2015-03-02 産経新聞論説委員 木村良一
表現の自由…。これについてこれほど考えさせられたことはない。イスラム教の予言者ムハンマドを扱った風刺画を掲載したフランス週刊紙シャルリー・エブドのパリ本社が、襲撃されたテロ事件である。
1月7日に事件が起きると、日本の新聞各紙は9日付朝刊紙面で「表現の自由を暴力で踏みにじる行為は許されない」という趣旨の社説を一斉に掲載し、テロの卑劣さと表現の自由の重要性を強く訴えた。しかし事件から一週間後にシャルリー・エブドが特別号でムハンマドの風刺画を再び掲載すると、各紙の社説のトーンが変わってくる。
事件から一週間以上が経過した1月16日付朝刊の読売新聞の社説は「テロに屈しないという意志表示だろう。だが、イスラム教徒を刺激し、新たな対立の火種とならないか。懸念される」と書き出し、特別号の発行を批判した。
特別号の問題の風刺画は、ムハンマドが「私はシャルリー」と書かれたプラカードを手に涙を流しながら連帯を示すもので、「すべて許される」との見出しも付いている。
読売の社説によれば、通常は4万5000部の発行のところを特別号は500万部まで増刷され、売り切れの販売店も相次いだ。社説は、「表現の自由」を守ろうとするフランス世論の高まりがうかがえるなどと述べた後、「風刺画がフランスでは『表現の自由』であっても、イスラム教徒にとっては『宗教への冒瀆』となる」と指摘し、「報道機関は、記事などが社会に及ぼす影響を十分に考慮し、掲載する必要がある。受け取る側の多様な価値観を尊重する精神こそが、成熟した民主主義社会の基盤となる」と主張する。
毎日新聞の社説(同日付)も「表現すること 他者を尊重する心も」との見出しを付け、「表現の自由を守りつつ、宗教の違いなど価値観を異にする者が共存できる社会のありようを模索することこそ、必要なはずだ」と訴える。そのうえで「表現の自由は、多様な価値観を尊重しあう社会のためにこそ、守られるべきものであるはずだ。それには自分の価値観と同様に、他者の価値観も尊重することが大切である」と強調する。
朝日新聞は19日付朝刊に「表現と冒瀆 境界を越える想像力を」との見出しを付けた社説を掲載し、「自分にとっては当たり前に思える常識や正義が、他者にとっては必ずしもそうではないという想像力。それがあっての自由である」と説く。
産経新聞は9日付社説の時点でで「表現の自由は揺るがない」(見出し)としながらも、「信教に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう」と述べ、表現の自由がすべての場合に許されるわけではないことも論じた。
西欧社会とイスラム教の関係に詳しい日本の専門家は「フランスの自由は王制とカトリックからの独立から得られたもので、神に対する冒瀆も自由に当たる。しかしフランスがその自由を強調すればするほど、イスラム教徒の反発を呼ぶ」と解説する。
ただフランス国内では表現の自由に関する国民の意見は割れているようだ。たとえばパリからの共同通信の配信記事によれば、18日付のフランス日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュは、特別号の風刺画掲載の是非を問う世論調査結果を報道した。世論調査は約1000人のフランス国民を対象に電話で実施され、57%が「イスラム教徒の反発があっても掲載されるべきだ」と支持する一方で、42%が「イスラム教徒の気分を害することを考慮し、掲載は避けるべきだ」と答えた。 ジャーナリズムにとって表現の自由は基盤そのものだ。新聞記者が書いて伝えようとする記事の表現が、当局からのクレームで歪められるようでは、それはもはや新聞記事とはいえない。
ところで私が警察や国税当局を担当していた事件記者時代、自分がつかんだ特ダネを記事にすると、警察の捜査や国税当局の調査がつぶれてしまう可能性があると悩むことも多かった。書くべきか、それとも書かずにもう少し待つべきか。しかし早く紙面化しないと、他の新聞社に抜かれ、それまでの自分の努力がすべて無駄になる。
この話は今回の表現の自由の問題とは直接関係ないかもしれないが、取材相手や書かれる側の立場を考えるという点では共通していると思う。新聞記者は取材相手のことを常に念頭に置いて記事を書く。自分が取材した事実をなんとか記事にしようと、取材相手ら関係者を説得もする。そこから取材相手との間に信頼関係が生まれる。風刺画にはこの信頼関係がない。もっとも風刺される相手に信頼されることなど不可能なのかもしれないが…。
−以上−
綱町三田会倶楽部2015年2月号から転載