泥沼化する日韓関係、38度線は名存実亡


2019年11月28日(令和元年)                      政治アナリスト・元杏林大学教授  豊島典雄

日という妖怪が

朝鮮半島には反日感情という妖怪が徘徊しているようだ。

いわゆる慰安婦、徴用工問題、そして韓国海軍艦艇による自衛隊機へのレーダー照射問題で日本を¨敵国”扱いする韓国の文政権の異常な反日言動は、礼儀正しい日本人の感情を急激に悪化させ、堪忍袋の緒が切れてしまった。

かつては自由陣営の仲間であったが、今や、有力政治家からも「韓国には丁寧な無視」の姿勢が唱えられる時代である。

大局観のあるまともな韓国大統領の登場を期待したいが無理である。

当面は、

①GSOMIA( 日韓軍事情報包括保護協定)すら破棄し、反日を政権の求心力にしようとした文政在寅権であり、説得は無理。国際社会に我が国の立場を徹底して説明すべきである。

慰安婦、徴用工などでの韓国のなりふり構わぬ宣伝に比べ、我が国の対外広報は完全に立ち後れていた。嘘も百回繰り返せば、真実らしくうつる。韓国の“告げ口外交”に負けていた。韓国にしてやられていた。

②南北朝鮮は事実上、一体化し、38度線は名存実亡である。トランプ政権の文大統領への不信感は極めて高い。在韓米軍の撤退もありうる前提で我が国の安全保障を考慮すべきである。

日韓両国は14年に及ぶ厳しい交渉をへて戦後20年目の1965(昭和40)年に日韓基本条約を締結し、同時に4協定を締結した。

この交渉は、日韓併合条約等が無効になる時期、韓国の主権の及ぶ範囲、対日請求権、竹島問題もあり難航した。また、両国内に反対勢力が強かった。韓国の反日感情は極めて強く、日本では左翼陣営が「日韓条約は朝鮮の南北分裂を固定化し、朝鮮民族の悲願である南北統一を阻害する」として強く反対した。

 

日韓国交正常化成功の要因

難産の日韓交渉だったが、1965年の日韓国交正常化成功の要因としては

①、朝鮮戦争の被害からの復興と経済成長を企図する韓国の朴正熙政権が日本から資金を引き出すために国交正常化を強く欲していた。

②、韓国の朴正熙政権、日本の佐藤栄作内閣はともに強い指導力を保有する政権であった。

③、日本の外相に椎名悦三郎という逸材を得た。

――ことがあげられる。

 

◆ いまや近くて遠い関係に

現在、日韓両国は「近くて遠い」関係であり、現在の韓国は、日本叩きなら何でも許される異常な「反日無罪」の空気の中にある。

冬のような現在の日韓関係を考えるときに、54年前の日韓国交正常化を振り返ることは、特に韓国側に必要である。大局観を持って国交正常化した原点に返る必要がある。

朴正熙・陸軍少将等の軍人による1961年5月16日の無血クーデター(軍事革命)で日韓交渉は急展開を見せる。

朴の革命公約は「自立経済の達成」を大きなスローガンにしていた。

1961年6月に朴はパーティの席上で「日本人は過去を謝罪し、より以上の誠意で会談に臨むべきだ、などということは、今の時代には通用しない。昔のことは水に流して国交正常化するのが賢明だ」とさえ言っている。

当時、韓国の経済状態はどん底状態に近かった。朴の本音は韓国経済再生に日本からの金を引き出したいということ。

朴正熙の本音と覚悟

夫人(陸英修)の実兄である陸宙修氏(元国会議員)が、朴の心中を次のように解説している。

「大統領は、5・16軍事革命を起こしたときから、どんなことをしても日韓国交樹立をやり遂げなければならぬ――というハラを固めていました。軍事革命のときから、大統領とはしばしば話し合ったものです。とにかく(革命の)目標は、北の脅威に対する軍事的側面と、韓国の経済復興――貧困の打開にあったわけです。大統領はよくいっていたことですが、李承晩時代から、韓国は二つの敵をもっている。一つは前面の北朝鮮の共産主義、一つは国民の反日感情という対日敵対意識です。『両方に敵をもって、どこに韓国の立つ瀬があるか』という考えでした。なによりも資金がいる。アメリカが助けてくれるといっても倍増してくれるわけではないし、あてにもできない。ところが日本からは交渉によって堂々と韓国が受け取るカネがあるではないか。それを反日感情とか、国辱とかいって日韓交渉をぶちこわしていることは大変な国家的損失だーというのが、あの人の常に思っていたことです」(記録 椎名悦三郎下巻)。

この陸氏にソウルでお会いしたことがあるが、流暢に日本語を話す紳士であった。

後進国が経済成長を遂げるためには一時的に権力の集中が避けられない時期がある。朴の「開発独裁」はいつかは評価されるだろう。

歴史は、現在から過去を裁くのではなく、その時代に身をおいて考察すべきである。この視点が韓国の政権に欠如している。恨の感情で外交する危うさを一日も早く覚るべきである。

 

日韓基本条約

日韓基本条約は昭和40年2月20日に仮調印された。

①、外交、領事関係を開き大使を交換する。

②、1910年8月22日以前に両国間で締結された条約、協定はもはや無効であることが確認される。

③、韓国政府は、国連総会決議第195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的政府であることが確認される。

しかし、本当に難しい交渉が始まったのはそれからである。

結局、日韓請求権・経済協力協定では日本が無償3億ドル、有償2億ドル、民間融資3億ドルの経済協力をすることになった。当時の韓国の予算は3.5億ドル、日本の外貨準備高は18億ドルだったのだからその巨額さが分かろうというものだ。

この「日韓請求権並びに経済協力協定」で、対日請求権問題は「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記した。

さらに合意議事録にも、日韓交渉で韓国側が提出していた対日請求権要綱に関し、韓国政府から日本政府へ「いかなる主張もなしえない」と明記された。朴政権は国民の批判を恐れて、これを公表しなかった。

「請求権問題を日本からの経済協力という形で決着させた朴政権にとって、請求権を放棄し、その後一切請求する法的根拠を失ったことは、国民に説明しづらかったものと見られる」(2012年5月26日の読売新聞)。

椎名が取った一札       

世界週報の昭和54年11月6日号によると、次のような秘話もあった。

「ところが、この韓国側請求権放棄の一札は日本側に取り極めて重要で、これがないと多額の経済協力をした上、なお韓国側の対日請求権が残存するような結果になる危険があった。椎名大臣は妥結要綱のイニシアルを数時間後に控えた4月3日の早朝、断固としてこのままではイニシアル取りやめもやむなしとの裁断をされ、この旨を韓国側に伝達した。ここにおいて韓国側も、本件に対して日本側が置いている重要性と日本側の決意の強固なることを感得して、問題の一札の提出に合意し、かくて事実、妥結要綱のイニシアルの式の開始を三十分遅らせて右一札の案文に合意を得たのである」(後宮外務省アジア局長)。

外務大臣・椎名の英断である。

1965年4月3日に協定は仮調印され、日韓基本条約とともに、6月22日に正式調印され、12月18日批准書交換式が行なわれた。

 

第二の朴正煕は?

日韓国交正常化で引き出した日本資金を使って、韓国は急速な復興と経済成長を成し遂げ「漢江の奇跡」という高度経済成長を実現した。現下の日韓関係に泉下の朴の心情はいかがであろうか。

また、請求権は完全かつ最終的に解決されたにもかかわらず、個別の懸案を蒸し返す韓国の常識は世界の非常識である。韓国政府が日本から受けった経済協力の中で、解決すべきである。

日韓が「近くて近い国」になるには、韓国側に怨念を乗り越える英傑よ出でよ!と言いたいが、当面無理である。日韓の一人あたりGDPが接近してきたことも、韓国を増長させている、と言われるが、韓国の指導層には国際常識を弁えた大人の対応を期待したい。

だが、現実には、文大統領は朝鮮労働党一党独裁の北朝鮮に無警戒というより同調している。

事実上、南北朝鮮は統一されそうな状態である。南北朝鮮で日本叩きの構図である。

我が国は、まず、米国を中心に国際社会にきちんと我が国の立場を説明すべきである。対外広報力を格段に強化すべきである。

また、在韓国米軍の撤退もありうる。我が国は、核兵器保有の統一朝鮮と直接国境を接する可能性がある。安全保障上も重大な危機である。

その前提で敵基地反撃能力の保有など、一段と自衛力を強化しながら、日米の絆を強めるべきである。