2020-06-02(令和2年) 木村良一(ジャーナリスト)
■息苦しさや発熱の自覚がない「サイレント肺炎」に注意すべきだ
新型コロナウイルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言が全面解除されたからといって、ウイルス自体が消えてなくなったわけではない。感染すると、2割の人が重症化して最悪の場合、死に至るという病態は変わらない。ここは正しい知識に基づいて正当に怖がる必要がある。どんなメカニズムで重症化が起きるのか。何が容体を悪化させるのか。いま、新型コロナウイス感染症の重症化と感染死をいかに防ぐかが、私たちに問われている。
最近分かってきた新型コロナウイス感染症の特徴のひとつに「サイレント・ニューモニア(沈黙の肺炎)」と呼ばれる病態がある。患者に息苦しさや発熱の自覚症状がないにもかかわらず、胸部のCT(コンピューター断層撮影)の画像検査でウイルス性の肺炎が見つかる。画像診断を行わなければ、医師も肺炎の進行に気付かず、気付いたときは肺の細胞の大半がウイルスによって死滅して手遅れになっている。結果的にいきなり重症化したように見える。
大型クルーズ船の200人以上の乗客乗員の治療を受け持った自衛隊中央病院(東京都世田谷区)では、軽症あるいは無症状の患者に対してCTをかけたところ、半数に肺の異常が認められた。しかもそのうち3分の1は症状が悪化していった。問題の沈黙の肺炎である。
大阪はびきの医療センター(大阪府羽曳野市)でも大型クルーズ船の乗客らを治療したが、CT検査で無症状の患者から肺炎特有の陰影が見つかり、担当医を驚かせた。神奈川県や千葉県などの病院でも、元気な患者のCT画像に肺炎の陰影が表れた。中国の研究チームからも同様の論文が報告されている。
■CT検査とパルスオキシメーターで肺炎の有無を早期に診断したい
糖尿病や腎臓病、心臓疾患など基礎疾患(持病)のある人や高齢者の感染が判明した場合、医療機関はすぐにCT検査を実施してウイルス性肺炎の有無を的確に診断して把握すべきである。指にはめるだけで簡単に血中の酸素飽和度(経皮的動脈血酸素飽和度)を測定できるパルスオキシメーターも役に立つ。頼り切るのは良くないが、この簡易装置によって肺が十分に機能しているかどうかを検査しながら最適な治療が続けられるからだ。
ちなみに経皮的動脈血酸素飽和度は「SpO2」と略される。Sは「Saturation (飽和)」、 Pは「Pulse (脈)」、O2 は「酸素」だ。簡単にいえば、SpO2 は酸素を運んでいる動脈中のヘモグロビンの割合を示す値で、正常値は96 %以上、95%未満は呼吸不全の疑いがある。
増えたウイルスによって私たちの免疫システムが暴走して体内の正常細胞を攻撃する「サイトカインストーム」と呼ばれる症状も、サイレント肺炎と同様に突然の症状の悪化をもたらす。細胞間の情報伝達に関係して免疫機能を調整するタンパク質の総称がサイトカインだ。肺でウイルスが異常に増えたとき、細胞から放出されるこのサイトカインが悪影響して免疫システムを次々と破壊していく。サイトカインストームはインフルエンザ脳症の原因としても知られている。
ウイルスが血管の内皮細胞に侵入して血栓(けっせん)と呼ばれる血のかたまりを作り、その血栓が飛んで細い血管を詰まらせる血栓症や肺血栓塞栓症などの「血管障害」も問題になっている。糖尿病などの持病で血管壁が痛んでいる患者には致命傷となるから注意が必要である。
■志村さん、岡江さん、岡本さん、勝武士さんはみな急に病状が悪化した
ザ・ドリフターズのメンバーとして活躍した志村けんさん(70)の感染死に衝撃を受けた人は多いと思う。3月17日から倦怠感を訴え、19日に発熱と呼吸困難の症状が出た。20日に都内の病院で重度の肺炎と診断されて入院した後、23日に新型コロナウイルスの陽性と判定され、29日に亡くなった。死因は肺炎だった。症状が出てからわずか10日余りで命を落としている。志村さんは4年前に禁煙するまでヘビースモーカーだったという。喫煙でダメージを受けていた肺にウイルスが増殖して病状を急変させたのだろう。
4月23日の女優の岡江久美子さん(63)の死にも驚かされた。死因は肺炎だったが、やはり症状が急に悪化していた。外交評論家の岡本行夫さん(74)もあっという間に容体が急変して4月24日に肺炎で亡くなっている。
志村さん、岡江さん、岡本さんの3人はいずれもウイルス性肺炎の急性増悪で、問題のサイレント肺炎が疑われる。
28歳の大相撲力士、勝武士(しょうぶし)さんも5月13日に亡くなっている。死因はウイルス性肺炎による多臓器不全だった。新型コロナウイルスの感染では国内最年少の死者で、角界での初の死亡例となった。日本相撲協会によると、4月4日ごろから発熱があって入院したものの、19日に病状が急に悪化して集中治療室で治療を受けていた。
なぜ、体力のあるはずの若い力士が犠牲になったのか。持病の糖尿病が原因で重症化した可能性がある。糖尿病の患者は血糖値が上手くコントロールできないと、病原体を攻撃する白血球や免疫細胞の機能が低下してくる。感染によって症状が急激に悪化することがある。肺や心臓、肝臓、腎臓など多くの臓器が一気に蝕まれ、多臓器不全を引き起こしたのかもしれない。血栓症などの血管障害の他、サイレント肺炎やサイトカインストームも疑われる。
■安全性と有効性の確立した特効薬とワクチンの開発を着実に進めたい
感染死を防ぐには、新薬の特効薬やワクチンを開発する必要がある。新薬ではないが、4月7日に米製薬会社がエボラ出血熱の治療薬として開発した点滴薬「レムデシビル」(商品名・ベクルリー)が新型コロナウイルス感染症の治療薬として日本で承認された。厚生労働省は申請後わずか3日という異例のスピードで認可した。しかし「特効薬ではなく、過度の期待はできない」と指摘する専門家がいるうえ、腎機能や肝機能を低下させるリスクがある。
経口薬「アビガン」(一般名・ファビピラビル)も期待されている。富士フィルムの子会社が開発し、新型インフルエンザが出現したときに備えて一定量が備蓄されてきた。政府はレムデシベルと同様に認可する方針だ。
しかし、このアビガンにも胎児に奇形を起こす催奇形性という深刻な副作用がある。マウスへの実験投与で奇形マウスが生まれ、アフリカでは服用した男性の精液からアビガンの成分が検出されている。妊婦や子供をつくる予定のあるカップルは服用できない。
医薬品には、どうしても副作用が付いて回る。効果がある反面、害もある「両刃(りょうば)の剣(つるぎ)」だ。投与に際しては、サイレント肺炎などの急性増悪の疑いが否定できない患者に絞るなど、患者ごとに慎重に判断すべきである。服用して病状が悪化するようでは本末転倒だからだ。
新型コロナウイルス禍の事態収束を目指すなかで医学・医療的に重要なことは何か。少しでも感染死をなくすことだ。それには細心の注意を払って既存薬を使うことで時間を稼ぎながら、安全性と有効性の確立した特効薬やワクチンの開発を着実に進めることである。
―以上―
※慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」6月号から転載しました。http://www.message-at-pen.com/?cat=16