NASA、火星大気の中を飛ぶ無尾翼機の開発に取組む


2016-05-19 松尾芳郎

 mars_prandtl-m

図1:(NASA)火星大気中を滑空飛行する無尾翼機の想像図。

 

NASAは、火星探査ミッションの一つとして火星上空を低高度で飛び表面を探査する無尾翼機の開発に取組んでいる。

これまでの火星探査は、周回軌道上の衛星と地上を動くローバー、の二つの方法で行われてきたが、これに無尾翼グライダーが加わることで一層精密な探査が可能になる。

NASAの「アームストロング・フライト・リサーチ・センター」の「アル・バワー(Albion Bower)」主任技師が進めている「プランドル-D3無尾翼グライダー機(Plandtl-D3 flying wing)」がそれだ。これは一見極めて簡単な設計で、自動的に姿勢を制御しながら飛行する。複合材製で、翼幅61 cm、地球上での重さ1.8 kgの小型で、将来の火星探査機の打上げに際し、一緒に10 cm3 の立方体3個分の小型衛星 (3U CubSat) に折り畳んで積込み、火星大気中に放たれる。

完成すれば、火星の大気を想定した地球上の環境下で試験飛行をする予定だ。最初は、高度30,500 m上空の成層圏まで風船で運ばれ、そこで放たれ5時間後に地上に帰還するテストである。試験は2回予定されていて、タクソン(Tucson, Arizona)またはテイラムーク(Tillamook, Oregon)で行われる。1回目は、GPSを使って飛行するが、火星の上空ではGPSは使えないので推測航法システムを開発する必要がある。試験機には地図作成用カメラ、及び高高度用電波高度計を搭載する。

この試験が成功すれば、次は小型の打上げロケットに搭載し、さらに上空の137,000 mに打上げ、ここで翼を展張して火星大気圧に相当する高度33,500 m – 35,000 mで飛行したのち、着陸させる。

火星の大気圧は750パスカルで、地球の海面上大気圧の101.3 キロ・パスカルのわずか0.75%で大変希薄である。組成は95%が二酸化炭素、3%が窒素、その他は極く微量。

火星探査機に相乗りして火星上空に到達した小型衛星(CubSat)は、分離落下し試験機を放出する。試験機は高度610 mで翼を展張しグライダーとして火星大気中をゆっくりと降下、30 kmほど飛行して地図情報を収集しながらほぼ10分後に予定地点に着陸する。着陸地点は、将来有人探査が行われる場合に想定される場所になる。

 

ここで無尾翼機について述べてみよう。

無尾翼機は”flying wing”と呼び、普通の飛行機にある垂直尾翼がない。これで機体が小さくでき、抵抗が少なくなり、燃費も改善され、敵のレーダーからは発見されにくくなる。

無尾翼機は、70年以上も昔、第2次大戦末期のドイツで開発され実際に飛行している。これはホルテン兄弟( WalterとReimar) が作った「ホルテン(Holten) Ho 229」で、ホルテン兄弟は航空の歴史上特筆すべき先駆者と言って良い。その空力的理論は未だ完全に解明されておらず、今回のNASAの火星探査無尾翼機グライダーの開発で、その理論的解明の実験もする予定である。

すなわち、NASAが作る「プランドル-D3無尾翼グライダー」の片方の翼に光ファイバー・ケーブル製形状感知センサー[FOSS=fiber-optics shape-sensing system]を取付け、前述の超高空での試験とは別に、今年末にも飛行試験をしたいとしている。これで無尾翼機に備わる空気抵抗低減という特性の実用化の可能性を探ろうとしている。取付ける [FOSS]システムは、翼に加わる応力、形状の変位、温度などの諸情報を毎秒5,000回の割合でセンスする。

 

前掲のNASA「アル・バワー」主任技師の無尾翼機に関する説明は次の通り;—

『現在の多くの飛行機が使う主翼の平面形は、翼に生じる揚力が翼端に行くに従い楕円形状に減っていく「楕円翼」である。これに対し、1933年にドイツの先駆的な空力設計技師「ルドウイグ・プランドル(Ludwig Prandtl)」氏は、翼を長くし翼端に僅かなねじりを加えて、揚力分布を楕円形でなくベル状にする「ベル型翼(bell-shaped wing)」を提唱した。これで「楕円翼」に比べ11%効率が上がるが翼幅は22%大きくなる。

「ベル型翼」では、翼端は揚力を生まず、翼中央部分では後縁から下向き空気流(downwash)が生じるが、翼端では上向き空気流(upwash)となる。この結果翼端では揚力と誘導抵抗でつくる合成揚力は前方に傾き、その水平分力は前向きに働き「誘導推力(induced thrust)」となる。

翼端での揚力減と推力成分の増で、飛行機の機首を左右に振る偏揺れ傾向を防ぐことになる。従って垂直尾翼無しでも安定して飛べる。

垂直尾翼が無くなるとこれだけで30%の燃費を節減できる。「プランドルの翼」は、鳥の飛行をベースにした「効率の良さ」と「調和のとれた操縦」を同時に達成できる唯一の解決策と言って良い。実際の飛行機に適用するには、エルロン(aileron=補助翼)の位置を翼端近くの推力変更区域に置き、横揺れだけでなく偏揺れモーメント(roll-yaw motion)を同時にできるようにすることが肝要だ。』

楕円翼の理屈

図2:(NASA)標準的な楕円翼(翼幅方向の揚力分布が楕円形になる翼)では、後縁の下向き空気流(downwash)は一様になる。そして翼端では下面から上面へ強い巻き上げ渦が生じ、大きな誘導抵抗となる。

ベル型翼の理屈

図3:(NASA) ベル型主翼は、翼の付け根付近で強い「下向き空気流(downwash)」を発生させ、翼端近くでは翼を細くし(縦横比を大きく)ねじり下げを付ける。これで翼端付近の誘導抵抗を加味した揚力は前方に傾き、その水平分力は抵抗でなく前向きに働く「誘導推力」となる。そして後縁には「上向きの空気流(upwash)」が生じる。ベル型主翼とは、翼幅上に生じる揚力分布が(楕円形でなく)ベル型になる、という意味で名付けられた。

 

ホルテン兄弟は、第1次大戦後スポーツ航空クラブでグライダーの飛行を楽しむ傍ら、1930年代初めから飛行機/グライダーの設計をはじめ、Ho IV無尾翼グライダーを作った。兄のWalterはドイツ空軍の戦闘機パイロットとなり英本土空襲に度々参加した。その経験からドイツ空軍はもっと優れた戦闘機を持つべきと考え、無尾翼戦闘機の開発を思い立った。

ホルテン兄弟は、無尾翼機Ho 229を3機製作し、1機目はエンジン無しのグライダーとして空力設計の検証に使い、2機目はジェット・エンジン(ユンカースJumo 004)を2基取付け1945年2月2日に初飛行に成功したが、数週間試験を続けた後、片方のエンジンが故障し墜落した。しかし、この間の飛行でその設計が正しかったことが証明された。3機目のHo 229はほぼ完成しHo 229 V3として残されたが、戦後米国に捕獲され研究された。

ホルテンHo 229

図4;(Wikipedia)ホルテンHo 229無尾翼機の3面図。ドイツ空軍相ヘルマン・ゲーリングの目標、「爆弾1トンを積み、航続距離は1,600 km、時速1,000 km/hr、の性能」の実現を目指して作られた。

US-aircraft

図5:ホルテンHo 229 V3 (3号機)と思われる写真。コクピットを挟んで両側にユンカースJumo 004ジェット・エンジンが取付けられている。Jumo 004エンジンは大戦末期に8,000台ほども作られ、メッサーシュミットMe262戦闘機とアラドAr234爆撃機に装備された。推力は約1,000 kg。

 

米国に運ばれたホルテンHo 229を研究した結果生まれたのが、今でも核戦争抑止力として睨みを利かせているノースロップ(Northrop)B-2爆撃機。その形はホルテンのデザインそっくりだ。

度々言っているように尾翼がないと機首を左右に振る偏揺れの傾向が生じる、無尾翼機で最も大きな問題は飛行の安定性確保である。エンジンが故障したり、失速に入った場合の操縦性を如何に保つかが、無尾翼機の実用化の壁となってきた。

ホルテン兄弟は、翼を長く薄くして、つまり翼のアスペクト比を大きくして、この問題を解決した。これで、機体の重量を広い翼面に分散し、翼の両端に生じる渦(下面から上面に回り込む翼端渦)を減らし、さらに翼端の迎角をねじり下げて失速を防ぎ、操縦性の維持を図った。

前述のNASAのアル・バワー氏は、ホルテン兄弟はその天才的な閃きでベル型主翼[bell-shaped wing]を採用して偏揺れ問題を解消し、同時に抵抗削減にも成功した、と語っている。

ホルテンの設計には、前述したが、もう一人のドイツの空力設計技師「ルドウイグ・プランドル」氏とも関係がある。ホルテン兄弟は、プランドル氏が1933年に提唱した「ベル型翼」理論を適用して無尾翼機Ho 229の開発に取り組み、1944年に完成、飛行試験に成功したのである。

米国で無尾翼機の開発に貢献したのはノースロップの創立者「ジャック・ノースロップ(Jack Northrop)」氏である。1930年代末にホルテンのグライダーを見て刺激を受け、大戦後は捕獲されたHo 229を研究して、1940年代末にノースロップYB-35無尾翼爆撃機を作った。この飛行機はピストン・エンジンを装備していたが振動に悩まされ、不成功に終わった。そのあとジェット・エンジン付きのYB-49を製作し量産はされなかったが成功し、ホルテンの設計思想が正しいことを証明した。ノースロップ氏が退役した後、後継者が次に製作したのがB-2“スピリット”ステルス爆撃機で、これもHo 229の設計を理論的に継承した機体である。

YB-49

図6:(Northrop) ノースロップYB-49試作爆撃機。2機製作されたがいずれもその前に作られたピストン・エンジン付きYB-35を、ジェット機に改装したもの。エンジンは,Allison/GE J35推力4,000 lbsを8基装備した。

 

最後に本題のNASAの火星探査グライダーに話を戻そう。

プランドルD3

図7:(NASA/Tom Tsuchida) NASAが計画する無尾翼火星探査グライダー「プランドル-D3」は、ホルテンHo 229の設計の影響を大きく受けている。

 

前述のNASAの担当主任技師バワー氏は次のように話している;—

「我々が探し求めていた答えは“プランドルとホルテン”にあった。鳥のように空を飛び、抵抗が少なく、これで将来の飛行機に役立つ高い効率が得られる。この理屈で将来飛行機の効率は多分70%以上改善できるだろう。私が始めた仕事はほんの最初に過ぎない。ライマー・ホルテン(Reimar Horten)の示した道筋はまさに当を得たものだった。彼は自分のアイデアの行末を見届けることは叶わなかったが、今我々がそれを引き継いでいる。」

 

—以上—

 

本稿作成の参考にした主な記事は次の通り。

Aviation Week May 2, 2016 “High-Efficiency Wing moves to Next Test Stage” by Guy Norris

Gizmag June 30, 2015 “NASA to test Mars flying wing drone” by David Szony

BBC Future 2 Feburuary 2016 “The WW2 flying wing decades ahead of its time” by Stephen Dowling