令和5(2023)年11月28日 鳥居徹夫(元・文部科学大臣秘書官)
〇 教育勅語の良き精神を継承したのが「教育基本法」。 〇 教育勅語は、道徳律として孔孟の教えとかモーゼの戒律と同様なものと して存在。 〇 教育勅語は、政治的・法的強制力(拘束力)はない。 |
報道によると、岸田文雄内閣で防衛大臣に就任した木原稔は、令和5(2023)年11月9日の参院外交防衛委員会で、立憲民主党の小西洋之議員の質問に対し、かつて「教育勅語」の額を、自身の国会事務所に置いていたことを明らかにした。
木原大臣は、小西洋之議員から教育勅語を評価しているのかと問われ「政治家としてさまざまな主張をしてきたのは事実だ」と述べるにどまり「政治家としての思想信条に関し、防衛相としてこの場でお答えする教育勅語への評価」については明言しなかった。
また、木原大臣は「私の地元熊本の出身者(の井上毅ら)が起草した文書なので、以前、議員会館の部屋に飾っていた」と述べた。
小西氏は、過去のブログに木原大臣が「教育勅語の廃止で道義大国日本の根幹を失ってしまいました」とあったとし、木原大臣が内閣の一員として不適格と攻撃した。
小西氏は、教育勅語が戦後の昭和23(1948)年に衆参両院が排除・失効を決議したことをもって、戦後民主教育で否定されたという見方である。
🔶戦後教育は、教育勅語のよき精神の継承の上にあった
また、安倍晋三内閣の文部科学大臣であった柴山昌彦は、就任直後の2018(平成30)年10月2日の記者会見で、教育勅語について「普遍性を持っている部分が見て取れるのではないか」「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」と述べた。
これに対し立憲民主党の辻元清美国会対策委員長(当時)は「認識違いが甚だしい。昔だったらすぐクビで言語道断」と言及し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「全体としての教育勅語は、さまざまな歴史的な負の遺産として認識されているのも事実」と述べた。さらに共産党の志位和夫委員長は、「非常に重大な発言だ。公式に否定された問題」と反発を示した。
ところが教育基本法が審議され成立した第92回帝国議会(昭和22年、1947年)で、高橋誠一郎文部大臣(当時)は次のように述べていた。
「教育基本法は、詔勅・勅令の形をとらず、法律でもって教育理念を示した」
「(教育勅語は)孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在する」
高橋誠一郎文部大臣は、教育基本法と教育勅語とは対立しないことを明らかにし、教育勅語の効力についても、政治的・法律的な位置づけを否定したものの、道徳律(孔孟の教え・モーゼの戒律と同様なもの)として、その精神を評価していた。
さらに高橋誠一郎文部大臣は、教育勅語について「日本国憲法の施行と同時に、これと抵触する部分につきましてはその効力を失い、また教育基本法の施行と同時にこれと抵触する部分につきましては、その効力を失いまするが、その他の部分につましては両立するもの」と答弁していた(貴族院教育基本法案特別委員会、昭和22年3月20日)。
この事実を見ても、戦後の教育改革が「教育勅語体制から教育基本法体制へ」とする見方が、根本的に間違っていると断言できる。
自称教育学者ばかりでなく野党国会議員は、教育基本法の立法精神や制定趣旨に無理解なのである。
ましてや教育基本法が審議され成立した第92回帝国議会の国会議事録に、目すらも通していないのではないか。
政府も、平成30(2018)年3月および4月に野党議員から出された質問主意書に対し、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」としながら「政府として教育の場における活用を促す考えはない」とする答弁書を閣議決定している。
🔶共産系の国公労連が、前川喜平のインタビューを掲載
かつて文科事務次官だった前川喜平のインタビューが、共産系の国公労連の月刊誌『KOKKO』(2017年12月号)に掲載されていた。
国公労連には、文部科学省や国立大学などの職員組合などの文部科学省関係労働組合協議会や、中央省庁や独立行政法人などの職員組合などで構成されている。共産系の労働団体の全労連に加盟しており、反共産の連合とは相いれない。
タイトルは「加計・森友のロンダリングと国家公務員を«下僕化»する安倍政権―«全体の奉仕者» の役割問われる国家公務員」であり、安倍政権への誹謗中傷にとどまらず、その主張は左翼プロパガンダまがいであった。
たとえば教育勅語について反憲法的文書と決めつけ、「今の憲法の柱になっている基本的人権の尊重や国民主権、平和主義の考え方に反している。こうした教育勅語を教育の指針や理念にするわけにはいきません。」と決めつけ、「だからこそ教育基本法ができたわけですし、改正されたとはいえ、改正教育基本法のもとでもやはり教育勅語の存在は認められません。」などと述べている。これは教育基本法の制定経過や立法精神を歪めるような主張である。
また東京新聞(2017.12.13付)によると、日本教育学会は「教育勅語を教育現場で肯定的に扱うことは否定されないといった今春の国会での政府見解について、歴史的事実をゆがめるものだ」と批判する報告書を文部科学省に提出したという。
同学会の名古屋大学教授の中嶋哲彦は「戦後否定された価値観を子どもたちに押しつけることになる。大きな危惧を持っている」と記者会見で述べたという。
🔶教育勅語の良き精神を継承し、新たに教育基本法が制定
ところが教育基本法が審議され成立した第92回帝国議会(昭和22年、1947年)で、高橋誠一郎文部大臣(当時)は次のような見解を示していた。
「教育基本法は、詔勅・勅令の形をとらず、法律でもって教育理念を示し」
「(教育基本法案には)、教育勅語の良き精神を引き継がれており…」
「(教育勅語は)孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在する」
さらに、昭和22年3月19日の貴族院本会議において、高橋誠一郎文部大臣は、佐々木惣一議員の「教育基本法というものと、教育勅語との関係如何ということは、ここではっきりしておかねばならぬ」との指摘に対し、次のような見解を表明している。
「この法案の中には、教育勅語の良き精神を引き継がれておりますし、また不十分な点、表現の不適当な点もあらためて表現されていると考えるのであります。教育勅語をあえて廃止するという考えはないのでございますが、教育勅語をこれまでのように学校で式日等(祝祭日や行事など―注)に捧読いたしますことは、これを廃止したいのでございます。現に(勅語奉読は―注)廃止しているのでございます。」
さらに高橋誠一郎文部大臣は、同年3月20日の貴族院教育基本法案特別委員会で次のように述べていた。
「教育勅語は統治権者の意志を示されたものとして、国民を拘束すべき効力を有するものと考えるのでありまする。日本国憲法の施行と同時に、これと抵触する部分につきましてはその効力を失い、また教育基本法の施行と同時にこれと抵触する部分につきましては、その効力を失いまするが、その他の部分につきましては両立するものと考えます。」
「政治的もしくは法律的な効力を教育勅語は失うのでありまして、孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在するものと、そう解釈すべきではないかと思います。」
このように高橋誠一郎文部大臣(当時)は、教育基本法と教育勅語の良き精神と並立することを明らかにしている。また教育勅語の効力についても、政治的・法律的な位置づけを否定したものの、道徳律(孔孟の教え・モーゼの戒律と同様なもの)として、その役割を評価しているのである。
この事実を見ても、戦後の教育改革が「教育勅語体制から、教育基本法へ」とする見方が、根本的に間違っていると断言できる。
この教育基本法案が上程された第92帝国議会で、高橋誠一郎文部大臣は、昭和22(1947)年3月13日の衆議院本会議で次のように提案している。 (なお国会議事録の原文は、旧字体・旧仮名遣い)
「…民主的で平和的な国家再建の基礎を確立いたしますために、さきに憲法の画期的改正が行われ、これによって、ひとまず民主主義・平和主義の政治的・法律的基礎、いわば枠となるものがつくられたわけです。
しかし、この基礎の上に立って、真に民主的で文化的な国家の建設を完成するとともに、世界の平和に寄与すること、すなわち、この枠の中に立派な内容を充実させることは、国民の不断の努力に待たなければなりません。そしてこのことは、一にかかって教育の力にあると申しましても、あえて過言ではないと存ずるのであります。
かくのごとき目的達成のためには、この際、教育の抜本的刷新を断行するとともに、その普及徹底を期すことが何よりも肝要でございます。
かかる教育刷新の第一前提といたしまして、新しい教育の理念を確立明示する必要があると存ずるのであります。それは新しい時代に即応する教育の目的、方針を明示し、教育者ならびに国民一般の指針たらしめなければならないと信ずるからであります。
次にそれを定めるにあたりましては、従来のように詔勅、勅令等の形式にとりまして、いわば上から与えられたものではなく、国民の盛りあがります総意によりまして、いわば国民みずからのものとして定めるべきものでありまして、国民の代表者をもって構成せられます議会におきまして討議確定するため、法律をもっていたすことが、新憲法の精神にそうものといたしまして、必要かつ適当と存じた次第であります。」
この提案説明からもわかるように、教育基本法は、憲法の精神にのっとり、詔勅・勅令の形をとらず、法律でもって教育理念を示したものである。
🔶日本の戦後教育を決定した(帝国議会の)13日間
その教育基本法案が閣議決定されたのは、現憲法が施行される直前の昭和22(1947)年3月4日。国会で提案説明が行われたのは同年3月13日、可決成立したのが3月25日、公布施行されたのが3月31日である。
「日本の戦後教育を決定した(帝国議会の)13日間」は、国会議事録にして87ページであり、しかも法案修正も付帯決議もされなかったことから、その中から立法精神・制定趣旨を吟味、検証することは難しいことではないと思われるが、なぜか今日まで、教育学者においてすらも、十分な研究・検証がされていないのである。
この教育基本法は、平成18(2006)年の第一次安倍内閣で改正された。
その改正には、制定時に明文化されていなかった「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」(第2条)などの字句が加わった。
この教育基本法は、今でも戦前日本の教育観・道徳観が全否定されたかのような神話が蔓延しており、それに疑問を挟むことや中身の吟味などはタブー視されてきた。
いま必要とされることは、教育理念の再確認と、教育基本法を生きた法とするための検討・検証が求められるが、国会も文部科学省(かつての文部省)も、なぜかこの根本問題についてタブー視を続けている。
教育理念の検討・検証には、教育基本法が制定された第92帝国議会で、どのような議論がなされ、どのような認識に立っていたかを振り返る必要がある。
🔶教育の目的は、よい日本人をつくること
次に教育が目的とするものについて、同年3月20日の貴族院教育基本法案特別委員会での論議および認識について、当時の国会質疑から検証をしてみたい。
荒川文六議員
「第一条に述べてあるようなことになるようなふうに、教育をやっていくということでありますが、私はこれにつきまして、もう一つ大切なことがあるのではないかと思うのであります。
それは日本国民として国家社会に対して犠牲、献身的精神をもち、奉仕的精神にみちた国民に、日本国民とするということが日本は平和国家としてこれから発達さしていくのに非常に必要なことじゃないかと思うのでありますが、そういう精神に国民をするというためには、どうも完璧に現れていないようなふうに思うのでありますが、そういうことについて、何か お考えがあったのでございますか。」
高橋誠一郎文部大臣
「この第一条に掲げてあります国家及び社会の形成者。この形成者と申しまする文字は、単なるメンバーというだけではなくして、実際の国家及び社会の構成者、ギルダーという意味も含まれているのでありまして、なお、国家ならびに社会に対する奉仕の点は、後にありますように『勤労と責任を重んじ』云々という言葉で十分現わされているのではないかと存ずるのであります。」
佐々木惣一議員
「『個性ゆたかな文化の創造をめざす』というようなことじゃ、決して日本人として良い人間をつくるというようなことにはどうしてもでてこないと私は思うのです。(中略)私はやっぱり、この条文の如何にかかわらず大臣その他文部省の方におきましては、日本人としてのむろん日本として良い人間の日本人であるが、その良い人間という意味を含んでの日本人の良さというものが、また別にあらねばならぬから、それが教育の目的であると。そういうふうに教育基本法を理解してよろしゅうございましょうか。」
高橋誠一郎文部大臣
「この『個性ゆたか』ということは、博士(佐々木議員―筆者注)のご解釈になりますように、単なる個人的なものばかりではございませぬので、日本の国民性の十分現われたところの文化の創造という意味に私は解釈しているのでございます。なお、この基本法なるものは、十分に普遍的なものと同時に、日本的なもの特殊的なものも含めて進んでいかなければならぬという精神にもとづいてできているものと申し上げて、さしつかえなかろうと思います。」
侯爵 大久保利謙議員
「『自他の敬愛』または『個性ゆたか』それから『社会の形成者』というような条項に、いろいろな意味があるということは、十分了解いたしたのでございますけれども、もしそういうふうに法令として出まして、果たして一般の人がこの条項からただ今ご質疑になりましたような問題がすぐ出てくるか。(中略)なかなか敬愛と協力という言葉から、いろいろな問題を解釈するとか、解釈はできますけれども、ちょっと普通の人が読んでもピンとこないと思うのです。」
高橋誠一郎文部大臣
「ただいまご指摘の点をとくに明記するということをいたさなかつたのでありますが、なおこれに関しまする解釈その他によりまして、お話しのような点を十分徹底させてまいりたいと考えているのでございます。」
この質疑から、教育基本法の抽象的な条文の解釈やその認識について、大筋ではあるが、国家および社会の構成員としての奉仕の精神や、良い日本人をつくることなどが教育の目指すものであることが、共通認識とされていた。
また条文を見ただけでは、教育基本法が一般の人にピンとこないのではないか、との指摘に対し、政府の責任で解釈その他によって、それを徹底させると明言しているのである。
しかし文部省(いまの文部科学省)は、その作業に意欲を見せた時期もあったうだが、現在はその問題意識すらも持とうとしない怠惰ぶりである。
🔶教育勅語の理念を受け継いだのが教育基本法
では教育勅語と教育基本法との関係、位置づけについて、法制定時にはどう認識されていたのであろうか。
第92帝国議会において、教育基本法案の衆議院通過を受けた後、昭和22 (1947)年3月19日の貴族院本会議で、高橋誠一郎文部大臣は次のように述べている。
「(教育基本法は)教育の理念を宣言する意味で教育宣言である、あるいは教育大憲章であるとも見られましょうし、また今後制定されるべき各種の教育上の諸法令の準則を規定するという意味におきまして、実質的には教育に関する根本法たる性格を持つものである」と強調している。それゆえに「普通の法律にはむしろ異例であります所の前文を附した」(同文相)と表明している。
🔶教育勅語の排除・失効決議は、文部省通達の追認であった
教育基本法が公布・施行された1年3カ月後の昭和23(1948)年6月19日に、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」がなされている。
この決議によって、教育勅語が全面否定されたかのような見方が、政治家やマスコミ、教育学者に蔓延している大きな要因があるのではないか。
この衆参両院の決議の背景は、戦後間もない文部省通達(文部次官通牒)の追認を求めたものであった。
その通達とは、昭和21(1946)年10月8日の「勅語及び詔書等の取り扱いについて」であり、この文部省通達は教育行政において、教育現場から教育勅語の排除を求めたものであり、その内容は次の三項目である。
一.教育勅語をもって我が国教育の唯一の淵源(根本原理―筆者注)となす従来の考え方を去って、これとともに教育の淵源を広く古今東西の倫理、哲学、宗教等にも求むる態度をとるべきこと。 一.式日等において従来教育勅語を捧読することを慣例としたが、今後はこれを読まないことにすること。 一.勅語及び詔書の謄本等は今後も引続き学校において保管すべきものであるが、その保管及び捧読にあたっては、これを神格化するような取扱いをしないこと。 |
教育基本法制定に向けての国会論議においても、また教育勅語をめぐる認識において、この文部省通達の趣旨に立った理解は、すでに共通認識として法制定の趣旨になっていたと言える。
つまり教育勅語が「日本国憲法・教育基本法の施行と同時に抵触するもの」として排除・失効されたのは次の4つである。
(1)政治的・法律的な枠組みとする考え方。
(2)我が国教育の唯一の淵源とする従来の考え方。
(3)上から与えられたものとして神格化・絶対視すること。
(4)国民を臣民とみる発想と考え方。
しかし、教育基本法と「教育勅語の良き精神の継承」が並立していたとする認識は、必ずしも戦前の教育制度を無批判的に肯定していたということではない。
戦前の教育制度は、教育令、小学校令、中学校令、帝国大学令、国民学校令など、ほとんど勅令によって、オカミから臣民に与えられるものとなっていたが、戦後はそれが否定されることとなった。
新憲法では「すべて国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。」(憲法26条)との観点、つまり国民の権利として「国民の教育を受ける権利」を前面に打ち出しており、国家主導の配給教育体系を否定している。
🔶教育勅語は違憲詔勅ではなかった
ところが教育勅語の取り扱いが、この文部省通達にもかかわらず、国会では排除・失効確認決議となった。
その理由は、「(教育勅語などの諸詔勅が)今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがため」(衆議院決議)であり、「(教育勅語等が)従来の如き効力を今日もなお保有するかの疑いを懐く者あるを思んばかり、われらはとくにそれらが既に効力を失っている事実を明確にする」(参議院決議)ためであった。
参議院決議の提案理由には、それが明確に示されている。
決議案を提案した参議院文教委員長の田中耕太郎は、「終戦後とられた通達その他の措置により、教育勅語がすでに廃止され(政治的・法律的に―筆者注)、歴史的な一つの文献に過ぎないものとなっている。しかし、この事実を未だ十分認識しない者があることを心配して、この際あらためて教育勅語等が効力を失っていることを明確にして…」と述べていた。
また同日(昭和23年6月19日)、衆議院本会議で上程された「教育勅語等排除に関する決議案」では、決議の提案説明において「教育勅語の政治的や法律的な枠組み」を排除しつつも、「教育勅語の内容については真理性を認める」と排除決議の提案理由を述べた。
衆議院文教委員長であった松本淳造議員は、「教育勅語等の排除に関する決議」の提案説明において、「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には眞理性を認めるのであります。」と述べている。
つまり「勅語という枠の中にあります以上は、その勅語そのものが持つところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができない」という観点である。
衆議院文教委員長の松本淳造は、「それを教育勅語の枠から切り離して考えるときには眞理性を認める」としながらも、それが憲法第98條にも副わないとしつつ、「國民におきましても、はたして勅語が失効したのか、効力をもつているのであるか、生きているのであるか、その辺か判断がわからないのでありますから、そこにいろいろな誤解が生れてくるわけであります。」ことから、「その指導原理的性格を認めないことを宣言し、政府をしてただちにこれら詔勅の謄本を回収せしめ、この際はっきりと排除の措置を完了せしめたい」と述べている。
第92回帝国議会における教育基本法案の審議・成立の前に、すでに教育勅語の失効・排除の政治的・法律的な行政措置が取られていた。
つまり教育勅語そのものは、教育基本法成立施行の1ヵ月後にあたる5月3日に施行された憲法の第98条によって効力を失った違憲詔勅ではないことは言うまでもない。
「教育はどうあるべきか」などを考えるには、教育とは何か、教育の任務・役割・目標とするものは何か、などについて国民全体の共通認識が必要である。 そしてその共通認識と理解にもとづいて、親・教師・政治(行政)は何をすべきかを考えなくてはならないのである。
とくに教育の理念を法律で示した教育基本法の立法精神と制定趣旨の正しい理解と認識が、そのスタート台である。
教育基本法の制定以来、教育基本法の立法精神・制定趣旨の根源的な検証・見つめ直しは戦後一貫して行われたことはなかった。
あえて誤解を恐れずに言えば、学校や制度は、あくまでも教育の手段であって、既存の学校システム維持のために「教育」があるのではない。ましてや学校関係者の生計の手段として「教育」があるのではない。
教育の目的にあるのは、制定時の国会論議で示された「よい日本人をつくる」ことであり、それが教育理念の共通認識として流れており「人格の完成」(教育基本法第一条)をめざす意味となっている。 (敬称略)