2020-09-18(令和2年) 松尾芳郎
図1:(NASA Goddard Space Flight Center)ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡は、近赤外線領域で太陽系外惑星の探査と宇宙質量の68 %を占める暗黒物質 (dark matter) の研究をするのが目的。 2016年2月に広視野赤外線サーベイ望遠鏡(WFIRST=Side Field Infrared Survey Telescope)として開発が決定、2020年5月にローマン宇宙望遠鏡と改称、打上げは2025年の予定。打上げ後5年間の運用経費を含む総開発費は、約40億ドル(4,200億円)を見込む。
ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡(Nancy Grace Roman Space Telescope)の直径2.4 mの主鏡が完成した。この主鏡は、地球近くの星々から遥か遠くの銀河の微弱な光までを集めることができる。ローマン望遠鏡は、ハブル宇宙望遠鏡が一度に観測できる面積の100倍の広い範囲を一度に観測できる。
(NASA announced, The Nancy Grace Roman Space Telescope’s primary mirror, 2.4 meter diameter, which collect and focus light from cosmic objects near and far, has been completed. Roman telescope will capture wide field of space view as 100 times greater than Hubble images.)
ローマン望遠鏡は人間には見えない赤外線を通して宇宙を観測するので、途中のダスト・ごみ等に邪魔されることなく、微細な光を明瞭に捉えることができる。望遠鏡の集光能力は主鏡の大きさで決まるので主鏡が大きければより多くの微かな光を捕捉できる。
ローマン望遠鏡の主鏡直径は2.4 mでハブル宇宙望遠鏡と同じ大きさ、しかし重さは4分の1以下の186 kgしかない。これは技術の進歩のお蔭である。
図2:(NASA/L3 Harris Technologies) ローマン宇宙望遠鏡の主鏡。主鏡には米国の国旗が写っている。主鏡表面は家庭で使う鏡の数百分の1の平滑度に仕上げてあり、主鏡で集めた光を副鏡で反射して中央の開口部を通して観測機器で焦点を結ばせる。
ローマン望遠鏡は反射望遠鏡で、主鏡が集めた光は副鏡で反射され、望遠鏡の後端にある広視野用観測機器(WFI=Wide Field Instrument)とコロナグラフ観測機器(coronagraph Instrument)で焦点を結ぶ。
図3:(NASA Goddard Space Flight Center) ローマン宇宙望遠鏡の構成図。左から入った光は主鏡で集光し副鏡で反射され「WFI=Wide Field Instrument /広視野用観測機器」で焦点を結ぶ。
広視野用観測機器(WFI):
大きな300メガピクセルのカメラで、ハブル望遠鏡と同じ解像度だが視野は100倍にもなる。天文学者はこれで一つ一つの暗黒物質・天体の分布、他の恒星を周回する惑星系、あるいは宇宙の始まり、などを調べることができる。
図4:(NASA Goddard Space Flight Center) ローマン望遠鏡の「WFI=Wide Field Instrument /広視野用観測機器」が一度に撮影できる範囲は、ハブル宇宙望遠鏡の視野(左上角)の100倍以上になる。
コロナグラフ:
恒星のまばゆい光を遮る遮光装置で、その周囲を回る惑星を直接観測できるようにするためのもの。これが期待通りに働けば、恒星の数百万分の1の光度しかない惑星を観測できる。コロナグラフはハブル宇宙望遠鏡にも搭載されているが、ローマン望遠鏡は遥かに高性能のコロナグラフ装置を使うので、恒星を回る系外惑星を直接撮影できるものと期待されている。
図5:(NASA/GSFC/SOHO)コロナグラフは、狭い視野の望遠鏡だが、恒星からの光を遮断、近くの惑星の観測を容易にする装置。この図はNASAの太陽観測衛星(SOHO=Solar and Heliospheric Observatory)がコロナグラフで撮影した太陽の写真。遮光しているにも関わらず3つの巨大なコロナ質量放射が写っている(2010/12/12 07:48)。
ローマン望遠鏡は、地球から太陽と反対方向150万kmにある太陽を回る軌道上に設定した観測点のハロー軌道(Halo Orbit)上を周回しながら観測をする。ここでの軌道保持はごくわずかの燃料消費で済むので選ばれた。来年打ち上げ予定のジェームス・ウエブ望遠鏡もここで観測を始める予定。この点はラグランジェ・ポイントL-2点と云い、太陽と地球の引力が同じになる仮想の位置である。ここでは太陽や地球や月からの光を遮りやすく、観測機器を十分低温に安定して保持でき、微かな赤外線信号を捉えることができる。
主鏡は、地球上での試験と宇宙空間で使用中の温度の差に対応できるよう、特別な低膨張ガラスで作ってある。ほとんどの材料は温度の変化で伸び縮みするが、望遠鏡の主鏡でこのようなことが起こると像が歪む。このため主鏡とその支持機構は変形を最小に抑えるよう作られている。
普通、主鏡の開発にはかなり長期間が必要だが、今回は米国国防総省の諜報機関で、空軍長官の直轄部門、偵察衛星の設計、打上げ、運用、情報収集などを担当する「国家偵察局(NRO=National Reconnaissance Office)」が開発した主鏡を転用したため、短期間で完成できた。
ローマン望遠鏡の主鏡は、表面に「400ナノメーター(nanometer)/髪の毛の200分の1」の厚さの銀コーテイングがしてある。銀はこの望遠鏡が使う近赤外線領域の反射効率が最も良いために選ばれた。これに対しハブル宇宙望遠鏡の主鏡は、可視光線と紫外線の反射効率が良いアルミ・マグネシウム・フッ化物(aluminum & magnesium fluoride)のコーテイングがしてある。また来年打上げ予定のジェームス・ウエブ宇宙望遠鏡(JWST)の主鏡には、より波長の長い赤外線観測に適合するよう金メッキがしてある。
ローマン望遠鏡の主鏡は、最終的に表面の凹凸が1.2 ナノメーター以内になるよう極めて平滑に研磨されている。仮にこの主鏡を地球と同じ大きさ(直径13,000 km)にすると、凹凸は僅か6 mm位と言うこと。
主鏡製作を担当したL3 ハリス・テクノロジー(L3 Harris Technologies)社のボニー・パターソン(Bonnie Patterson)主任技師は述べている;―「主鏡はローマン望遠鏡の厳しい光学要件に合致するよう製作された。要件よりずっと平滑に仕上げたので、予期以上の成果が期待できる。」
L3 ハリス・テクノロジー社は、ニューヨーク州ローチェスター(Rochester, New York)に本社があり、2019年6月に、それまでのL3コミニュケーションズ(L3 Communications)とハリス(Harris Corp.)が合併した会社で、現在は世界第6位の防衛産業になっている。
ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡計画は、NASAのゴダード宇宙飛行センター(Goddard Space Flight Center)が主管し、NASAジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)とパサデナ(Pasadena, Calif.)のカリフォルニア工科大(Caltech/IPAC)、バルチモア(Baltimore)の宇宙望遠鏡研究所(the Space Telescope Institue)、その他の組織が参画している。
ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡は、以前は「広視野近赤外線サーベイ宇宙望遠鏡(WFIRST=Wide Field Infrared Survey Telescope)」と呼ばれていた。NASAは2020年5月に呼称を変更、WFIRSTからナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡に改称した。
ナンシー・グレース・ローマン博士はNASAで女性として初代の主席天文学者(Chief of Astronomy)となり、ハブル宇宙望遠鏡計画の推進者でもあったが2018年に逝去(93歳)。NASAではその功績を記念して新望遠鏡にその名を冠し、ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡とした。簡略化してローマン宇宙望遠鏡あるいはRSTと呼ぶこともある。
図6:(NASA/ESA)1972年ごろNASAゴダード宇宙飛行センターで撮影されたナンシー・グレース・ローマン博士。1925年ナッシュビル(Nashville, Tennessee)に生れ、シカゴ大学大学院で天文学を修学、同大付属のヨークス観測所(Yerkes Observatory)を含む各地の天体観測施設で働いた後、1954年から海軍研究所に転じ電波天文学(radio astronomy) の研究に従事。1959年からNASAで観測天文学部門の長として働くことになった。翌1960年からはNASAが新設した宇宙科学部門(Office of Space Science)で、初代の主席天文学者(Chief of Astronomy)になり、同部門を指導する位置(executive )に就任した。1879年に高齢の母親の看病のため早期退職するまでここで多くの業績を残した。良く知られているのはハブル宇宙望遠鏡の開発推進である。このため彼女は “ハブルの母親”とも呼ばれる。そして2018年12月に病を得て生涯を閉じた。
暗黒物質は「はぐれ惑星」
ローマン望遠鏡に期待される役目の一つ“暗黒物質”の解明について、NASAが明らかにした話を紹介しよう。
宇宙に存在する“暗黒物質”とは無数の「はぐれ惑星(Rogue Planet)」、我々銀河系にある沢山の恒星から離れて浮遊する星々の事である。太陽系では太陽の周りを地球、火星、木星などの惑星が回っているが、「はぐれ惑星」は恒星の束縛を受けずに宇宙空間を彷徨う物体を云う。
太陽系以外の星々(恒星)が惑星を伴っていることは1990年代には明らかになった。これで我々は、銀河系内にある1000億個以上の恒星に、それぞれ惑星系が存在することを知ることになった。
浮遊する「はぐれ惑星」を見つけるのは極めて難しいが、ローマン望遠鏡は、その内の幾つかについて位置と特性を明らかにしてくれそうだ。
ローマン望遠鏡は “マイクロレンズ探査法 (microlensing survey)” で「はぐれ惑星」を見つけようとしている。光は直進するが、宇宙空間で遠方からの光は途中に重力があると多少曲がると云う性質を使って、はぐれ惑星を知る探査法である。
恒星と望遠鏡の間に「はぐれ彗星」が入ると、それまで一つだった恒星が重力レンズの効果で複数見えるようになる。「はぐれ彗星」は数時間ないし数日で恒星と望遠鏡の間を通過するので、やがて「恒星の像2」は消え失せ「恒星の像1」が正しい「恒星の位置」に一致するようになる。重力レンズは恒星の光を曲げるだけでなく増幅する拡大鏡の働きもする。つまり恒星の光度が「はぐれ惑星」通過前後で変化するので、これを使って「はぐれ惑星」の質量を知ることができる。
図7:(NASA Goddard Space Flight Center) 「マイクロレンズ探査法」の説明図。地球から太陽の反対側150万km の宇宙空間ラグランジェ点L 2で観測を始めるローマン望遠鏡はこの手法で数百個の「はぐれ惑星」を探査できると期待されている。
最新の報告によれば、ローマン望遠鏡は火星サイズの「はぐれ惑星」の検知が可能だと云う。これで惑星系の成立の過程が一層明らかになりそうだ。
惑星の誕生は、小さな物体が衝突で繋がり次第に大きくなる、いわば粘土細工のようにして成長する。しかし衝突が激し過ぎると親の恒星の引力から飛び出し宇宙を浮遊するようになり「はぐれ惑星」となる。
もう一つの「はぐれ惑星」は、宇宙空間に漂うガス・ダストの雲から生まれる。これ等から誕生する恒星の様子はハブル望遠鏡などの観測で良く知られているが、中には核融合反応を起こす恒星の大きさにまで成長出来ずに止まってしまう星、つまり惑星サイズ、も多くある。
ローマン望遠鏡は、十分に知られていなかった「はぐれ惑星」の世界の研究を進めようとしている。多くの地上望遠鏡の観測で、我々銀河系には数千億から数兆個の「はぐれ惑星」が存在すると予想されているが、ローマン望遠鏡はこれ等の研究の精度をこれまでの10倍以上に高めようとしている。
図8:(NASA Goddard Space Flight Center) 宇宙空間に漂う「はぐれ惑星 (Rogue Planet)」の想像図。我が銀河系には数千億から数兆個の「はぐれ惑星」が存在する。「はぐれ惑星」の大きさは、直径14万kmの木星の数倍以下から月程度まで位で、恒星(太陽)のように核融合反応で光を出すことはできない。
―以上―
本稿作成の参考にした主な記事は次の通り。
NASA “About the Roman Space Telescope”
NASA September 3, 2020 “Primary Mirror for NASA’s Roman Space Telescope Completed” by Ashley Baizer
Universe Today September11, 2020 “Nancy Roman Telescope’s Primary 2.4 meter Mirror is Ready” by
Universe Today September 4, 2020 “Astronomers thought They had found a Red Dwarf that wasn’t Hostile to its Habitable Zone Planets. They were Wrong”
NASA June 26, 2019 “Main Instrument for NASA’s WFIRST Mission Completes Milestone Review” by Ashley Blazer
NASA Aug 22, 2020 “Unveiling Rogue Planets with NASA’s Roman Space Telescope” by Ashley Bazer