2022-05-02(令和4年) 木村良一(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員)
■上海でロックダウンが1カ月以上も続く
中国最大の国際経済都市で、人口2400万人の上海は今年3月28日に東部がロックダウン(都市封鎖)され、4月1日には西部も閉鎖された。4日にはロックダウンの期間延長を上海市が発表した。すべての市民に対するPCR検査も強制的に断行されている。それでも感染者の数は減らず、13日には1日当たりの新規感染者数がピークに達し、3万人近くを記録した。その後、減少に転じたものの、連日1万人を超える感染者がいまも確認されている。中国での感染の大半が上海市に集中している。
新型コロナウイルスは飛沫感染や接触感染によって人から人へと次々と感染していく。無症状の感染者が多い。だからロックダウンによって厳しい外出制限をかけて人の動きを止め、感染者を見つけて隔離すれば、感染の拡大は収束に向かう。しごく分かりやすい法則だ。習近平(シー・チンピン)政権はこの法則に従って都市をまるごと閉鎖し、新型コロナの壊滅を目指している。いわゆるゼロコロナ政策である。
感染拡大が止まらず、ロックダウン解除の見通しが立たないなか、上海の市民は不自由な生活に苦しんでいる。路上では食糧を配達する車とバイク、それに巡回の警察車両だけが見られ、アパートやマンションで1人でも感染者が見つかると、部屋から外に出られなくなる。建物の出入口がフェンスや有刺鉄線で塞がれることもある。
一部の地域では配給の食料や生活必需品が届かない。マンション内にスポーツジムがあればいいが、ないと運動不足から健康を害す。感染者と濃厚接触者は強制的に施設に収容されるが、収容施設の環境は劣悪だ。親子を無理やり引き離すような隔離も起きている。
■市民を犠牲にして国家と党の存続を優先する
強制的な防疫は精神的にも肉体的にも市民を苦しめる。上海市民は不安とストレスが高まり、その忍耐は限界に達している。いつ大規模な暴動が起きても不思議ではない。実際、抗議や怒りの声をぶつける市民たちの言葉や動画がウィーチャットなどのSNSに投稿され、当局がそれを削除してもすぐにコピーが拡散する状況が続いている。
首都の北京市でも感染者が増え、PCR検査を繰り返すとともに一部地域に外出制限をかけている。そのうち北京も上海のようにロックダウンがかかる可能性がある。
思い起こせば、世界で初めて新型コロナがオーバーシュート(感染爆発)した湖北省武漢(ウーハン)市では、2020年1月23日から4月8日までの77日間にわたって同市をロックダウンした。重症度によって治療の順番を決めるトリアージができずに廊下まで患者・感染者で溢れ返る病院、外出禁止令に背く市民に暴行を繰り返す警察官、武漢から帰ってきた人の家の玄関ドアに板を釘で打ち付けて出られなくする場面などが、テレビのニュース番組に流れて驚かされた。武漢市では当初、感染の実態が中央政府によって隠蔽され、SNSで感染拡大の警鐘を鳴らした若い医師が「デマを流した」として処分された挙句、感染死する悲劇も起きた。
市民を感染から守って安全な市民生活を目指すのが、感染症対策である。それが専制主義の中国では市民を犠牲にして国家と党の存続を優先する。非人道的であり、極めて理不尽だ。許すことはできない。
■建国の父、毛沢東と並び称されたいのか
習近平・国家主席(党総書記)は4月13日、視察した海南省で「ゼロコロナ政策を堅持し、油断や厭戦気分を克服していく必要がある」と強調し、どこまでも新型コロナと戦う決意を示した。
どうしてここまでゼロコロナ政策を正当化し、こだわるのか。その答えは簡単だ。習氏は今年秋の中国共産党の大会で異例の総書記3期目の就任を実現し、自らの権威を「さらに高めたい」と考えている。建国の父と尊敬される毛沢東が就いていた党主席の地位を復活させ、自ら就任しようと画策しているともいわれる。毛沢東と並び称されたいのだ。私利私欲しか頭にないのである。習氏は武漢市のロックダウンを例に挙げ、「新型コロナの封じ込めに成功した」と国内外に誇ってきた。それゆえ、いまさらゼロコロナ政策を止めることができないのだろう。
しかし、果たしてゼロコロナ政策は成功しているのか。ウイルスは武漢市で流行したころとは大きく違う。アルファ株、デルタ株、オミクロン株、そしてオミクロン株から生まれたBA.1やBA.2、それに他の株との遺伝子交雑で生じたXDやXEと呼ばれる変異株が登場している。変異を経るごとに感染力が増し、習氏のゼロコロナ政策では太刀打ちできなくなっている。前述したように習氏が世界に誇る武漢のロックダウンのときでさえ、市民の犠牲の上に感染拡大が抑えられた。
しかも世界第2位の中国経済は長期化するゼロコロナ政策の弊害で減速している。日本は上海だけでも6300社の企業が進出している。この先、中国経済が傾けば、日本をはじめとする世界各国が間違いなく経済的ダメージを強く受けることになる。習氏はその辺りをどう考えているのか。グローバル化が大きく進むなか、中国さえ良ければそれでいいという考え方は通じない。
■新型コロナとはコントロールしながら共存すべきだ
WHO(世界保健機関)がパンデミック(地球規模の大流行)を宣言したのが、2020年3月11日だった。その後ワクチンや治療薬が登場し、効果を上げている。患者の治療方法もほぼ確立した。だがしかし、新型コロナウイルスは駆逐できない。このまま人間界に定着する可能性がかなり高い。実際、私たちの周りに存在する風邪を引き起こす4種類のコロナウイスもかつては新型のウイルスで、それが変異を繰り返すことによって人間界に定着したと考えられている。
世界の多くの国は新型コロナといかに共存するかを模索している。防疫が長期化すればするほど社会・経済が疲弊するからである。ウィズコロナという言葉も登場した。これに対し、習近平政権は「新型コロナとの共存は間違っている」との主張を繰り返している。
このメッセージ@penにも何度か書いてきたが、感染症は根絶できないと考え、ワクチンや治療薬を適切に使ってウイルスや細菌などの病原体をコントロールしながら共存していくべきだと思う。
たとえば、古代から「悪魔の病気」と恐れられてきた天然痘(疱瘡、痘瘡)に対し、WHOは種痘ワクチンを使って1980年に根絶を宣言した。多くの人々が感染症は根絶できると賞賛した。ところが、この天然痘根絶宣言からわずか1年後には、免疫不全を引き起こすエイズウイルス(HIV)が出現し、全世界に広がっていった。エイズは発症を遅らせる治療薬は開発されたが、ウイルスそのもを死滅させる画期的な薬はない。感染を予防できるワクチンもない。いまのところうまく共存していくしかないのである。大半の感染症が根絶できないと考えた方がいいだろう。
―以上―
※慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の5月号(下記URL)から転載しました。