これが新型コロナ対策の極意だ



2023-06-03(令和5年)木村 良一(ジャーナリスト・作家 元産経新聞論説委員)

燕岳(つばくろだけ)のイルカ岩とその後ろの槍ケ岳。自然の造形に驚かされると、発想が変わる=2012年9月13日、筆者撮影

■へそ曲がりのコラム作法
 尊敬する新聞記者のひとりにコラムニストの石井英夫さんがいる。産経新聞の1面コラム「産経抄」を35年の長きにわたって書き続け、数多くの読者に慕われた。言論界でも高く評価され、日本記者クラブ賞や菊池寛賞を受賞した。あだ名は蛙の「ケロ」。昭和8年1月2日生まれというから90歳になる。石井さんとは論説委員室で机を並べさせていただき、飲みに連れて行ってもらうなどたいへんお世話になった。
 その大先輩が著書『コラムばか一代-産経抄の35年』(産経新聞社、2005年5月発行)の中でこんなことを書いている。
 〈世の中が「鳥の目」で浮足立っている時は、オレは「虫の目」をもって地べたをはい回り、虫の触覚でじっくり確認して書く。逆に、世間が「虫の目」で騒ぎ立てている時なら、オレは空の高みから「鳥の目」でもって見渡してやろう。鳥瞰と虫験とを冷静に使い分ける。それが私のいわばコラム作法(さくほう)であり、産経抄の秘密だった〉
 石井さんは自らを「へそ曲がりだ」と謙遜する。だが、おもしろいことに社会の風潮と逆を行くこの石井流のコラム作法が、そのまま感染症の対策につながるのである。

■1週間で「2.63人」
 厚生労働省が5月19日(金)、感染症法上の5類に移行(8日)して初めての新型コロナの流行状況を発表した。集計方法も感染者数の全数把握からインフルエンザと同じように、全国約5000の医療機関(クリニック、診療所、病院)から1週間ごとに報告を受ける定点把握に切り替わった。
 厚労省によると、8日~14日までに報告された全国の感染者の数は1万2922人で、1医療機関あたり「2.63人」だった。全数把握だった前週(1日~7日)の感染者数を定点把握に置き換えると、1.80人。同様にこの冬の第8波のピークは、29・80人になる。8日~14日の新規の入院患者の数は横ばいだった。
 続いて26日(金)に発表された、15日~21日の1週間も1医療機関あたりの感染者数は前週の1.35倍と増加したものの、「3.56人」と少なかった。厚労省は「緩やかな増加の傾向が続いている」と分析している。

■基本は危機管理
 5類移行にともなう規制の緩和とGWのにぎわいで「感染者数は急増する」と予想していたが、結果は大きく違った。拍子抜けの感がある。巷も新型コロナなどどこ吹く風である。だが、しかし、「穏やかな増加」に安心してはならない。感染は拡大しているし、死者も出ている。新型コロナウイルスが消えてなくなったわけではない。
 WHO(世界保健機関)も5月5日に「国際的な公衆衛生上の緊急事態」を解除した。しかし、これも新型コロナの脅威が終わったわけではなく、変異株によって再び大流行する危険性があり、WHOは警戒を続けるよう訴えている。そもそも感染症は私たちの予想を裏切ることが多い。それゆえ注意は欠かせない。
 4月19日の厚労省の専門家会合(アドバイザリーボード)で、有志4人の専門家が「免疫を持つ人の割合が4割と低い日本では、この冬の第8波を越える規模の大きな第9波が起きる可能性がある」と指摘し、「高齢者を中心に死者が発生し続ける恐れがある」と警告していたことを思い出してほしい。
 感染症対策の基本は危機管理である。最悪の事態を想定して対策を講じておく必要がある。

■はしか、梅毒、鳥インフル…
 ところで、新型コロナだけが感染症ではない。たとえば、はしか(麻疹)だ。新型コロナ流行の影響で医療機関と保健所がひっ迫したことや、受診控えが続いたことが原因でワクチンの接種率が低下し、その結果として流行しつつある。都内では2020年以来3年ぶりに感染者が確認されるなど関東や関西で感染者が出ている。感染者の数はまだ少ないが、はしかの病原体は空気感染する麻疹ウイルスで、非常に感染力が強い。今回も新幹線の同じ車両に乗っただけで感染する例が出ている。
 主な症状は発熱、せき、発疹で、重症化すると、肺炎や脳炎を引き起こす。特効薬はなく、ワクチン接種で感染を防ぐしかない。
 性感染症の梅毒も増えている。国立感染症研究所は5月23日、感染者が「今年に入り5000人を超えた」と発表した。これは最多の感染者数(1万2966人)を記録した昨年より、1か月早いペースだ。
 リンパ節の腫れや陰部の潰瘍(かいよう)の他、全身に発疹が表れる。初期の症状が軽いうえ一時的に症状が消えることから「大したことはない」と判断してそのままにしてしまうことが多く、感染を広めやすい。大動脈瘤など深刻な疾病を引き起こすこともある。
 病原体は梅毒トレポネーマとよばれる細菌だ。血液などの体液を通じて感染する。血液検査で感染の有無が確認でき、抗菌薬の投与で完治する。気になる症状があれば、早めに専門医にかかることを勧めたい。
 挙げたら切りがないが、私たちが気を付けなければならない感染症には、季節性インフルエンザや新型インフルエンザに変異する鳥インフルエンザ、完治が不可能なHIVエイズなどもある。アフリカでは致死率の高いキラー感染症のエボラ出血熱がなくならない。繰り返すが、新型コロナだけが感染症ではないのである。

■固定観念の殻
 国家レベルでも個人レベルでも、感染症の対策には社会の風潮や流れとは正反対の対応が求められることがある。社会がその感染症を恐れて大騒ぎしているときには、「正しく怖がりたい」と冷静に呼びかけ、反対に世論が無頓着なときは「注意を怠るな」と警告する。石井流の「鳥の目と虫の目」「鳥瞰と虫験」の使い分けである。
 なぜ敢えて社会の流れに逆らう必要があるのか。答えは簡単だ。それによってバランスが取れ、均衡が保たれるからである。前回のメッセージ@pen5月号で触れたが、感染症対策にはこのバランス感覚が欠かせない。対策が強すぎると、社会・経済の活動が滞り、同調圧力や自粛警察を生む。逆に対策が弱いと、感染症が流行する。
 石井さんは〈何事においても固定観念の殻を破らねば人の胸を打つ文章を書くことはできない。固定観念の殻を破るには、ふだんの視点や視座をちょっとずらして物を見たり、考えたりすることが大切である〉とも書いている。
 感染症も同じである。敢えて社会の動きとは違ったところから考えてみる必要がある。そうすることで思考と行動に幅や余裕ができる。その結果、どのくらい新型コロナを警戒しなければならないのか、新型コロナだけが感染症ではない、ならばいまはどんな感染症に注意すべきなのか、が分かってくる。これが私の新型コロナ対策、感染症対策の極意である。

ー以上ー
        
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の6月号(下記URL)から転載しました。
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