前川喜平の虚偽プロパガンダと、 意地でも教育勅語を否定したい左翼学者


2018-02-01(平成30年) 元・文部科学大臣秘書官 鳥居徹夫

 

〇教育勅語の良き精神を継承したのが「教育基本法」。

〇教育勅語は、道徳律として孔孟の教えとかモーゼの戒律と同様なものとなって存在。

〇教育勅語は、政治的・法的強制力(拘束力)はない。

 

共産系の国公労連が、前川喜平のインタビューを掲載

 

 前文科事務次官の前川喜平のインタビューが、共産系の国公労連の月刊誌に掲載されていた。

国公労連には、文部科学省や国立大学などの職員組合などの文部科学省関係労働組合協議会や、中央省庁や独立行政法人などの職員組合などで構成されている。共産系の労働団体の全労連に加盟しており、反共産の連合とは相いれない。

その国公労連が発行している月刊誌『KOKKO』12月号に、文部科学省の事務方のトップであった前川喜平(前文科事務次官)のインタビューが掲載されている。

タイトルは「加計・森友のロンダリングと国家公務員を«下僕化»する安倍政権――«全体の奉仕者»の役割問われる国家公務員」であり、安倍政権への誹謗中傷にとどまらず、その主張は左翼プロパガンダまがいであった。(http://blogos.com/article/265959/?p=1)

たとえば教育勅語について反憲法的文書と決めつけ、「今の憲法の柱になっている基本的人権の尊重や国民主権、平和主義の考え方に反している。こうした教育勅語を教育の指針や理念にするわけにはいきません。」と決めつけ、「だからこそ教育基本法ができたわけですし、改正されたとはいえ、改正教育基本法のもとでもやはり教育勅語の存在は認められません。」などと述べている。

これは教育基本法の制定経過や立法精神を歪めるような主張である。

また東京新聞(2017.12.13付)によると、日本教育学会は「教育勅語を教育現場で肯定的に扱うことは否定されないといった今春の国会での政府見解について、歴史的事実をゆがめるものだ」と批判する報告書を文部科学省に提出したという。

同学会の名古屋大学の中嶋哲彦教授は「戦後否定された価値観を子どもたちに押しつけることになる。大きな危惧を持っている」と記者会見で述べたという。(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017121302000121.html)

 

教育勅語が存続することを前提に、新たに教育基本法が制定

 

ところが教育基本法が審議され成立した第92回帝国議会(昭和22年)で、高橋誠一郎文部大臣(当時)は次のような見解を示していた。

 

「教育基本法は、詔勅・勅令の形をとらず、法律でもって教育理念を示した」

「(教育勅語は)孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在する」

つまり教育勅語が存続することを前提に、新たに教育基本法が制定されていた。

教育学者を自称される日本教育学会などは、教育基本法の立法精神や制定趣旨に無理解なのである。

前川喜平や日本教育学会などは、教育基本法が審議され成立した第92回帝国議会の国会議事録に、目すらも通していないのではないか。

 

日本の戦後教育を決定した(帝国議会の)13日間は、国会議事録にして90ページ弱

 

教育基本法案が閣議決定されたのは、現憲法が施行される直前の昭和22年3月4日。国会で提案説明が行われたのは同年3月13日、可決成立したのが3月25日、公布施行されたのが3月31日である。

「日本の戦後教育を決定した(帝国議会の)13日間」は、国会速記録にして90ページ弱であり、しかも法案修正も付帯決議もされなかったことから、その中から立法精神・制定趣旨を吟味、検証することは難しいことではない。

この教育基本法は、平成18(2006)年の第一次安倍内閣で改正された。

その改正には、制定時に明文化されていなかった「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」(第2条)などの字句が加わった。

この教育基本法は、今でも戦前日本の教育観・道徳観が全否定されたかのような神話が蔓延しており、それに疑問を挟むことや中身の吟味などはタブー視されてきた。

教育基本法と教育勅語とは並立

 

昭和22年3月19日の貴族院本会議で、高橋誠一郎文部大臣は次のような見解を表明している。

 

「この法案の中には、教育勅語の良き精神を引き継がれておりますし、また不十分な点、表現の不適当な点もあらためて表現されていると考えるのであります。教育勅語をあえて廃止するという考えはないのでございますが、教育勅語をこれまでのように学校で式日等(祝祭日や行事など―注)に捧読いたしますことは、これを廃止したいのでございます。現に(勅語奉読は―注)廃止しているのでございます。」

 

さらに高橋誠一郎文部大臣は、同年3月20日の貴族院教育基本法案特別委員会で次のように述べていた。

 

「教育勅語は統治権者の意志を示されたものとして、国民を拘束すべき効力を有するものと考えるのでありまする。日本国憲法の施行と同時に、これと抵触する部分につきましてはその効力を失い、また教育基本法の施行と同時にこれと抵触する部分につきましては、その効力を失いまするが、その他の部分につきましては両立するものと考えます。」

「政治的もしくは法律的な効力を教育勅語は失うのでありまして、孔孟の教えとかモーゼの戒律とかいうものと同様なものとなって存在するものと、そう解釈すべきではないかと思います。」

このように高橋誠一郎文部大臣は、教育基本法と教育勅語とは並立することを明らかにし、教育勅語の効力についても、政治的・法律的な位置づけを否定したものの、道徳律(孔孟の教え・モーゼの戒律と同様なもの)として、その精神を評価していた。

この事実を見ても、戦後の教育改革が「教育勅語体制から教育基本法体制へ」とする見方が、根本的に間違っていると断言できる。

 

教育勅語の排除・失効決議は、文部省通達の追認であった

 

教育基本法が公布・施行された1年3カ月後の昭和23年6月19日に、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」がなされている。

教育勅語が全面否定されたかのような見方が、政治家やマスコミ、教育学者に蔓延している大きな要因が、この決議にあるのではないか。

この衆参両院の決議の背景は、戦後間もない文部省通達(文部次官通牒)の追認を求めたものと理解した方が、教育基本法の制定経過と整合性がとれている。

その通達とは、昭和21年10月8日の「勅語及び詔書等の取り扱いについて」であり、この文部省通達は実質上、教育現場から教育勅語の排除を求めたものであり、その内容は次の三項である。

 

一.教育勅語をもって我が国教育の唯一の淵源(根本原理―筆者注)となす従来の考え方を去って、これとともに教育の淵源を広く古今東西の倫理、哲学、宗教等にも求むる態度をとるべきこと。

一.式日等において従来教育勅語を捧読することを慣例としたが、今後はこれを読まないことにすること。

一.勅語及び詔書の謄本等は今後も引続き学校において保管すべきものであるが、その保管及び捧読にあたっては、これを神格化するような取扱いをしないこと。

 

教育基本法制定に向けての国会論議の中で、また教育勅語をめぐる認識において、この文部省通達の趣旨に立った理解は、すでに共通認識として法制定の趣旨になっていたと言える。

つまり教育勅語が「日本国憲法・教育基本法の施行と同時に抵触するもの」として排除・失効されたのは次の4つである。

(1)政治的・法律的な枠組みとする考え方。

(2)我が国教育の唯一の淵源とする従来の考え方。

(3)上から与えられたものとして神格化・絶対視すること。

(4)国民を臣民とみる発想と考え方。

 

違憲詔勅ではなかった教育勅語

 

ところが教育勅語の取り扱いが、この文部省通達にもかかわらず、国会では排除・失効確認決議となった。

その理由は、「(教育勅語などの諸詔勅が)今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがため」(衆議院決議)であり、「(教育勅語等が)従来の如き効力を今日もなお保有するかの疑いを懐く者あるを思んばかり、われらはとくにそれらが既に効力を失っている事実を明確にする」(参議院決議)ためであった。

参議院決議の提案理由には、それが明確に示されている。

提案説明を行った参議院文教委員長の田中耕太郎は、「終戦後とられた通達その他の措置により、教育勅語がすでに廃止され(政治的に法律的に―筆者注)、歴史的な一つの文献に過ぎないものとなっている。しかし、この事実を未だ十分認識しない者があることを心配して、この際あらためて教育勅語等が効力を失っていることを明確にして…」と述べていた。

このように、教育勅語そのものが違憲詔勅ではないことは言うまでもない。(敬称略)

ー以上ー