「ゴーン事件」が記者の基本を思い出させてくれた


2019-01-06(平成31年) 木村良一(ジャーナリスト)

 

▶これほど驚かされる事件は久しぶりだ

のっけから私事で恐縮だが、35年間新聞記者として勤めた産経新聞社を退社し、昨年11月1日からひとりのジャーナリストとして仕事を始めた。その直後に起きたのが、「ゴーン事件」だった。

11月19日の夕方、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長(64)についてNHKが「東京地検特捜部が逮捕へ」というテロップをテレビ画面に流した。本当だろうか。自分の目を疑った。

ゴーン氏は羽田空港にビジネスジェット機で降りたところを取り押さえられた。電撃逮捕だった。そのニュースは日本だけでなく、欧米のメディアも大きく取り上げた。

特捜部がどんな構図を描いて逮捕に踏み切ったのだろうか。私はむかし取った杵柄を頼りに取材を始めた。

次に驚かされたのが12月10日の2回目の逮捕だ。驚かされたというより、特捜部の捜査に期待を裏切られたと言った方が正確かもしれない。なぜなら1回目の逮捕と全く同じ有価証券報告書の虚偽記載(金融商品取引法違反)容疑での逮捕だったからだ。

 

▶3回目の逮捕で事態が急変したが…

むかしの特捜事件だったら、有価証券報告書に役員報酬を過少に記載したという虚偽記載の罪は、いわゆる「形式犯」に過ぎず、ゴーン氏の一連の「日産の私物化」を刑事立件する捜査の突破口にする程度だ。虚偽記載容疑で逮捕した後、次に「実質犯」の脱税(所得税法違反)や特別背任(会社法違反)、あるいは業務上横領の容疑で逮捕するはずだと私は推察していた。それが特捜部の捜査だと思っていた。だが蓋を開けると、違った。

1回目の逮捕容疑はゴーン氏が役員報酬(5年間で49億円)を記載していなかったというもので、2回目の逮捕容疑はその後の役員報酬(3年間で42億円)を対象にしていた。対象期間だけが違い、あとは同じ。追起訴で済むはずだ。しかも49億円も42億円もまだゴーン氏には渡っていない。

ゴーン氏は「役員報酬の支払いは確定していない」と容疑を強く否認している。逮捕を繰り返して拘留を延ばす捜査に対し、「人質司法だ」と欧米のメディアもかなり批判的だ。

さらに驚愕したのが、12月20日の東京地裁の拘留延長の却下だった。特捜事件で地裁が拘留延長を認めないのは前代未聞だった。保釈の可能性が濃厚となった。

ところが翌21日、特捜部がゴーン氏を特別背任容疑で逮捕する。3回目の逮捕となった。東京地裁の判断に特捜部が腹を立てたのか、それとも当初からの予定だったのか。いずれにせよ、事態は急転した。私の予想は当ったが、複雑な思いが残った。

 

▶ゴーン氏は「日産に損害はない」と反論

ここで特別背任容疑の中身について簡単に説明しておこう。

ゴーン氏は自分の資産管理会社と銀行との間でスワップ取引を契約して資産を運用していたが、2008年秋のリーマン・ショックに伴う急激な円高によって18億5000万円の評価損(含み損)が発生した。この損失を穴埋めしようと、同年10月、契約の権利を資産管理会社から日産に移して損失を付け替えた。特捜部はこれが日産に評価損を負担する義務を負わせた特別背任の疑いがあると判断している。

さらにこの損失の付け替えをめぐって、証券取引等監視委員会に違法性を指摘され、ゴーン氏は問題の契約権利を資産管理会社に戻した。このとき、手助けしてくれたサウジアラビアの知人に、謝礼として日産の連結子会社から16億3000万円を支払わせた。特捜部はこれが日産に損害を与えた特別背任容疑のもうひとつだとみている。

しかしゴーン氏は損失の付け替えの行為は認めながらも、「日産に損害は生じていない」と反論している。知人への支払いについても「業務委託費で、日産のために支払った」と供述している。

 

▶なぜ、10年前に捜査しなかったのか

特捜部の主張とゴーン氏の言い分のどちらに軍配が上がるのか。いずれ裁判で明らかなるだろうが、先輩のジャーナリストらと議論しているうちにこの特別背任容疑に関し、私なりに疑問に思うところが出て来た。

前述したように証券等監視委員会が当時、問題視した。同委員会は国税当局と同じように検察と親密な関係にある。頻繁に情報をやり取りしている。当然、問題のゴーン氏の特別背任容疑の情報も特捜部に伝わっていただろう。特捜部は証券等監視委員会に刑事告発させたり、同委員会の情報をもとに独自に捜査したりできる。

なぜ、10年前の2008年に捜査に乗り出さなかったのだろうか。日産とルノーのトップを兼務する世界的なカリスマ経営者に恐れを抱いたのか。今回捜査に着手したのは、日産からの大きな協力や当時なかった司法取引によって安易に情報が得やすくなったからではないか。そうだとしたら、特捜部はその安易さに甘えていないだろうか。

特捜部は事件に着手するか否かを政治的に判断するところがある。犯人を捕まえて裁かなければならない殺しなどの発生ものの事件とは違い、特捜部が扱う事件は着手しなくても問題にはならない。目に見えにくく、ごく一部の関係者以外、分からないからだ。

特捜部は標的を決めると、その標的をどう攻めるべきか、内偵捜査を続ける。収賄罪が成立するのか、背任の方が立件しやすいのか。いま触れない方がいいのか。政治情勢や外交問題など様々な要素も含めて検討を重ねる。

 

▶基本は「驚く→理解する→疑う」にある

私が警視庁を担当していたころだからいまから30年以上前になる。バブル経済華やかなころだ。地上げの帝王と呼ばれた男の不動産会社が、東京・西新宿の地上げに絡んで警視庁から国土利用計画法違反の疑いで家宅捜索を受けた。警視庁は男を逮捕しようとしたが、東京地検特捜部が認めなかった。警視庁の事件の処理は結局、書類送検で終わった。

なぜ、男を逮捕して取り調べないのか。あのころ、何度か特捜部の副部長宅に朝駆け取材をして警視庁防犯部の意気込みも伝えたが、「身柄を押さえるような事件ではない」という検察の方針は変わらなかった。

こんな事件もあった。国税担当のころだ。1993年12月、東京国税局査察部(マルサ)が、ある宗教団体に対し、脱税(確か法人税法違反)の疑いで強制調査(査察)に入り、隠し資産(たまり)を押収した。通常なら検察に刑事告発されるはずなのだが、特捜部が告発を受けようとしなかった。結局、東京国税局は課税処理だけを行い、告発を見送った。

なぜ、特捜部が告発を受けなかったのか。詳しい事情は分からないままだが、政治的な判断があったのだろう。あのとき国税当局の幹部が「このまま告発を受けないのなら特捜部長の机の上に告発状を置いてきてやる」と怒りをあらわにしていたのをよく覚えている。

話を「ゴーン事件」に戻すが、フランス、ルノー、それにサウジアラビア…と事件の構図は単純ではない。だが、特捜検察の捜査の在り方に一石を投じた事件であることには間違いない。

記者にとって必要なのは、驚くことだ。次に大切なのが取材を通じて理解を深めることだ。さらに重要なのが疑うことだ。日本一の捜査機関の東京地検特捜部の捜査だからと言って、疑うことを忘れてはならない。「ゴーン事件」は「驚く→理解する→疑う」というジャーナリストの基本を思い出させてくれた。

—以上—

※慶大旧新聞研究所OBによるWebマガジン「メッセージ@pen」の1月号から転載しました

※メッセージ@pen1月号 http://www.message-at-pen.com/?cat=16