エアバスA300型機、初就航から40年目の節目


2014年5月12日(JST.22:10)                  John Bosnitch

広胴型ジェット旅客機で、双発エンジン時代の先鞭をつけたエアバスA300型機が就航開始から40周年の節目を迎えた。ジェット燃料の高騰で時代は完全に双発ジェット機が主役。就航当初は、メーカーの経営基盤を揺るがすと揶揄した米航空宇宙産業界も、エアバスのその後の成長は予想外の展開だった。

エアバスA300型機の原型機は1972年、初飛行。量産型のA300B2は1973年、本格化した。欧州航空宇宙産業の復活を託した同型機も、マクダネル・ダグラスDC10、ロッキードL1011、ボーング747の米三大メーカー間での広胴型ジェット旅客機の”売り込み競争”の前に墜落寸前の厳しい状況に曝された。

しかし、米有力航空会社、イースタン航空への破格の条件提示と運航経費がライバル機より優れていたことで次第に見直された。

A300型機の意外な健闘にエアバスは自信をつけ、A330型機の成功や、狭胴型機(単通路の客室)、A320型機の快進撃で世界最大の航空宇宙企業、ボーイングのライバルとなり、ロッキード、マクダネル・ダグラスをを民間旅客機製造から引き摺り下ろす結果となった。『航空産業はスポーツゲーム』といわれ勝者と敗者がはっきりしている。

ボーイングが双発大型機、B777型の開発に踏み切ったのもエアバスの双発機種攻勢に他ならない。ボーイングVS.エアバスは次世代省エネ広胴型機の激突で雌雄を決するバトルはこの先、熾烈化しそうだ。

エアバスA300型機は姉妹機のA310型機を合わせ、合計878機を生産、すでに生産ラインは閉鎖された。後継機の順調な開発成功で双発ジェット旅客機時代を引き継いだ訳。65社で、なお約400機が運行中。日本でも同型機が1981年、当時の東亜国内航空が導入。後身の日本エアシステムが二校と合併後も運航を続けたが、2011年、完全に日本の空から引退した。欧州製ジェット旅客機の日本での初の採用の歴史を刻んだことで記憶に残るだろう。

A300-600/600Rの最終シリーズは全長54.08㍍、全幅44.84㍍、全高16.52㍍、旅客は最大361人搭乗可能で航続距離は5,000㌔。

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[(AIRBUS)ローンチ・カスタマーのエール・フランスが導入したA300型機]