日本国憲法の改正を急げ ―ポスト集団的自衛権の最大課題


 

        2014-07-18    政治アナリスト  豊島典雄

 

苦節35年

「苦節35年、集団的自衛権の時がきた」(岡崎久彦元駐タイ大使、産経新聞の正論)。

関係者には感慨深いものがあろう。抑止力が強化され、「まともな国」への一歩前進ということである。

安倍内閣は7月1日の閣議で、集団的自衛権に関する憲法解釈を是正する決定をした。尖閣諸島等をめぐり、事態は切迫しているが、日本国憲法の改正に時間がかかるがゆえの緊急避難措置である。他国は、憲法に国軍の存在を明記しているので、集団的自衛権をめぐるこんな神学論争はない。

この集団的自衛権の憲法解釈の是正に、一部マスコミはスピッツのように吠え立てて反対した。中国の帝国主義路線や、北朝鮮の大量破壊兵器開発による安全保障環境の悪化を見まいとするオストリッチ・ポーリシー(現実逃避策)である。占領軍製の「日本国憲法」を神棚に上げてお祭りしても、周辺の全体主義国家には何の効き目もない。いまだ、国際社会は弱肉強食のジャングルの掟が支配している。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)は幻想である。

 

昨年末、安倍内閣は一部マスコミの執拗な反対キャンペーンにもかかわらず、特定秘密保護法を成立させた。集団的自衛権を行使できることで、日米同盟もより緊密化する。旧知の自民党幹部は「アベノミクスでデフレ脱却、国力回復である。国民も自信を回復してきた。安倍さんはいくつもの内閣分の仕事をしている。歴史に残る内閣であり、長期政権になる」と安倍政治を高く評価する。まだ、来年の通常国会での集団的自衛権関連法の改正という課題があるが、次は、米国製の日本国憲法の改正である。憲法の国産化である。

 

米国の日本占領政策

日本国憲法は所詮、「占領管理基本法」である。日本の安全を危うくするし、精神衛生上も良くない。ここで、米国の日本占領政策に触れながら、その出自を洗いなおしてみよう。

昭和20年8月30日、連合国最高司令官マッカーサー元帥がC54型バターン号でフィリピンから厚木に到着した。前日の29日に米国政府から「降伏後における米国の初期の対日方針」の概略を無電で受け取っていたマッカーサー元帥は、機中で、それにもとづいてこれから取るべき政策をホイットニー准将(GHQ=連合国最高司令官総司令部民政局長)に口述した。マッカーサー著「マッカーサー回想記 下」(朝日新聞社)によれば

「まず軍事力を粉砕する。ついで戦争犯罪者を処罰し、代表制に基づく政治形態を築き上げる。憲法を近代化する…………………………………………………………………………」。

日本を非武装国にする、米国製の憲法を押し付けることは当初からの目的であった。

 

昭和20年9月22日に公表された「降伏後における米国の初期の対日方針」には

「日本国に関する米国の究極の目的にして初期に於ける政策が従うべきもの左の如し

(イ)日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威となるざることを確実にすること

(ロ)……………………………………………………………

 

 

これらの目的は左の主要手段に依り達成せらるべし

(イ)日本国の主権は本州、北海道、九州、四国、並びに『カイロ』宣言及び米国が既に参加し又は将来参加することあるべき他の協定に依り決定せらるべき周辺の諸小島に限らるべし

(ロ)日本国は完全に武装解除せられ且非軍事化せらるべし。軍国主義者の権力と軍国主義の影響力は日本国の政治生活、経済生活及社会生活より一掃せらるべし。軍国主義及侵略の精神を表示する制度は強力に抑圧せらるべし。

(ハ)

(二)

」とある。

目的は敵国日本の無力化、弱体化、非武装化である。日本から牙を抜くのである。そのための大日本帝国憲法の改正である。

 

20年10月4日に、マッカーサーは国務大臣近衛文麿(元首相)に対し「憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分取り入れなければならない」と憲法改正の必要性を示唆した。

20年10月11日に、幣原喜重郎総理は新任挨拶のため、総司令部にマッカーサーを訪ねた。席上、マッカーサーは「『ポツダム』宣言の実現に当たりては日本国民が数世紀にわたり隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正せらるるを要す。右は疑いもなく憲法の自由主義化を包含すべし」と言明している。

 

 日本の有識者の常識は

ポツダム宣言を受け入れ、連合国に有条件降伏した日本だが、終戦直後は「降伏によって帝国憲法の全面改正が必要になったという見解を取る論者は、政府部内はもとより、学会においてすら、ほとんど皆無に等しかった」(江藤淳著 占領史録 下)。

例えば、戦前、最も高名な憲法学者であった美濃部達吉博士は「私は所謂『憲法の民主主義化』のためには、形式的な憲法の条文の改正は必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても議院法、貴族院令、衆議院議員選挙法、官制、地方自治制、その他の法令の改正及びその運用により、これを実現することが十分可能であることを信ずる」と当時、朝日新聞に寄稿(昭和20年10月20日)している。

 

また、美濃部博士の高弟であった宮沢俊義・東京帝大教授は、20年9月28日、外務省で「『ポツダム』宣言に基く憲法、同付属令改正要点」という演題で講演した。その中で宮沢教授は「帝国憲法は民主主義を否定するものにあらず。現行憲法にて十分民主的傾向を助成しうるも、民主的傾向の一層の発展を期するため改正を適当とする点、次の如し」との見解を明らかにし、天皇の大権事項については「大権事項は天皇の専権の如く考えらるるも国務大臣の輔弼を考うれば必ずしも民主主義と矛盾するものにあらず。殊に統帥権の独立の消滅は総て国務大臣の輔弼の下に置く結果となり、而も国務大臣は議会に多少とも影響せらるることを考慮せば民主的傾向は十分保障せらるるべし」と判断していた(江藤敦前掲著)。

 

これが当時の有識者の常識であった。しかし、占領軍のいう「日本の民主化・非軍事化」のためには、こんな日本の常識は認められなかった。

 

野坂と吉田茂論争

総司令部は21年2月13日に、幣原内閣に、総司令部製の(大日本帝国憲法)改正案を示した。次の吉田茂内閣時代に、帝国議会で審議された。議会での審議といっても「理論上は修正してもよろしいのですが、然し、現下の諸情勢を考え合わせ、適宜にご判断願いたい」(吉田茂総理の答弁)というもので自由な議会審議は望むべくもなかった。だが、6月28日の衆院本会議での共産党の野坂参三議員と吉田茂総理の帝国憲法改正案の『戦争放棄』条項についての論争は記憶に残されるべきであろう。

 

野坂「ここには戦争一般の放棄ということが書かれてありますが、戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある。一つは………他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が自国を護るための戦争は、我々は正しい戦争といって差し支えないと思う。………一体この憲法草案に戦争一般の放棄という形でなしに、我々は侵略戦争の放棄、こうするのがもっとも的確ではないか。この問題について我々共産党はこういう風に主張している」。

 

吉田「国家防衛権による戦争は正当なりと主張せらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。(拍手)近年の多くの戦争は国家防衛権の名において行われたことは顕著なる事実であります。………故に正当防衛、国家の防衛権による戦争を認むるということは、偶偶戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若し平和団体が、国際団体が樹立された場合におきましては、正当防衛権を認むることそれ自体が有害であると思うのであります」。

 

当時、内閣法制局にいた佐藤達夫(後に内閣法制局長官)は、その著書『日本国憲法誕生記』(昭和32年12月出版)で、野坂の意見を「当時すでに第9条は行きすぎだとして指摘したものであり、自衛再軍備論の盛んな今日から見ると先見の明があったといえるわけだが」と指摘する一方「問題はこれに対する吉田首相の答弁であった」と言っている。

「この答弁を聞いたわれわれは、控え室にもどって、あれはつよすぎたな、政治論としてはともかくとして、法律論として、自衛権までも否定したように誤解される恐れがありはしないか、ということを心配した」(佐藤前掲著)という。

 

吉田は押し付け憲法でも、皇室の存続のためには、そして早く占領軍を引き上げさせるには受け入れざるを得ないと判断していたのだ。衆院は8月24日、帝国憲法改正案を圧倒的多数で可決した。反対は8人(うち6人は共産党)であった。

 

今、そこにある危機

今回の集団的自衛権の限定容認のための閣議決定について、「歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈の変更は許されない」という批判があったが、防衛問題では過去には根本的な解釈変更が行われているのだ。占領基本法残って国滅ぶでは愚か過ぎる。「憲法は庭園の如きものである。手入れを怠れば観賞にたえない」。同じ敗戦国もドイツは五十数回も手入れ=憲法改正をしている。わが国は一度も手入れをしていない。自国の安全を危うくしている。戦後の日本国は国家の昼寝状態である。

世界が、圧倒的な国力、軍事力を誇る米国の支配下にあるときは、わが国は国の安全を米国任せでよかった。しかし、中国の急速な軍備増強と、他国の領土と資源に対する帝国主義路線、北朝鮮の大量破壊兵器開発で、日本の安全保障環境は急速に悪化している。

 

米国はイラク、アフガニスタスン派兵で疲労し、他国の紛争への関与に消極的になっている。現代版のモンロー主義である。世界の「憲兵」「警察官」役を降りている。弱い米国と見られ、現代の帝国主義を誘発している。特に、オバマ政権のシリアの化学兵器使用問題での優柔不断振りを見て、ロシアはウクライナに侵略してクリミアを占領している。中国は軍事力を背景に、東シナ海から南シナ海などで他国の領土や資源強奪に乗り出している。尖閣諸島への漁民を装った武装中国人の上陸、占拠は杞憂ではない。今、そこにある危機である。その対処について、日本国憲法の存在が障害になってきた。普通の国になって、抑止力を高め、アジアの平和と安定を図ろうとするなら日本国憲法の改正は焦眉の急である。占領基本法残って国滅ぶではあまりにも愚かである。

 

次期総選挙は改憲が争点

現在の政権党である自民党は、30年11月に誕生したが、その政綱の第6項には「平和主義、民主主義及び基本的人権等の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」とあった。占領政策の是正こそが自民党の悲願であった。

しかし、結党から来年で60年になる。還暦になる。世襲政治家が一時は4割にもなり、結党時の悲願、使命が忘れられていった。だから、集団的自衛権の憲法解釈是正問題では、左翼マスコミや勢力に迎合する元官房長官、元自民党幹事長がいる。是正は自民党が国政選挙で国民に約束している。あろうことか、元政府与党幹部は、敵対政党の共産党の機関紙に登場して、安倍批判を展開している。安全保障環境の悪化に対する対案も持たない。政党人としての基本を問われる愚行ではないか。

 

安倍首相はこのように後ろからも鉄砲の弾を浴びせられながらも、第一次内閣時と合わせて在職日数は932日となり、戦後の33人の首相中、第7位となっている。

安倍内閣は一部マスコミや左翼勢力や自民党内の幻想的平和主義者の妨害にあいながらも、懸案事項を次々に処理している。次の政治上の最大の課題は日本国憲法の改正である。次期総選挙は改憲を賭けた総選挙になる。「総理周辺によれば、再来年夏の参院選との衆参同時選挙です。友党ともに、衆参で改憲を発議するための3分の2の議席を獲得することです」(自民幹部A氏)という。

「日本を取り戻す」戦いになる。安倍晋三総理の晋は、維新回転の大業に貢献した長州藩士の高杉晋作の晋からとっている。安倍総理には「国産の憲法」の制定で平成維新の大業を実現してほしいものだ。

 

また、「国民は己のレベル以上の政治を持てない」。国民の見識も厳しく問われる。

–以上−