STAP細胞騒動の教訓 疑うことを忘れるな


産経新聞論説委員 木村良一

 東京療院・医療シンポジウム

著者近影

大逆転した「STAP細胞」のニュースについては、報道に携わる者として反省しなければならない。はなから生命科学の常識を覆す大発見だと信じて疑わず、それを証明する論文の杜撰さを少しも見抜けなかったからだ。

私だけではなく、すべてのマスコミが疑いの目を持たなかった。どれだけ過信していたのか。「STAP細胞の作成に成功」との報道がされたときの新聞の社説と、論文に改竄や流用が見つかった後の社説を読み比べてみれば一目瞭然である。

1月31日付の朝日新聞の社説は「常識を突破する若い力」との見出しを立て、博士号をとってわずか3年で新しい万能細胞(STAP細胞)の作成に成功したという理化学研究所の30歳の小保方晴子氏を褒めたたえた。「化学畑の出身で、生物学の既成概念にとらわれず、自らの実験データを信じた」「強い信念と柔らかな発想に満ちた若い世代」。社説にはこんな称賛の言葉が並んだ。

その後の社説(3月15日付)では、論文を「常道を逸している」と批判し、「理研は日本を代表する研究機関である。この混乱を招いた事態について、誠実かつ早急に問題を解明する責任がある」と糾弾している。

こうした絶賛から酷評という逆転はどの新聞社の社説も同じだ。毎日新聞の見出しは「驚きの成果を育てよう」(1月31日付)から「全容解明し説明尽くせ」(3月15日付)に変わり、読売新聞も「理系女子の発想が常識覆した」(2月1日付)から「理研は疑問に正面から答えよ」(3月12日付)に変わった。

産経新聞の社説(主張)も「iPS(人工多能性幹細胞)、STAPと続けざまに画期的な成果を生んだことを日本の強みとし、激しい国際競争に勝ち抜いてもらいたい」(1月31日付)と日本の生命科学研究の将来を大きく期待した。しかし3月15日付では「理研は中間報告で、博士論文からの画像の流用や他の論文のコピーを認定し『(小保方論文について)論文としての体をなしていない』との認識を示した」としたうえで、理研に対し「批判(発表直後から相次いだ論文への疑義など)に真摯に向き合う意識が欠けていたのではないか」と厳しく批判している。

ところで私は201年11月号のメッセージ@penで「iPS大誤報はなぜ起きた」と題し、iPS細胞から作った心筋細胞を患者に移植したという虚偽の発表をめぐる誤報騒動を取り上げたことがある。

その誤報報道を振り返ると、最初に読売新聞が特ダネとして1面トップで伝え、それを共同通信が追いかけ、配信先の新聞社やテレビ局が報じた。虚偽が発覚したのは、ハーバード大とその関連のマサチューセッツ総合病院が「森口尚史氏の臨床研究を倫理委員会が承認した事実はないし、手術も行われていない」との声明を発表したのが、きっけだった。

ハーバード大などに裏付け取材をしていれば誤報は防げた。森口氏の出身の東京医科歯科大に確認していれば医師の国家資格がないことも分かる。森口氏のiPS細胞の作製については専門家が疑問視していたし、森口氏には他にも実態不明な研究が多かった。要は森口氏の言動はかなり怪しく、彼の虚偽を見破るのはちょっと気を付ければ通常の取材でできた。

だがSTAP細胞の場合は大きく違った。小保方論文は審査の厳しい英科学誌ネイチャーに掲載されたもので、しかも何度か突き返されて修正したうえでの掲載だった。主な共同執筆者は万能細胞の研究で有名な理研や米ハーバード大の研究者で、彼らが小保方氏を支えていた。理研本体も「動物発生の常識を覆す」と大宣伝していた。〝科学の権威〟が強力にバックアップしていた。

現時点ではどうか。理研が3月14日に中間発表で論文の改竄や流用を認めて謝罪し、STAP細胞の存在までがおかしくなっている。いまから思えば、インターネット上に当初から出ていた疑義にもっと耳を傾けるべきだった。祖母の割烹着を身につけて実験し、実験室の壁がピンク色に塗られてムーミンが描かれていることにも演出や広報戦略ではないかとの疑問を持ちたかった。最初の時点でマウスの細胞を弱い酸性液に漬けたり、細いガラス管を通したりする単純な刺激でES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞を越える万能細胞が作製できるのだろかと疑ってかかる必要もあった。

今回のSTAP細胞騒動…。ジャーナリストはニュースに敏感に反応しながらも常に疑いの目を持たなければならない、とあらためて肝に銘じさせられた。

それにしてもSTAP細胞は存在するのか。理研は「第三者による検証を待つしかない」としているが、時間がかかっても理研が実験を繰り返して再現し、その存在をはっきと示してほしい。

–以上−

本稿は「慶大綱町三田会のメッセージ@pen4月号」から転載

 

木村良一の略歴

1956(昭和31)年10月18日生まれ。慶應大学卒。慶大新聞研究所修了。2006(平成18)年4月から2008年3月、慶大非常勤講師。

1983年4月、産経新聞社入社。1998年2月、社会部次長。2005年7月から編集委員。2006年2月から論説委員。社会部記者が長く、警視庁、運輸省(当時)、国税庁、厚生省(同)などを担当した。その間リクルート事件、金丸脱税事件、大蔵省幹部の不祥事問題、薬害エイズ事件、脳死移植問題などを取材し、記事にしてきた。医療問題、経済事件、航空事故などが専門分野。

2002年7月に第21回ファルマシア医学記事賞、2006年9月に第25回ファイザー医学記事賞を受賞した。

著書に「移植医療を築いた二人の男 その光と影」(産経新聞社)、「SARS最前線」(扶桑社、共著)、「臓器漂流 移植医療の死角」(ポプラ社)、「パンデミック・フルー襲来」(扶桑社新書)がある。