水俣条約をきっかけに公害について考えよう


2013-11-05 産経新聞論説委員 木村良一


水銀による健康被害の防止を目指す「水銀に関する水俣条約」が10月10日、熊本市で開かれた国連環境計画(UNEP)の外交会議で採択された。条約は批准国が50カ国になった時点から90日後に発効する。「水俣条約」という名称は日本政府の提案で、前文には「水俣病を教訓に同様の被害を繰り返さない」とのメッセージが盛り込まれている。
水銀を含む電池や照明器具などに対する規制で日本での水銀の使用量は減った。しかし中国は石炭による火力発電で大気中に水銀を出す世界最大の水銀排出国として知られ、世界有数の金の産出国のインドネシアでは、金鉱石の精錬に使った水銀が垂れ流されている。世界ではまだまだ水銀汚染がなくなっていない。
日本の高度経済成長の裏側で起きた公害の原点といわれる水俣病の被害から学ぶ水俣条約は、世界の水銀汚染をなくすための大きな一歩になる。水俣条約の採択をきっかけに「公害」についてあらためて考えてみよう。
日本の水俣病はチッソ水俣工場からメチル水銀の含まれた排水が水俣湾に垂れ流され、その湾の魚介類を食べることで起きた。魚が何匹も海面に浮かび、魚を食べたネコが踊り狂うように死んでいった。周辺住民は手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴に苦しんだ。最初は伝染病や奇病が疑われ、偏見や差別とも戦わねばならなかった。
1956(昭和31)年に国によって公式に確認されたが、不十分な補償、新潟水俣病の公式確認、国家賠償訴訟、政治決着、被害者救済特別措置法と局面は何度もあったが、半世紀以上が過ぎても問題は解決していない。
とくに1977(昭和52)年の旧環境庁による現行の認定基準が、水俣病の患者として認定を求める被害者の前に立ちはだかってきた。その認定基準は感覚障害や運動失調、視野狭窄など複数の症状が重なっていることが大原則で、たとえば感覚障害だけといった単独の症状のケースは水俣病患者と認めない。「患者切り捨て基準」と批判され、潜在患者が全国に20万人はいるといわれるにもかかわらず、認定患者は約3000人と少ない。
そうしたなかで最高裁は今年4月、「個々の事情と証拠を総合的に検討して個別具体的に判断すべきだ」と柔軟な初判断を下し、感覚障害だけの原告を患者と認定した。国の認定基準で患者と認められない場合でも司法により独自に認定できる道を開いた意義は大きいと思う。

 この最高裁の判断に対して環境省は「国の認定基準は否定されてはいない」と認定基準を見直さない考えを示している。行政はどうしてかたくななのだろうか。
古くはカドミウム汚染の「イタイイタイ病」、石油化学コンビナートの排煙による「四日市ぜんそく」、そしてメチル水銀中毒の「水俣病」が、公害病と認定され、近年では「ダイオキシン」や「アスベスト(石綿)」が問題になってきた。
なぜ、公害や健康被害は繰り返され、なくならないのか。
公害に対し、行政や企業は被害を小さく見積もり、「大したことはない」「そのうちになくなるだろう」「対策はいらない」「なんとかなる」と保身に走る。自らの責任を追及されたくないからだ。しかし被害は着実に広がり、国民の体をむしばんでいく。公害はどれも行政や企業の対応遅れと不作為で広がる。
水質、土壌、大気の環境汚染に注意が払われるようになったとはいえ、今後も新たな公害が起きる可能性がある。健康被害を未然に防ぎ、起きた場合は迅速な対応で最小限に食い止める努力を怠ってはならない。
「薬害」も構図は同じだ。たとえば血液製剤の投与を受けた血友病患者らがエイズウイルス(HIV)に感染し、500人以上が死亡した薬害エイズ。1996(平成8)年に旧ミドリ十字の歴代3社長や元厚生省生物製剤課長、元帝京大副学長の計5人が逮捕、起訴され、「産・官・学」の刑事責任が追及された。とくに「官」の刑事責任については、なすべきことをなさなかった不作為(業務上過失致死罪)が2008(平成20)年に確定した。
薬害エイズと並んで注目された「薬害C型肝炎」、服用した妊婦から手足の短い子供が生まれた睡眠薬の「サリドマイド」、胃腸薬キノホルムによって下半身まひなどを引き起こした「スモン病」、視力障害で問題になった腎臓病治療薬の「クロロキン」などどの薬害も行政は被害を小さくみなし、製薬会社は目先の利益に走った。医師や研究者は自らの権威保持に躍起になった。その結果、被害が拡大してしまった。
薬害が発生したら直ちにその薬の使用や販売を中止し、回収を始める。そうした当然のことが何よりも大切である。

「慶大綱町三田会のメッセージ@penから転載」(http://www.tsunamachimitakai.com/pen/index.html)

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