2019(平成31年)-04-03 ジャーナリスト・木村良一
2019-04-06 改定(福生病院の写真を追加)
図:公立福生病院
□救急現場で患者を取材した
東京都三鷹市にある杏林大学医学部付属病院の高度救命救急センターを取材したことがある。産経新聞の社会部記者として厚生省(当時)の記者クラブに在籍していたころだから、いまから20年以上前になる。
持病をこじらせ、心臓が止まった60歳代の女性が救急車で運ばれてきた。ジャパン・コーマ・スケールの意識レベルは、痛み刺激に反応しない最低レベルの「Ⅲ-300」。1階の処置室ですぐに心臓マッサージなどの心肺蘇生が施され、心拍は再開し、2階のICU(集中治療室)に移されて治療が続けられた。
だが、心停止から40分以上も経過していたため、酸素不足から脳に障害が残り、意識は回復しなかった。血圧は50と低く、腎臓の機能も低下していた。呼吸も人工呼吸器で保つのがやっとだった。主治医は脳死状態にあると判断し、それを確認する脳死判定を行うことを家族に告げた。
いまだから話せるが、私はマスクと白衣を身につけ、一部始終をそばで見ていた。患者の家族は私を医師の1人だとみていたと思う。
確か息子さんだった。主治医に「血圧が低いのなら昇圧剤を投与してほしい。腎機能が落ちているなら人工透析を施して下さい」と訴えていた。
しかし昇圧剤や人工透析に耐えられる状態ではなかった。明らかに回復の見込みのない終末期だった。治療の施しようがなかった。それでも家族は回復を強く願った。
□終末期医療は繊細で難しい
医学的には死が避けられない状態であっても、家族がそう思いたくないケースもある。それだけ終末期医療は、繊細で難しいと思う。
それがどうだろうか。透析を中止したり、最初から透析を施さなかったりした「公立福生病院」(東京都福生市)は、終末期医療の難しさをきちんと理解していたのだろうか。
公立福生病院で昨年8月、腎臓病を患っていた44歳の女性患者の人工透析治療が中止され、1週間後に死亡した。病院側は「医師が女性の話を聞いたうえで中止を決めた」と説明しているが、東京都が医療法に基づいて立ち入り検査に乗り出し、日本透析医学会も調査に入った。
これまでの報道を総合すると、女性は末期の腎不全と診断され、医師や家族と何度か話し合って透析治療を受けないことを決め、同意書にも署名していた。しかし女性は透析を中止して容体が悪化した直後、透析の再開を求めた。なぜ病院は女性の訴えを聞かなかったのか。
病院は院内の倫理委員会に透析中止を提起して判断を仰がず、一部の医師だけで決めていたというが、人の命を扱う医療者としてあまりにも杜撰だ。
日本透析医学会の指針によれば、透析を中止できるのは、回復の見込みのない終末期の患者が事前に中止の意思を示したうえで、その患者の状態が極めて悪化した場合に限定している。状態が改善したり、患者や家族が透析再開を望んだりしたときには再開するよう求めている。明らかに公立福生病院の行為は、学会指針に違反している。
都の調査によれば、2018年3月までの5年間に病院の説明を受けて約20人の患者が人工透析を受けない選択をして全員が死亡している。病院のインフォームド・コンセント(説明と同意)は十分だったのか、疑問である。
□過酷な透析治療が患者を追い込む
人工透析は腎機能を失った患者を人工腎臓(透析装置)にかけて患者の血液から尿素やクレアチニンなどの老廃物を取り除く治療だ。患者の体に老廃物が溜まると、意識障害を起こして死んでしまう。本来、腎臓が血液を濾過し、老廃物を取り出して尿を作る。だが腎不全の患者は尿が作れない。おしっこが出ない。腕などに動脈と静脈をつないで作ったシャント(バイパス血管)から人工腎臓に血液を送り出し、そこで血液をきれいにして体内に戻す。通常、1回の治療で3~4時間かかり、これを週に3~4回行う。
拘束時間が長いうえ、毎回針を刺す痛みにも耐えなければならない。長い年月でシャントが詰まる。次第に新たにシャントを作る場所がなくなる。脳血管障害などの合併症が起きる。感染症の問題もある。食事制限も厳しい。
透析治療は精神的にも肉体的にも負担が大きい。だが透析を止めると、死が訪れる。透析患者は精神的に追い詰められる。判断が二転三転することは珍しくない。44歳の女性患者も、精神的に不安定になっていたという。公立福生病院は過酷な状態に置かれた透析患者の精神状態を十分に把握していたのだろうか。
透析から抜け出すには、腎臓移植しかない。病院は家族などから腎臓を譲り受ける生体腎移植や、日本移植ネットワークを通じた心臓死した人あるいは脳死者からの腎移植について十分に説明したのかも疑問である。
ちなみに透析患者は右肩上がりで増え続け、現在全国で約33万人にも上る。その多くが糖尿病を悪化させて慢性の腎不全になった糖尿病性腎症の患者だ。
□「尊厳死」の考え方とは大きく違う
ところでいま、終末期医療の在り方が大きく問われている。日本は世界でも希な高齢化に直面し、命の終焉に関心が高まっている。自分が死の避けられない終末期の状態になったとき、延命治療を受けるのか、それとも拒否するのか。終末期はだれもが最後にたどり着く状況だ。延命治療を正しく認識し、終末期をどう生きるかがひとりひとりに問われている。
問題の人工透析も延命治療のひとつである。おなかに穴を開けて栄養分を胃に送る胃ろうや人工呼吸器を使った人工呼吸などもそうだ。薬物の投与、化学療法、輸血、輸液も延命治療に該当する。こうした延命治療を死が迫る終末期において無意味なものとみなして中止し、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎える。これが「尊厳死」と呼ばれるもので、体が死のうとしているのに生命維持装置を使って無理に引き留めることを止め、死を本来の望ましい形で迎えようとする考え方だ。
43年前に設立された日本尊厳死協会がこの尊厳死を推し進めている。日本救急医学会も2007年に一定の条件下での人工呼吸器などの取り外しを提言。日本老齢医学会も2012年に胃ろうを止めるための指針をまとめている。
しかしながら公立福生病院の行為は、尊厳死と大きくかけ離れている。終末期医療を一方的に都合良く、しかも少数で判断した結果、多くの透析患者の命を奪ってしまったように思えてならい。行政や学会の調査だけでは心もとない。刑事事件として警察や検察が捜査に乗り出し、問題点をきちんと洗い出して再発防止に努めるべきである。
―以上―
※慶大旧新聞研究所OB会のWebマガジン「メッセージ@pen」の4月号から転載しました。http://www.message-at-pen.com/?cat=16
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