世界最大の輸送機アントノフ[An-225] !


世界最大の輸送機アントノフ[An-225]は、昨年2月防衛省のチャーターで成田に飛来したので日本でも知られている。この飛行機は重量物の輸送で活躍していて、最近でもニューヨーク州北西にあるナイアガラフォール空港に着陸、大型コンプレッサーを積込みサウジアラビアに輸送している。

アントノフ[An-225]はロシア製、大型エンジン6基を装備、大型タイアを32本備え、重量物を胴体に積み込んで長距離輸送ができる世界最大の輸送機だ。

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図:写真はオレゴン州メドフォード(Medford)で消火用のシコルスキー大型ヘリ2機を搭載するため到着したアントノフ[An-225]

[An-225]は、長さ43m、幅6.4m、高さ4.4mの与圧式貨物室を持ち、他の輸送機には収納できないような長大重量貨物を最大で250tonも搭載できる。胴体上部に大型貨物着脱用の装置があり、これを使って機外へ200tonの貨物搭載も可能である。

第二次大戦後間もなくO.K. Antonov(アントノフ)氏指導の設計局がウクライナのキエフ(Kiev)で活動を開始、多くの機体を手掛けて1971年から大型輸送機[An-124]の開発に着手、ウリヤノスク(Ulyanovsk)工場で製造し1982年に初飛行に成功した。そして、O.K. Antonov氏の没後(1984-05)、同設計局は[An-124]をベースにしてさらに大型の[An-225]の開発をスタートし、1988年12月に初飛行を実施、1989年5月にはスペースシャトルのロシア版である宇宙往還機ブラン[Buran]を背中に搭載、飛行に成功した。[An-225]はその6月にパリ航空ショウで展示、1990年ファンボロー航空ショウではデモ飛行を行った。

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図:ロシアのスペースシャトル「ブラン」を搭載し飛行する[An-225]

[An-225]はウクライナ語で「霊感」「感動」を意味する「ムリヤ(Mriya)」と呼ばれ、「ブラン」輸送用に開発された。開発期間の短縮と経費節減のため既に成功を収めている4発の[An-124]輸送機を原型として作られたが、完成し運用中の機体は1機のみ。

[An-225]は、[An-124]の胴体を延長し、主翼は左右の付根部分を継ぎ足して翼幅を大きくしてある。そして内翼にはイブチェンコプログレス[Ivchenko Progress] D-18Tエンジンをそれぞれ1基ずつ追加装備し合計6基としてある。積載量増加に対応するためランデイングギアは車輪32個にした。貨物搭載用のランプは前部のみに改め重量軽減をしてある。垂直尾翼は機外搭載貨物による空力的影響を避けるため2枚にした。最大離陸重量は600tonだったが後述の改修で640tonとなった。

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図:[An-225]の巨大な車輪。主脚は胴体左右に格納され、それぞれ14個ずつ、計28個。それに前輪が4個なので、合計32個の車輪で巨体を支える。

プログレス[D-18T]エンジンはウクライナのシッチ(Sich)社で開発された大型輸送機用の3軸式ファンエンジン、ファン直径は2.33mでバイパス比は5.7。コンプレッサーは中圧(IP)が7段、高圧(HP)が’7段で圧力比は27.5。タービンは高圧(HP)1段、中圧(IP)1段、低圧(LP)4段である。最大推力は52,000lbsに達しGE CF-6、PW4000、ロールスロイスRB211等に匹敵する。

[An-225]は完成したものの、1991年にソビエトが崩壊したため放置され、エンジンや主要部品は[An-124]に使うため取外されていた。その後、世界的に大型貨物需要が多くなり、1999年になるとこれに応えるため[An-225]の再生が決まり、補修と改良が加えられ、2001年にはロシアの型式証明を取得した。そしてウクライナのキエフに本拠を置くアントノフ航空により運用が始まった。当初はロンドンの[Air Foyle HevyLift]社が協力していたが2009年に提携を解消し、現在はウリヤノスクにあるボルガ-ドニエプル(Volga-Dnepr)航空とパートナーを組み、大型貨物輸送を行っている。

アントノフ(Antonov)航空は1990年代に設立[An-124-100]型機を4機と[An-12] 3機で営業していたが、その後[An-225]を取得した。一方ボルガ-ドニエプル航空は1991年に営業開始、[An-124-100]を主力として世界規模で大型重量貨物輸送市場に参入、活躍している。現在は[An-124-100]を10機運用し5機を追加発注中、またボーイング747EFおよび747-8Fを計10機発注済み。

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図:フィンランドのヘルシンキ空港を離陸するボルガ-ドニエプル航空の[An-124-100]。軍用の[An-124]を含め既に58機が製造されている。120tonの貨物を搭載し2階席に88人を乗せ、4,600kmの航続距離を持つ。最大離陸重量は405ton。エンジンは[D-18T]推力を4基。

[An-225]は1機しか存在しないが、これまでの主な輸送実績を見てみよう。

・ 2002-01-03 米軍のチャーターでドイツスツットガルトからオーマンまで駐留米軍のため216,000食分の食料187.5tonを輸送した。

・ 2003-06 にイラク向け人道支援のため[An-124]と共に800ton以上の資材を輸送した。

・ 2009-08-11 米国でガス発電用の大型発電機と付帯設備合計189tonを輸送した。これは航空貨物輸送では最大の重量となる。

・ 2010-02-09 後述の我国防衛省のチャーターでハイチに向け100tonの物資輸送を行った。

・ 2010-06-11 デンマークから中国天津向けに風力発電用ブレード2本を輸送、これは長さ42mもあり長尺物の空輸としては世界記録。

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図:(のりもの倶楽部)2010-02-09成田空港に着陸するアントノフ[An-225]。左右14個ずつのメインギア、4個のノーズギアが良く判る。このフライトは、防衛省がハイチ地震復興のための陸上自衛隊派遣の一環として、建設用重機類約100tonを輸送するため行われた。

補足:ウクライナのキエフは大型機の誕生には縁がある。アントノフ設計局は、ここから世界最大の巨人機[An-225]を世に送り出した。キエフではまた、2013年に、当時世界初の4発大型機が作られている。

ライト兄弟が初の動力飛行に成功したのは1903年末、それから10年経たないうちにキエフでイゴウシコルスキー(Igor Sikorsky)は、100馬力エンジン4基を搭載した複葉大型機「ロシアの騎士(Russky Vityaz)」またの名を「グランド(Le Grand)」を完成、1913-05-10に初飛行に成功した。しかし当時のロシアやヨーロッパの人々はこの事実を信用せず、こんな大きなものが空に浮かぶ筈がない、と言い張ったと云う。同機は地上係留中に損傷したため、シコルスキーは改良型の製作を進め、「イリヤムロメッツ(Ilya Muromets)」と名付けて1913年12月10日に初飛行に成功。翌年の2月25日には乗客16名を乗せてデモ飛行を実施、さらにロシアの首都セントペテルスブルグからキエフまで1200kmの記録飛行を行った。

図:キエフで試験飛行中のシコルスキー製作の4発大型機「イリヤムロメッツ」、全長17.5m、翼幅29.8m、全備重量4.6ton、148馬力エンジン4基を備える画期的な大型機。旅客機として作られたが、第一次世界大戦(1914年〜)が始まると爆撃機型の製造を開始、1918年までに73機が作られた。

イゴウシコルスキー(1889-1972)は、飛行機の歴史で大変重要な役割を演じている。すなわち彼は設計者であると同時にパイロットでもあり、また有能な経営手腕も持っていた。ロシアで起こった共産主義革命から逃れるため1918年にロシアを脱出し、翌年春に米国ニューヨークに移住、ここでシコルスキー航空機会社を設立し、苦難を乗り越えて大型飛行艇、ヘリコプターを含む数多くの飛行機を製作した。これが現在UTC傘下で[UH-60]に代表されるヘリコプターを生産している「シコルスキーエアクラフト」社の始まりである。

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