政局優先の野党、少子化対策が夫婦別姓だって?


2020年01月28日(令和2年)

元 文部科学大臣秘書官   鳥居徹夫

 

 議員秘書には、産休も育休もなく、働き方改革も無縁 

さる1月15日、小泉進次郎環境大臣は、2週間の育児休暇を取得する考えを表明した。

これに続き1月24日、立憲民主党の中谷一馬議員と同党地方議員10名程度が、育児休暇取得を実践する取り組みを始めると発表した。

小泉環境大臣は、「制度だけではなく、空気を変えないと、取得する公務員も増えていかない」と、育休取得の理由を述べたという。

トップが実践しないと、「育休を取得する公務員も増えない」というのである。

それならば公務員に言及する前に、まず国会議員の足元はどうなのかを語るべきではないか。

女性の国会議員には、産休も育休もあるが、女性の公設議員秘書には育休どころか産休すら制度としてないのである。男性秘書にも育休すらもない。

自分が育休を取るなら、まず同じ職場で働く身近な公設秘書に言及しないと、議員のエゴとなる。

また働き方改革法が施行されているにも関わらず、議員秘書の多くは「ワーク・ライフ・バランス」はユメのまたユメ。労働関係法の適用除外であるブラックな職場を、公務員や民間に率先して変えていこうとする意欲は、国会議員にない。

小泉大臣や立憲民主党は、メディアへのパーフォーマンスではなく、まずは足元の公設秘書制度の改革(秘書給与法の改正など)を、まずは与野党に働きかけるべきである。議員秘書は、国会議員にとって仲間であり、人間扱いすべきことは言うまでもない。

まずは国会議員の秘書制度から見直すべきではないのか。

さらには国民の信託を受けた国会議員は、公務を辞任して育休に専念するか、育休を返上して公務に専念するのか、それとも公務に専念しないで育休を取るかを、選挙時に有権者に示すべきではなかったか。

かつて全党派の秘書協議会の挨拶で、「議員秘書心得の錠」をとうとうと述べた古参秘書がいた。

「わが命わがものと思わず

ご下命いかにても果たすべし

死して屍拾うものなし

死して屍拾うものなし」

 

 国民の生命、健康よりも、政府攻撃の野党 

通常国会が1月20日から始まった。

総理による所信表明演説の後、23日から野党各会派による代表質問が始まった。

立憲民主党の枝野代表をはじめ旧民進党の諸会派は、桜を見る会の文書管理、辞任した閣僚の資質や任命責任、カジノ汚職など、安倍総理への非難に終始した。

中国の新型肺炎(コロナウィルス)問題が、世界的な重大局面となっているが、国会には危機感がない。国民の生命、健康を守るというのが最大の国家の任務である。

ところが、新型肺炎に言及があったのは代表質問の最終日というありさま。

また与野党とも、尖閣諸島を狙い、台湾を軍事的に恫喝し、国内で過酷な人権弾圧を行う中国の覇権主義的行動や人権弾圧への懸念を一切示さなかった。

習近平国家主席の4月訪日についても、国民民主党の玉木代表だけが「国賓待遇とすることで、日本の主権に対する挑戦を含め、中国の覇権主義、国際法や民主主義的価値やルールに反する行動を容認する誤ったメッセージを送ることにならないか」と疑念を示したにとどまった。

このほかエネルギー資源ルートの確保のため自衛隊を派遣した中東情勢。さらには国内的にも全世代型社会保障制度への改革、消費税増税後の経済政策、自然災害に対する国土強靭化対策などの課題も多いが、野党からはほとんど提起すらもなかった。

 

 反対者へのレッテルを貼り、魔女狩りこそ議会制民主主義の破壊 

本会議の代表質問で最も盛り上がったのは、国民民主党の玉木代表の質問内容に対する女性議員のツッコミ(不規則発言―野次)であった。

玉木代表は、若い男性から「交際している女性から、姓を変えないといけないから結婚できない」と言われ相談を受けたことを取り上げ、「夫婦同姓も結婚の障害になっている」「速やかに選択的夫婦別姓を実現すべき」と訴えた。

これが政党代表の質問内容なのかと、そのレベルの低さに呆れるばかり。あくまでも結婚は、男女の合意によるもの(憲法)で、イエとイエとではない。

玉木氏の論述に呼応して、本会議場から「だったら結婚しなくていい」とのツッコミがあったという。

玉木氏はすぐに「今、ヤジで『だったら結婚しなくていい』とあった」と応じ、「結婚数を上げていくことが、国難突破の少子化対策になるんじゃないか」と反応した。

このやり取りは、27日からの衆議院予算委員会でも、民進系会派の大串博志議員は、鬼の首を取ったように真っ先に取り上げた。桜を観る会や閣僚辞任などの政府攻撃よりも優先させた。

また野党議員らは、ヤジは「自民党の杉田水脈(みお)議員ではないか」と議員の特定と謝罪を求めたという。

これまで野党の下品なヤジは国会審議を妨害してきたが、今回の女性議員のツッコミは議事進行を妨げるものではなかった。

本来なら議論の対象である課題を、あたかも「選択的夫婦別姓」に反対する者は「悪」とレッテルを貼るような、一部野党議員やメディアの「魔女狩り」こそ、議会制民主主義の破壊であり、まさに糾弾すべきではないか。

野党にとっては、まさに政局優先で、賞味期限が過ぎた「桜を観る会」に続く攻撃材料ということであろう。

 

 夫婦別姓のアジア諸国より、合計特殊出生率が高い日本 

ところが少子化と選択的夫婦別姓は、全く無関係である。

「姓を変えないといけないから結婚できない」と女性から言われれば、男性の方が女性の姓に合わせればよいだけである。

男女どちらかの姓で良く、女性側の姓となったケースも少なくはない。現に厚生労働大臣の加藤勝信氏は、女性側の加藤姓を選択している。

そもそも二人の愛が強いならば、まわりの雑音を気にすることはないし、どちらの姓を名乗ろうとも、良いこととなっている。

実際、結婚して姓が変わっても、職場では旧姓も通姓として使用できる。

姓が変わるという理由で結婚できない人は、はたして日本に何人いるのだろうか?

玉木氏の言う「夫婦同姓が結婚の障害」と、本心で思っている人はいるのだろうか。実際は「女性から相手にされなかっただけ」なのに、「選択的夫婦別姓がなかったから」と言い訳する男性ならば本当に見苦しい。

女性議員のツッコミではないが、むしろ玉木氏は「愛が脆弱だったら、結婚を口にするな」と、若い男性へアドバイスすべきではないか。

夫婦別姓となれば、離婚のハードルが低くなることがあっても、結婚しやすくなるのではない。むしろ家族としての結束が弱くなる。

中国の女性は結婚しても姓は別のままで、嫁いだ男性の一家の一員になれなかったし、墓にも入れさせてもらえなかった。

日本社会は「法の下の平等」である。今年の税制改正では、未婚のひとり親も、死別や離婚の親と同様の所得控除となり、すでに法案提出され4月からの施行となる。

ヨーロッパなど先進国を見ても、少子化問題に直面している。

かつて日本も第1次ベビーブーム、第2次ベビーブームがあったが、第3次ベビーブームが起きかった。夫婦同姓か別姓かは無関係である。

アジア諸国で合計特殊出生率をみても、夫婦同姓の日本の方が高く1.44で、夫婦別姓の中華圏諸国や韓国は低い。

ちなみにシンガポールが1.20、韓国が1.17、香港が1.21、台湾が1.17と我が国の1.44を下回る水準となっている。(いずれも2016年、「平成30年版少子化社会対策白書」)

アジア諸国をみても、夫婦別姓が少子化政策というのは無関係で、無理筋のこじつけではないか。

フェミニストの弁護士や運動家による強弁を、メディアに煽られ「速やかに選択的夫婦別姓を実現すべき」と検証もなしに国会で述べる玉木代表は、、公党の代表として余りにも不勉強であるし不見識である。

 

 選良意識よりも、自分が優先 

さて、国会議員に育児休暇制度があれば、どのように活用するのであろうか。

民間企業や公務員の場合は、育児・家事などで時間的に追われるが、国会議員は高額所得者で時間の制約も少ない。

実際、小泉進次郎大臣は国会の本会議にも予算委員会にも出席していたし、答弁も支障なく行っていた。

以前、自民党の宮崎謙介衆院議員(当時)は、妻の出産に伴い、1カ月程度の育児休暇を取りたいとメディアに公表した。ところが妻の妊娠中の不倫を週刊誌に報じられ、2016年に国会議員を辞職した。

育児のハズが不倫の休暇、そして失業(議員辞職)となったのである。

国会議員は議会を欠席していても、歳費その他を満額受け取ることができる。宮崎氏は「福祉団体等に歳費の33%分を寄付しようと検討」と述べたという。

寄付を「33%」としたのは、育児休業給付金制度によって給与の3分の2が最初の半年に支払われるから、これを控除した残りという説明であった。

この育児休業給付金制度は、給与でもなければ歳費でもない。同制度は雇用保険の一般被保険者に支給されるものである。

そもそも国会議員は雇用保険に加入していない。したがって保険料を納付していない国会議員に同制度は適用されない。

国会議員は、年間約2200万円の歳費と1200万円の文書通信交通滞在費(非課税)などを受け取っている。一般の会社員を同列に扱うことは妥当ではない。

また歳費からの寄附についても、公職選挙法では選挙区内(重複立候補のブロック比例を含む)への寄附は禁止されている。

国民の代表としての選良という意識よりも、自分の権利行使(?)が優先する。

それは与野党ともであり、30~40代の公募で当選した議員に特徴的にみられるという。

国会議員というのは、自分の生計の道具、蓄財の手段なのか、と皮肉の一つも言いたくなる。(敬称略)