)に墜落した件の事故調査であった。CVRによると、乗員は3名とも、たまたま点灯した一つの警告灯に注意を集中していて、高度計をモニターするのを失念していたのが墜落の原因、と判明した。航空機関士を含む3人の乗員にうち一人でも高度計の指示に注意していれば回避できた事故と言われている。この事例は、後ほどパイロット訓練の一つになった“コクピット・リソース・マネジメント(cockpit resource management)に採り入れられ、安全性向上に役立っている。
(その2に続く)