救急隊の「蘇生中止」「搬送取り止め」を問う


2020-01-02 (令和2年)  木村良一(ジャーナリスト)

 

人の命を救うのが、救急隊の使命のはず

朝から寒気が日本列島を覆い、夜には北風が吹き出した。気温は零度近くなっていた。この寒さで高齢の男性が持病を悪化させ、風呂場で倒れて意識を失った。救急車が駆け付け、救急隊員が心臓マッサージを実施し、AED(自動体外式除細動器)を使って電気ショックを加える。心肺蘇生だ。その様子を見ていた男性の妻が「気が動転して救急車を呼んでしまいました。手当はもういりません。このまま死なせてやってくれませんか」と話し出した。

男性は「心臓が止まっても蘇生はしないで、自宅でゆっくり死なせてほしい」と妻に語していた。

救急隊員たちは困った。人の命を救うのが、救急隊の使命であり、仕事だからだ。消防法も救命を前提にしている。妻には「このままにはできません」と丁寧に説明し、男性を救急車で病院まで運んだ。

心臓と肺の機能を回復させる蘇生処置を家族が断る。実際、ここ数年こうしたケースが増え、全国の救急隊員が戸惑っている。

 

全国統一ルールがなく、半数以上の消防本部に具体策がない

蘇生の拒否の問題は、「自宅で最期を迎えたい」「延命は望まない」と家族に伝えていた終末期の患者や高齢者が心肺停止となり、動転した家族が119番して表面化する。

総務省消防庁が2017年までの全国の消防本部の統計をもとに調べたところ、家族などが心肺蘇生を拒否するケースは全国728の消防本部の85%に当たる616の消防本部で起きていた。2018年7月1日の時点で半数を超える消防本部が具体的な対策を取っていないとの実態も判明した。反対に蘇生拒否への対応方針を個別に定めている消防本部は、同時点で半数以下の332。うち201の消防本部が「心肺蘇生を拒否されても蘇生しながら搬送を行う」と回答し、100の消防本部は「かかりつけの医師の指示など一定条件で蘇生を中止する」と答えていた。

患者や家族の意思を受け入れるべきかどうか。救急の現場でこの難しい判断を迫られる各地の消防本部は、全国統一ルールを求めていた。だが、総務省消防庁は2019年8月、「実態の把握が不十分で、いまの段階での統一ルールの策定は困難」との報告書をまとめ上げた。

 

■東京消防庁は12月から新ルールで運用スタート

ところで東京消防庁が新ルールを策定し、2019年12月16日から救急隊が心肺蘇生と搬送を中止できる運用を開始した。これまで同庁は拒否されても蘇生と搬送を行っていた。同庁によると、2018年7月と8月の2カ月間に心肺蘇生を実施した救急搬送のうち、患者本人が蘇生を望まなかったケースは11件あった。

新ルールは患者の意思を尊重するもので、患者が次の5つの条件をすべて満たせば、蘇生を中止できる。その場合、病院には運ばず、患者の病状や意思を把握した家族とかかりつけの医師に引き渡し、医師が死亡確認を行う。

➀成人で心肺が停止➁蘇生を望まない意思がある➂死の避けらない終末期➃家族や医師とよく話し合っている➄想定された症状と合致する―。

しかしながら新ルールでの運用には問題があるように思えてならない。たとえば患者はその症状によって意思が変わる。そこを初対面の消防隊が把握できるかどうかは難しい。救急隊が駆け付けたのが真夜中だったとき、かかりつけ医とすぐに連絡が取れるとは限らない。救急現場の状況はそれぞれ異なり、複雑な環境下の患者もいる。蘇生の中止は人の命を奪うことにつながる。現場ごとに救急隊が問題なく判断できるのだろうか。こうした疑問は尽きない。

 

蘇生中止で救急隊の活動時間を短縮するのは本末転倒だ

問題を解決するために、東京消防庁は新ルールによって蘇生治療を中断した事例をひとつひとつ分析・検証して問題点を把握し、対応策を講じる必要がある。検証作業には医師や法律家、社会学者、倫理学者、宗教家それにマスコミ関係者ら外部の識者を交え、客観的な意見を広く求めることが重要だ。

新ルールによって救急隊員の仕事はより高度になり、負担は増す。救急隊員の研修を定期的に実施することが急務だ。生命倫理学分野の習得も欠かせない。そにもかかわらず、同庁は昨年11月27日に200人の救急隊長らを集めた講習会をわずかに1回、開いただけだ。今後も研修会や講習会を開催し、現場で起きる問題点を解決していく姿勢が求められる。

同庁によれば、都内では75歳以上の高齢者の搬送が急増し、救急車を呼ぶ件数がこの10年で15万件も増え、2018年は80万件を超えた。だからと言って新ルールに基づく蘇生中止によって救急隊員の活動時間を短縮し、救急隊の負担を軽減しようと考えているのであれば、本末転倒だ。人の命を守るのが救急隊の仕事の基本であり、蘇生中止はあくまでも例外だからだ。

 

■「終末期をどう生きるのか」をしっかり考えておくことこそが肝心だ

東京消防庁の新ルールはACP(アドバンス・ケア・プランニング)と呼ばれる考え方に基づいている。

2019年5月のメッセージ@penで「続・透析中止問題『福生病院』は心のケアを行っていたのか」との見出しを付け、透析を中止して患者を死亡させた公立福生病院(東京都福生市)の問題を取り上げ、その中でACPについてこう触れた。

「福生病院が透析を中止した背景にはACPという考え方があるのだろう。ACPとは人生の最終段階、つまり終末期において患者が望む医療を進めるプロセスを指し、厚生労働省が『人生会議』と呼んで広報している」

「福生病院は、国が推し進めるACPをどう理解していたのだろうか」

「終末期医療の在り方を医師のサイドから一方的に捉えていたのではないか」

福生病院がACPを正しく理解し、患者の意思をきちんと把握しなかったところに問題があると私は考えている。

ACPを過度に推し進め、終末期医療の在り方を見誤ると、延命治療を実施すること自体が悪者扱いされてしまう。最近そんな傾向がある。どこか振り子が振れ過ぎている気がしてならない。東京消防庁には気を付けてもらいたい。

肝心のことは、他者任せにせず、私たち自身が「終末期をどう生きるのか」をしっかり考えておくことである。

 

―以上―

 

※慶大旧新聞研究所(現メディアコム研究所)OBによるWebマガジン「メッセージ@pen」の2020年1月号(下記URL)から転載しました。

http://www.message-at-pen.com/?cat=16