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本稿は、鳥居徹夫氏の論考である。令和5(2023)年11月9日の参院外交防衛委員会で、立憲民主党の小西洋之議員は、木原稔防衛大臣を追及した。木原大臣はかつて「教育勅語」の額を議員会館に置いていたことや、過去のブログに「教育勅語の廃止で道義大国日本の根幹を失ってしまいました」と書かれていたと、小西氏は攻撃した。小西氏に限らず左翼勢力は、戦後の教育改革によって、教育勅語が全否定されたと強弁している。
ところが国会議事録によると、第92回帝国議会(昭和22年)で、高橋誠一郎文部大臣(当時)は、教育基本法案の提案説明にあたって「教育勅語の良き精神を継承したもの」「教育基本法は、詔勅・勅令の形をとらず、法律でもって教育理念を示した」「(教育勅語は)孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在する」と、提案理由を説明していた。
つまり、教育勅語を全否定することは、教育基本法をも否定することにもなる。
また昭和23年6月19日の第2回国会で、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」がなされている。衆議院で決議案を発議した松本淳造文教委員長は、提案理由で「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には眞理性を認めるのであります。」と述べ、「勅語という枠の中にあります以上は、その勅語そのものが持つところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります。」「諸詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言し、」としている。この事実を見ても、戦後の教育改革が「教育勅語体制から教育基本法体制へ」とする見方が、根本的に間違っている。