「人はどこまで長生きしていいのか」 生命倫理研究者を取材した


2015-03-02 産経新聞社論説委員木村良一

 橳島次郎さん

写真:橳島(ぬでしま)次郎氏

 

いつまでも健康で長生きしていたい。古くからの人類の欲望だ。いま科学技術の急速な進歩がこの不可能な願いをかなえつつある。近い将来、iPS細胞(人工多能性幹細胞)やES細胞(胚性幹細胞)などを使った再生医療によって壊れた体の一部を新しいものと交換できるようになる。

今年4月には独立行政法人・日本医療研究開発機構が発足する。アメリカのNIH(国立衛生研究所)にならったもので、日本の最先端医療研究の司令塔となり、安倍政権の成長戦略の大きな目玉でもある。

最先端医療には生命倫理の問題が常に付いて回る。生命倫理の議論が欠かせない。ところが生命倫理の議論が十分になされていない。再生医療はどこまで許されるのだろうか。人はどれだけ長生きしていいのか。医療技術の進歩に倫理面の議論が追いついていかない現状がある。

こんなことを考えながら生命倫理の問題を調査・研究して政策を提言している社会学博士の橳島(ぬでしま)次郎さん=写真=に会って話を聞いてきた。橳島さんは1960(昭和35)年生まれの54歳。東京大学を卒業後、三菱化成(現・三菱化学)生命科学研究所を経て現在、東京財団の研究員として活躍している。科学や医療に関する著書が多く、昨年12月には『生命科学の欲望と倫理 科学と社会の関係を問いなおす』(青土社)を出版した。

たとえば人の体から切り離された体の一部(臓器や組織)、あるいは精子や卵子、胚などの生命のもとをどこまで再生医療という最先端の医療に使って手を加えていいのだろうか。それにはどういう制限が必要になるのか。橳島さんは「それを考え、決めていくのが生命倫理だ」と指摘する。

「ところが何をどこまで認めていいのかという生命倫理上の問題に対し、基準になる物差しがない。日本はいつも飛んできた球を打ち返すのに精いっぱいで、その都度、社会で問題になっている医療に個別に対応してきた。その結果、対応がバラバラになっている。あるところは厳しく、あるところは抜け落ちている」 橳島さんはこう説明したうえで「とくに最先端医療は人の体のもと、生命に手を下す。だから生命倫理の問題が出てくる。日本でやらなければならないのは、生命倫理の土台をつくること。その土台の上にいろんなものを組み立てて作っていけばいい」と主張する。まったくその通りだと思う。

日本では人の体の一部にどれだけの価値を見いだせるかという生命倫理の議論をしてこなかった。精子や卵子の扱いや代理出産などを規制する生殖補助医療法案や、延命治療を受けないで自然な死を迎えるための尊厳死法案も国会に提出されず、宙に浮いたままだ。

橳島さんは「人の体の一部は単なるものではない。ものでないならどこからものになるのだろうか。切り離された肉の塊がものだというならば、自由に使ってもいいだろう。しかしもとは人の体の一部なのだから人の尊厳は残っている。だから人体の一部をみだりに扱うと、人の尊厳が損なわれる」と述べる。

橳島さんに対する取材の中でとくに興味深かったのは、フランスの生命倫理法についての話だ。

臓器移植、再生医療、生殖補助医療、遺伝子治療、体細胞クローンなどの最先端の科学や医療の技術に対し、フランスには土台の生命倫理法がある。橳島さんはフランスまで渡り、法案などを入手して調査・研究を重ねてきた。

「きっかけは1992年の『フランスで生命倫理法を作る』というルモンドの記事。それまでは生命倫理というとアメリカだった。しかしアメリカのそれは自己決定権とか個人主義とかが強く、違和感を覚えていた。アメリカのように生命倫理をごりごりやっても日本社会にはなじまないと思っていた。実際、フランスの生命倫理を研究してみると、アメリカの生命倫理が非常に偏っていることが分かった」 フランスでは94年に生命倫理法が成立した。生命倫理に対する世界で最も体系的な対応で、最大の特徴は臓器、組織、細胞、精子、卵子、胚、遺伝子までのさまざまな人間の体と生命のもとの扱いをすべて包括しているところにある。すべての先端医療分野の研究と臨床において守るべき共通の倫理規定と罰則を定めている。共通の倫理規定は民法に「人体の尊重について」という章節を新たに設けてまとめられている。

最後に世紀の大発見と騒がれたSTAP細胞の不正問題については「研究の科学的妥当性について相互批判する機会がまったく保障されていなかったところに最大の原因がある」と指摘している。

−以上−

橳島次郎さんのインタビューを産経新聞の「話の肖像画」の欄で3月2日から計5回に渡って連載する予定です。

 

綱町三田会倶楽部2015年3月号から転載