2016-09-02(平成28年) ジャナーリスト 木村良一
今回は生命倫理の絡んだ移植医療の問題について論じたい。
今年7月17日、岡山大病院が世界2例目の「ハイブリッド肺移植」の手術に成功した、と発表した。ハイブリッドとは「混成物」の意味で、ハイブリッド肺移植は脳死したドナー(臓器提供者)と健康な生体ドナーの双方から肺の提供を受け、同時に患者に移植する手術である。昨年4月に岡山大病院が世界で初めて成功した。
脳死ドナーの肺は呼吸機能の低下から移植に適さないことが多い。その点、生体ドナーの肺で機能を補うハイブリッド肺移植は脳死ドナーの肺を無駄にせず、ドナー不足の解消につながる。その一方で健康体を傷付けなければならないという生体移植の根本的な大きな問題点は残る。このハイブリッド肺移植を生命倫理上どう考え、今後どう扱っていったらいいのだろうか。
世界2例目のハイブリッド肺移植は、20人の医療チームによって17日午前8時35分から岡山大病院で始められ、午後5時45分に終了した。ざっと9時間以上かかった計算になる。医療チームの人数の多さと長い手術時間を見ても手術の難しさが分かる。
移植手術を受けた患者は60歳代の男性だった。4年前に肺胞の壁が炎症を起こして硬くなり、酸素と二酸化炭素の交換ができなくなる特発性間質肺炎と診断された。昨年7月、日本臓器移植ネットワークに登録して脳死ドナーが現れるのを待っていた。手術の成功で10月には退院できるという。
患者は脳死ドナーから右肺の提供を受け、さらに息子の左肺の一部(下葉)も移植した。同じ脳死ドナーから左肺の提供を受けた京大学病院はこの肺が十分に機能していなかったことから移植手術自体を断念している。
患者の息子の左肺の下葉を摘出しなければ、ハイブリッド肺移植の手術は成り立たなかった。指摘したい問題点はそこにある。
昨年4月4日に岡山大病院で行われた世界初のハイブリッド肺移植の手術も同じである。患者は59歳の男性だった。脳死したドナーからは左肺の提供を受けたが、岡山大病院ではこの左肺だけでは十分に呼吸できないと判断し、生体ドナーから右肺の下葉を摘出して移植、肺の機能をサポートさせた。生体ドナーは患者の息子だった。
2つのハイブリッド肺移植を担当した移植医はそれぞれの手術後、次のようなコメントを発表している。
「医学的理由で使用が断念される肺が利用されるのは意義深い。使われない肺を少しでも減らしたい」「脳死肺移植と生体肺移植の欠点を補うものだ」「目の前の患者を助けるために必要な手術だ」
なるほど、十分に呼吸ができずに体力が衰え、いつ亡くなってもおかしくない患者を目の前に「何とかしたい」という移植医の気持ちはよく分かる。医学の進歩にも貢献していると思う。新聞やテレビの報道も「移植医療の幅が広がる」と評価していた。
だが、しかしここで冷静に考えてほしい。生体肺移植でもあるハイブリッド肺移植では、健康な人をドナーにしてその人の胸を切り開いて肺の一部を摘出し、患者に移植しなければならない。肺の一部を摘出されることでドナーのその後の健康に問題が生じないとはかぎらない。そもそも生体移植手術は、やむを得ない緊急避難の措置なのである。
ところで2013年8月号のメッセージ@pen(URL参照)で、「生体移植の背後に横たわるドナー不足 この解決を忘れまい」との見出しを付け、脳死ドナーが不足しているために、難易度の高い子供の生体肺移植を実施しなければならない、と訴えた。
その生体移植はハイブリッド肺移植を成功させた岡山大病院で実施され、執刀医も同じ移植医だった。3歳男児に母親から摘出した肺の一部(小さな中葉)を移植する手術で、世界で初めて成功した。しかし男児は成長すると、移植された肺の容量が不足する。このため脳死ドナーが現れるのを待つか、父親の肺の一部(下葉)を移植しなければならない。
最終的に男児は肺移植を二度も受けなければならず、しかも母親の次は父親から肺を譲り受ける可能性もある。記事では「それほど苛酷である」と訴えた。
日本は欧米と違い、1997年10月に臓器移植法が施行されるまで、脳死者をドナーとすることが認められず、健康な人から肝臓の一部や片方の腎臓の提供を受ける生体移植が盛んに行われてきた。そのための医療技術や手術手技も進歩した。
しかしながら法的に脳死移植ができるようになってもドナー不足から緊急避難であるはずの生体移植が、日常的に行われている。
生体移植の苛酷さを自覚し、生体ドナーを少しでも減らし、脳死ドナーを増やしていく必要がある。
—以上—
http://www.tsunamachimitakai.com/pen/2013_08_003.html
慶大旧新聞研究所のOB会(綱町三田会)によるWebマガジン「メッセージ@pen」の9月号から転載しました