2020年5月6日(令和2年) 元文部科学大臣秘書官 鳥居徹夫
◆急浮上した9月入学、9月始業
コロナの感染拡大の防止に向け、ほとんどの学校が3月から休校となり、また4月7日に緊急事態宣言が出され、対象期間は当初ゴールデンウィーク終了までとされていたが、そののち5月末までに延長された。
文部科学省によると、翌年3月までに学年を終えるには、5月末までの休校の場合は、夏休みや冬休みの短縮、土曜日も登校日とし、体育祭や就学旅行などの行事をなくせば何とかできるとのこと。
しかし6月以降も休校が続くとか、感染の第2波、第3波が起きれば、教育課程の年度内消化は難しいという。
「学校における働き方改革」が叫ばれ、ただでさえ多忙で毎日11時間という長時間勤務であり、児童生徒に目が届かず思わぬ事故も起きかねない。
法改正で、来年2021年から「休暇のまとめ取り」を集中して夏休みなどにできるように制度的にはなったものの、教員の夏休み休暇も実際は取れない。とくに今年は、休校による学習の遅れを取り戻すために、さらに長時間労働という連鎖になりかねない。
感染状況や、オンライン教育導入の有無、さらには児童生徒の学習の進捗度の相違などがあり、学校が再開しても地域や学校によってバラツキがいった問題が生じ、大幅な進度の差が出る。
休校した分については、夏休みなどを用いて授業保障を行うが、生徒の精神面、入試の公平性などの問題がある。
そのうえ感染拡大の第2波、第3波で、再び休校に追い込まれたら、文科省や学校現場はお手上げとなる。
そこで急浮上したのが、「9月入学・始業(秋入学・始業)」である。
つまり幼稚園、保育園、小中学校、高校、大学など、すべての教育機関が学年を5ヵ月間長く17か月在籍すれば、すべてが来年の9月から新学年のスタート台にたてることになる。
つまり今年(令和2年)は4月始業でスタートしているが、コロナのため休校となったことで夏休み明けの9月に再スタートとし、学年は翌年(令和3年)7月まで。以降の新年度は、9月から次の年の7月までというスケジュール感である。
◆国・地方も9月移行の流れが
萩生田光一文部科学大臣は、「あらゆることを想定しながら対応したい」と述べ、休校が長期化する際の選択肢の1つとして検討していくとし、安倍晋三首相は、「9月入学・始業」の実現に向けて、具体的な検討作業に入ることを表明した。
首相は、関連省庁に導入に向けた論点整理を急ぐように指示した。6月上旬に方向性を打ち出し、2021年秋からの制度化を目指すという。
4月29日の全国知事会でも、吉村洋文・大阪府知事、村井嘉浩・宮城県知事ら、実に17人の知事が9月入学・始業の導入に賛意を示した。
小池百合子・東京都知事も「今、教育は世界の中での競争でもあるので、国際スタンダードに合わせていくことにもなる」「こういうときにしか社会は変わらないんじゃないか」とコメントした。
地方自治体の動きは、休校措置で疲弊する現場を見ていることが大きい。教育現場だけでなく行政、地域社会も混乱している。
国民民主党も、4月末に「9月入学・始業」の提言をまとめた。
◆教育界・学校界は、19世紀に向かって走っている
そもそも日本では、明治のはじめ9月入学が主流だった。
ところが徴兵令により、対象者(満20歳の男子)の届け出期日が9月1日から4月1日になった。そこで教員養成の高等師範学校(現筑波大学)は、壮健で優秀な若者が陸軍に先にとられてしまうとして、4月入学へ切り替えた。そして旧制中学校、小学校が続いていく。
今回は、小中高から大学まで、すべてまとめての移行である。
令和の御代となって、女子高校生が署名運動を始めた。「渦中の学生の一人として家で終息を待つだけではいられません」「千載一遇のチャンス」と9月移行を訴えた。
「9月入学・始業」は、日本の教育のみならず、社会全体の「国際化」「多様化」を進展させる。
とりわけ大学にとって(1)優秀な留学生を受け入れやすい、(2)優秀な海外の若手研究者・教員を受け入れやすい、(3)海外の大学との交流を加速できる、などのメリットがある。
これまでにも9月入学が論議されたことがあった。中曽根総理が設置した臨教審(臨時教育審議会、昭和59~62年、1984~1987年)である。
国際化が急速に進むなかで、「21世紀に向け、我が国が創造的で活力ある社会とするために教育の在り方(諮問文)」について、検討を求めたが、文部省(現・文科省)や教育関係者が猛反対。結局、9月移行の方向性は打ち出したものの丁寧な国民的合意形成を求めたのが精一杯であった。
臨教審は、教育改革の方向として「我が国の教育の根深い病弊である画一性・硬直性・閉鎖性・非国際性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自立・自己責任の確立、すなわち個性重視の原則」を打ち出し、学校教育の在り方や、教育観・学校観の大転換を求めたが、文部省(当時)も日教組も全国校長会、そして自民党も猛反発した。
当時、世の中は21世紀に向かっているのに、「教育界は19世紀を向いて走っている」と皮肉られていた。
◆学校の存在を客観視できたコロナ休校
児童生徒の日常から、学校が隔離されたのが、今回の感染拡大であった。その中で学校と教育が内在する多くの問題が浮き彫りにされた。
4月から学校が長期の休校になって良かったことは、子供も親も、学校とそこで働く教師、そして教育というものを客観的に見ることができたことである。
ありていに言えば、学校を地域社会の「ワン・オブ・ゼム(one of them)」 という位置づけができたことであった。
それまで子供も親も、学校を中心に生活があったが、コロナ休校でそれがなくなった。宿題が与えられることがあっても、自分で生活リズムを構築し行動するようにせざるを得なかった。
また子供が家族の一員であることを自覚し、親と一緒に家事を手伝うとか、さらには学校とは違う発想を広げる契機にもなりえた。
学校が長期の休校になって良かったことは、学校での「いじめ」事案がゼロになったことである。いじめ集団の標的にされてきた児童生徒も、いじめる側も登校しないからである。しかし教員のいじめ事案は、昨年の須磨東小学校のケースをみても、学校休校であってもなくならない。
学校と言う閉鎖空間では、傷害事件となっても、なかなか表面化しないのである。
たしかデーブ・スペクター氏であったと記憶するが「日本の親は教育に熱心というのは神話」と断言したことがあった。
つまり「日本の親は、学校に行かせることには熱心だが、教育には無関心」「日本の親は、学校に子捨てしている」と痛烈に皮肉った。
そもそも教師など学校屋というのは、自身が子供の時から定年まで、学校以外の世界を知らずに生きていける特異な世界であり、とりわけ日本では「学校を中心に地球が回っている」かのような感覚になる。
そして教師に絶対服従を求め、親や子供は従うのが当然という態度を見せがちである。恐ろしいことだが。
子供の教育権は、親(また準ずるもの)にある。学校や教育行政は、あくまでも手段・道具であり、教師はその手助け役なのである。
民法820条には「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」と明記されている。
臨教審は、昭和62(1985)年6月に「学校教育の肥大化に伴う弊害の是正」を最終答申でアピールした。
つまり「学校収容型のステイ・スクール」から「ステイ・ホーム」への意識改革であり、教育の責任は親であり、学校や行政はツール(道具・手段)という本来の姿に戻すことが必要とされる。
コロナ感染防止のため、自粛などで社会全体の停滞を余儀なくされたが、「災い転じて福をなす」ではないが、9月入学始業への移行や教育の抜本改革につなげる好機ととらえることもできる。