「赤ちゃんポスト10年」社会でもっと議論を深めた


2017-06-02(平成29年) ジャーナリスト 木村良一

 

親が育てられない子供を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を、慈恵病院(熊本市)が全国で初めて開設して10年が過ぎた。昨年3月までの9年間に125人の命が託され、多くの命が救われた。

慈恵病院の蓮田太二理事長は5月9日、記者会見して「赤ちゃんの命を守るという点で役目を果たせた」と語った。

しかし開設当初から「命を救う観点からやむを得ない」との肯定の意見がある一方で、「捨て子を助長する」という反対の声もあり、その賛否両論はいまも変わらない。

当時、熊本市が「許可しない合理的な理由はない」と苦渋の決断で設置を認めた経緯もある。今年2月には神戸市の助産院が2例目の赤ちゃんポストの新設を目指すと発表したが、常駐の医師の確保が難しく、一端見送られた。

2007(平成19)年5月16日付の産経新聞で私は論説委員として「赤ちゃんポスト 善意の仕組みへ知恵絞れ」という見出しを付け、「3歳ぐらいの男児が、ポストの運用が始まった5月10日の午後3時ごろに預けられた。初めて預けられた子供だ」「これをきっかけに赤ちゃんポストの持つ意味を考えたい。社会全体が知恵を絞ることが大切だからである」という趣旨の社説を書いた。

このときの社説では「男児はさぞかし寂しい思いをしていることだろう。父親や母親には早く名乗り出てほしい」と呼びかけた。それととともに「病院は『赤ちゃんポストの一番の目的は預けてもらうことではなく、育児の悩みを相談してもたうこと』と強調し、ポストの扉の脇に専門スタッフとつながるインターホンを備え付け、中の保育器にも『気持ちが変わったら連絡してほしい』と書かれた手紙を置いた」と病院が相談支援に力を注いでいる点を強調した。

さらに翌2008年(平成20)年5月13日付社説では「設置から1年が過ぎた。これまで病院も行政機関も預け入れの有無さえ明らかにしていないが、赤ちゃんはほぼ毎月置かれ、少なくとも計16人が預けられたようである。熊本市は近く運用状況の一部を公開する考えだというが、社会が赤ちゃんポストの是非を考えるための情報は必要だ。その赤ちゃんの福祉や親のプライバシーに差し障りのない範囲でデータを公表してほしい」と訴えた。

貧困や暴力が絡んだ不慮の妊娠によって望まれずに生まれる子供はなくならない。赤ちゃんポストは認めるべきなのか、それとも認めるべきではないのか。社会でもっと議論を深める必要がある。

確か開設時、安倍晋三首相(第1次政権当時)は「大変抵抗を感じる」と否定的な発言をしていた。しかしあれから10年が過ぎ、社会の事情も大きく変わった。家族の役割が変化し、若者の経済格差も大きくなった。望まない妊娠は増え、小中学生の出産も少なくない。

熊本市の検証報告書によると、赤ちゃんポストに125人が預けられた理由は、多い順に「生活困窮」(32件)、「未婚」(27件)、「世間体など」(24件)…となっている。慈恵病院は児童相談所と協力して実の親を調査したり、特別養子縁組につながたりして預けられた赤ちゃんの福祉に力を入れている。

慈恵病院が受ける妊娠の相談件数も年々増え、2016(平成28)年度は過去最高の6565件にも上った。

赤ちゃんポストの必要性は高まっている。それにもかかわらず、赤ちゃんポストの是非やその設置をめぐって起きる課題や熊本市以外での設置について議論が不足している。新聞の社説もこの10年間をざっと検索すると、設立当初は各紙が書いていたが、その後はばらばらである。社会でもっと議論を深める必要がある。

ところで村上龍の初期の小説に『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年10月、講談社)がある。コインロッカーに捨てられたキクとハシが横浜の孤児院で育てられた後、養子として引き取られ、九州の離島で生活する。物心ついたハシは本当の母親を探して東京に出る。キクもハシを追って東京に向かう。

確かに赤ちゃんポストによって多くの子供の命が救われた。しかしキクやハシのように子供は成長するに従って自分の出自を必ず知りたがる。125人も思春期を迎える。赤ちゃんポストには出自を知る権利をどう扱うか。その問題が常につきまとう。これを解決するにはどうすればいいのか。

慈恵病院側も相談を呼びかける手紙を取らなければ扉が開かないようにして実の親との接触を図る努力を続けているが、それでも身元の不明の子供はいる。

繰り返すが、赤ちゃんポストの一番の目的は匿名で子供を預けるのではなく、育児の悩みの相談にある。それを社会全体が忘れてはならない。

 

—以上—

 

◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の6

月号から転載しました。

http://www.tsunamachimitakai.com/pen/2017_06_001.html

http://www.message-at-pen.com/