2026-3-3(令和8年)木村良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
■左に振れたままの振り子
いまから40年以上も前の話である。「世の中の振り子が左に振れたままだ」という声を社内で何度か耳にした。当時、警視庁記者クラブ詰めの記者だった。夜討ち朝駆けで抜いた抜かれたを繰り返し、なぜその事件や事故が起きたかを突き止めて真実をあぶり出す。政治部の記者ならともかく、社会部の事件記者にとって振り子が左に振れようが、右に傾こうがまったく関係ない。そう考えてひたすら取材を続け、記事を書いていた。
ところで真冬の短期決戦となった今回の衆院選(1月27日告示、2月8日投開票)は、自民党が単独で3分の2を超える316議席という戦後最多の獲得議席数を記録し、歴史的な圧勝となった。衆院で3分の2の議席数があれば、法案が参院で否決されても衆院で再可決して成立させることができる。憲法改正にも近づいた。高市早苗首相は権力の基盤固めにみごと成功したのである。
初の女性首相という魅力、分かりやすい発言、国益を重視する強い意思などで大きな期待感が有権者の間に浸透し、「高市旋風」を巻き起こして自民党を圧勝へと導いた。一体、この高市旋風の背後には何があるのか。前述した振り子の振れとの関係はどうなのだろうか。
■戦争を知らない子供たち
筆者は終戦から11年後の1956(昭和31)年に生まれた。今年10月でちょうど70歳になる。杜甫の「人生七十古来稀(まれ)なり」を思うと、それなりに齢(よわい)を自覚するし、若いころに比べて保守的にもなってきた。
戦後生まれの私の世代は、理不尽な戦争や大人たちに反発するように生きてきた。大阪万博(1970年)の開催を皮切りに『戦争を知らない子供たち』(作詞・北山修 作曲・杉田二郎)というフォークソングが流行し、中学時代の遠足のバスの中でクラスメートといっしょに合唱したのを覚えている。
〈戦争が終わって 僕らは生れた〉
〈戦争を知らずに 僕らは育った〉
いまこの歌詞を思い出しながら歌うと、懐かしさのあまりほろりとしてしまう。これも齢のせいなのだろうか。
当時、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン(平凡パンチ)」という言葉も流行した。1960年代から70年代にかけ、ベトナム反戦運動や安保闘争、左翼活動が盛んで、世の中とくに若者は左一色だった。頭の中がノンポリでも左の顔をしていないと、仲間にも入れてもらえなかった。右的な発言をすると、変わり者扱いされた。戦争を知らない子供たちは、かなり左に振れていた。世の中の振り子が、敗戦の影響で大きく左に傾いていたのである。しかし、戦争を知る世代は亡くなり、戦争の理不尽さに反発する私の世代は齢を重ねている。いまや戦争を体験したことのない戦後生まれが、日本の全人口の9割を占める。
■右に傾く大きな証拠
左に大きく傾いていた世の中の振り子を右に強く引っ張っているのが、アメリカと中国だ。アメリカのトランプ大統領は2017年1月に初就任して以来、アメリカ第一主義を主張して自国の利益獲得に尽力し、支持基盤を強化してきた。そのやり方は、嘘をX(旧ツイッター)などのSNSで拡散させ、得意のディール(取引)に持ち込み、世界の国々をその渦に巻き込む。
たとえば、昨年2月には、ウクライナとロシアの停戦交渉をめぐってウクライナのゼレンスキー大統領を「ゼレンスキーがロシアとの戦争を始めた」「彼は選挙なしで大統領になった独裁者だ」と事実無根の内容をSNSに投稿し、ウクライナを蚊帳の外に置いてロシアとの協議にディールを持ち込もうとした。流石にこれは失敗したが、トランプ氏はポスト・トゥルース(虚偽で作られる世論)を生み出す怪物なのである。トランプ関税やノーベル平和賞への野心的行動の裏にもそうした悪癖が存在する。
このトランプ氏の影響を強く受けているのが、日本の高市首相だ。首相就任直後の昨年10月には、来日したトランプ氏と米軍横須賀基地で原子力空母ジョージ・ワシントンに乗艦、並んで演説し、米兵の歓声に応え、満面の笑顔でこぶしを突き上げ、飛び跳ねて見せた。あの「右手に朝日ジャーナル…」の時代だったら考えられないことだが、世論は何の違和感も抱かず、高市氏の姿に拍手喝采した。まさに世の中の振り子が右に振れてきている証拠である。
ちなみにトランプ氏は今回の衆院選の高市氏の圧勝にSNSへの投稿で「サナエ、保守的な『力による平和』政策が大成功を収めることを願う」と祝福した。選挙期間中にも、高市氏を支持する表明をしていた。英誌「エコノミスト」(2月14~20日)も「世界で最も強力な女性」と題する高市氏の特集記事を組み、「日本を変革する歴史的な機会を手にした」と指摘するとともに、トランプ氏との良好な関係を「称賛に値する。世界が揺らぐなかで、日本は安定に寄与する重要な役割を担っている」と期待を寄せた。
■毛沢東になりたい習近平
一方、中国はどうか。日本の振り子を右に引き寄せる力はアメリカよりも強い。国家主席の習近平(シー・チンピン)氏は、その有事が日本に打撃を与える台湾を「中国の一部」と主張し、「統一を実現することが中国共産党の歴史的任務だ」と訴える。建国の父、毛沢東(1893年12月~1976年9月、享年82歳)の台湾統一の悲願を達成し、党主席の地位を復活させてそこに就きたいのだ。毛沢東になりたいのである。党主席はかつて毛沢東が就いていたが、現在は廃止されている。強制力で民主派を一掃した香港については「これからも国家安全維持法により民主主義を取り締まり、長期的な繁栄と安定を維持する」と強調する。
習近平氏独裁の中国政府は軍事力を背景に東・南シナ海のサンゴ礁の海を埋め立て人工の軍事要塞を築き、沖縄県の尖閣諸島も「中国の領土の不可分の一部」と決め付け、周辺海域に中国海警局の船舶が侵入し、日本漁船を追い回している。国際社会の秩序を乱す行動であり、断じて許されない。新疆(しんきょう)ウイグル自治区の問題でも「絶対に譲ることのできない核心的利益で、他国の口出しは内政干渉だ」と世界にアピールし、ジェノサイド(集団殺害)によって基本的人権を踏みにじってきた。自国の巨大経済圏構想「一帯一路」に属する国々にはアメとムチを使い分けて支配しようと動いている。
■日本が巻き込まれる台中戦争
なかでも日本にとって大きな問題は台湾有事である。中国は軍事的脅しを止めようとしない。中国軍機による台湾の防空識別圏への進入が続く。いつ戦争が起きても不思議ではない。中国と台湾の間で戦争が起きた場合、日本はどうなるのか。対岸の火事では済まされまい。軍事専門家によれば、台中戦争が起きると、日本は平時ではなくなり、戦争に巻き込まれる。戦場となる台湾から日本最西端の沖縄県の南西諸島・与那国島まではわずか110キロと近い。このため、中国軍が台湾に侵攻するときには、沖縄の島々が占領され、中国の軍事拠点になる危険性がある。
日本は中国軍の沖縄侵攻に備え、防衛力の強化と整備を進めている。習近平政権にとって怖いのは国際社会からの批判だ。日本は防衛力の強化とともに同盟国のアメリカと連携し、台湾への威嚇を止めるよう国際社会に強く訴えるべきだ。トランプ大統領に食い込んでいる高市首相ならできるはずである。
極め付けが、昨年11月7日の高市氏の存立危機事態発言だ。衆院予算委員会で元外相の岡田克也氏(立憲民主党)の質問に対し、高市氏は「(中国が台湾を海上封鎖した場合)米軍の来援を防ぐために武力行使が行われる事態も想定される。戦艦を使って、武力行使をともなうものであれば、どう考えても(台湾有事であり、)存立危機事態になりうる」と踏み込んで答えた。存立危機事態ではアメリカとの同盟関係から集団的自衛権が行使され、日本が米中戦争に巻き込まれる可能性もある。
中国政府はこの高市発言に猛反発し、国民に渡航自粛を強く呼びかけたり、デュアルユース(軍民両用)品を輸出禁止にしたり、様々な手段を使って揺さぶりをかけている。ひどかったのが、昨年12月7日の軍事的威嚇だった。中国海軍の空母の戦闘機が、西太平洋の公海上空で警戒に当たっていた航空自衛隊の戦闘機に対し、2回に渡って武器使用に準じるレーダー照射を行ったのである。
■大切なのは左右のバランス
ここで断っておくと、高市氏の存立危機事態発言は何ら問題ない、と筆者は考える。これまで日本政府が中国に忖度して存立危機事態の具体事例を明らかにしてこなかったことがおかしいのである。日本は独立国家だ。首相の発言をめぐって他国から文句を言われる筋合いはない。中国の言動は日本に対する内政干渉であり、国際社会でのルール違反である。
台湾への軍事的威嚇、香港の強制統治、東・南シナ海での軍事要塞の建設、新疆ウイグル自治区でのジェノサイド、一帯一路の打算、毛沢東を目指す習近平氏の野望、そして高市首相の存立危機事態発言への強い反発など、これらがトランプ大統領のアメリカ第一主義と相まって、左に振れていた振り子を右へと傾かせる大きな力となり、高市旋風を舞い上がらせ、今回の衆院選での自民党の大勝利に結び付いたのである。中国に対する強い嫌悪が、高市人気の背後にある。
筆者は高市ファンでもアンチ高市でもない。左でも右でもない。極端な左翼や右翼は嫌いだ。なぜならば、極右や極左は、社会を滅亡の危機へと追い込むからである。世の中の振り子が左に傾いているときは、逆に右の方から考え、右に振れているときには左の方から見るようにしている。それがジャーナリストの見識だと思う。
振り子が真ん中の位置で止まっていれば良いのだが、振り子ゆえにどうしても左右に振れる。それが世論であり、人間社会なのだ。戦後生まれが人口の9割を占め、若い人ほど高市首相を支持する傾向が強い。その若い人たちはかつての戦争を知らない子供たちとは違う。右的思考に斬新さを感じて引き寄せられる。
高市旋風、サナエ・フィーバーのなか、世の中の振り子はますます右に振れていくだろう。それゆえ、左からの視点を失わず、左右のバランスを取ることを忘れてはならない。

図は原稿をAI(マイクロソフトの[Copilot]に読ませ、「ピカソ風な抽象画を作成して下さい」と指示してCopilot に作らせたものです。
AIのCopilotとChatGPTは共に「著作権上の問題はないと言っています。
―以上―
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の2026年3月号(下記URL)から転載しました。メッセージ@penには慶大HPからも入れます。