無意味なバリアフリーはなくそう 東京オリンピック開催決定 


2013-10-08産経新聞論説委員 木村良一

2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの東京での開催が、9月8日に決まった。東京に56年ぶりに聖火がともる。冬季の札幌(1972年)、長野(98年)と合わせると、日本では4回目の五輪になる。五輪決定のニュースは日本に大きな希望をもたらした。これから7年間、少子高齢化と不景気にあえぐ日本社会に活力を与えてくれるだろう。

新聞やテレビなど各メディアも競って五輪決定の吉報を伝えた。そんななか10日付の新聞各紙の社説を読むと、ひとつ気になる点がある。

「成熟時代の夢を紡ごう」との見出しを付けた朝日新聞は「前回の東京五輪のころ、都内の15歳未満の年少人口は65歳以上の5倍もいた。今は老年人口の約半分しかいない」と高齢社会の厳しい現状を示し、「多くの国もいずれ同じ道をたどる。高齢化時代のスポーツの意義を先取りする社会像をめざすのも、これからの五輪ホストの使命と考えるべきだろう」と言及する。そして「お年寄りや障害者も幅広く息長くスポーツと親しめる環境作りが求められる」と主張する。

ここまではうなずける。問題はこの後の「パラリンピックにふさわしい街のバリアフリー化も急務だ」という訴えだ。バリアフリー化という言葉が気になる。

毎日新聞の社説も「パラリンピックの開催に向け、障害者や高齢者に配慮したバリアフリーの都市づくりを進めたい。段差などのハード面だけでなく、偏見など心のバリアーも取り除くことができれば東京は世界のモデルになる」と強調する。

他の各紙も「パラリンピックの開催に備え、街のバリアフリー化けを一層、推進することも大切だ」(読売新聞)、「同時開催のパラリンピックを機に『障害者が移動しやすい街』であることを世界に訴えるのもいい」(日経新聞)、「パラリンピックの開催に対応する都市のバリアフリー化も進めたい。東京は、障害者が暮らしやすい街とは言い難い」(産経新聞)などと声をそろえてバリアフリーを褒めたたえる。

バリアフリー化とは、障害者や高齢者がその生活環境において普通に生活することを阻んでいる障壁(バリアー)をなくすことだという。なるほど、車椅子がなくては移動できない障害者にとって段差や階段、狭いトイレなどは、極力なくした方がよいに決まっている。

だが、バリアフリーにはマイナス面もある。これを考えずに新聞が社説でバリアフリー化の勧めを主張するのはおかしい。

話は変わって登山の話。「中高年登山ほど低体温症に気を付けたい 北アルプスの連続遭難」(2012年6月号)、「山岳ツアーでも個人の準備を怠るな 中国・万里の長城遭難事故」(同年12月号)などこの「メッセージ@pen」でも書いてきたが、数年前から山登りを始め、これまでに東京・奥多摩(鷹ノ巣山、川苔山など)から北アルプス(烏帽子岳、燕岳など)に挑戦してきた。

当初はヘトヘトになって登ったものだが、四捨五入して60という年齢にもかかわらず、ここ最近は割と楽に登ってしまう。それだけ足腰が鍛えられてきたのだと思う。おまけに地下鉄の長い階段や会社の非常階段など息も切らさずに上ることができるようになってきたからうれしくなる。体重もかなり減り、大学時代とほとんど変わらない。

やはり体はほどよく使うことが大切だ。無理なく筋力トレーニングを続けていけば、体力は必ず維持される。反対に数カ月間、山に登らないと、足腰がどんどん弱わっていくのが分かる。

ここでこれをバリアフリーに当てはめてみよう。エレベーターやスロープを使うということはその分、足腰を使わなくなるということだ。ある程度自分で動ける障害者や高齢者でも次第に筋力が弱ってしまう。たとえば健康なお年寄りが股関節の骨折で寝た状態が長く続くと、そのままベッドにくぎ付けになって動けなくなるケースが多い。これがバリアフリーのマイナス面だ。

オリンピック開催計画によれば、東京のすべての駅にエレベーターやスロープ、障害者用トイレが設置されるというが、このマイナス面をよく考え、無意味なバリアフリーを作らないようにしたい。東京オリンピック開催の決定を契機に都市を計画するうえで忘れてはならないことだ。

最後に蛇足…。実は山を登っていてもどうしても体の機能は衰えてくる。老眼で近くのものが見にくくなったり、人の名前がすぐに思い出せなくなったりしてイライラする。若いときのように体が思うように動かずにいらだつ。そんなときは「年を重ねていくと、だれしも経験することだ」とあきらめて(?)決して焦らず、その状況を楽しむのもひとつの方法だと考えている。いかがだろうか。

(慶大綱町三田会・メッセージ@penから転載)

http://www.tsunamachimitakai.com/pen/index.html