岸田政権は「ホップ・ステップ・乱気流 」


2022-10-18 (令和4年) 鳥居徹夫 ( 元文部科学大臣秘書官 )

昨年10月4日に誕生した岸田文雄首相は、この10月で1年となる。

時事通信によると発足時に支持率は6割を超えていたが、1年後の今日27.4%と危険水域にある。

今夏まで支持率も6割をキープし、このまま行けば「選挙のない黄金の3年間」で順風満帆と思われたが、ここにきて支持率はマサカの3割割れ、危険水域に突入した。

 国内も世界にも存在感がない、生体反応なしの岸田政権は、内外とも諸課題山積の中でデッドロックに乗り上げている。

 このサバイバル戦術として、急遽浮上したのが、来年のG7広島サミットを成功させ、その勢いで解散総選挙を断行し、勝利して乗り切ろうという構想もあるが、起死回生策になるのか。

◆岸田政権誕生から1年   

ちょうど1年前、菅義偉首相が自民党総裁選挙へ不出馬を表明し、任期満了の自民党総裁選挙となった。

岸田文雄は、昨年9月の自民党総裁選挙に勝利し、首班指名で第100代首相となり、昨年10月31日投開票の総選挙で安定過半数の261議席を確保、今年7月の参議院選挙では、改選議席の過半数の63議席を獲得し、改憲4党で参議院の3分の2を占めた。

昨年10月の総選挙では、立憲民主党と共産党が、山口二郎(法政大学教授)らによる市民連合の仲立ちで「政権政策」に合意し、与野党逆転と政権獲得を目指したが両党とも議席を減らした。立憲民主党も共産党も比例代表で議席を失った。

敗北した立憲民主党は、枝野幸男が辞意を表明。新たに代表に選出された泉健太は今春に「共産党との関係は白紙」と表明したが、低落傾向に歯止めをかけられなかった。

そして今年7月の参議院選挙で立憲民主党は、比例代表で現状維持の7議席を維持したものの、選挙区では自民党の一人勝ちを許した。

◆任期了に近いで奮 

一方、岸田首相は、演説も単調で印象に残らない。ブレブレでグダグタの岸田政権だが、内閣支持率も自民党支持率も高いまま。

参議院選挙の自民党のスローガンは「決断と実行」であったが、日米関係も防衛も、エネルギーや物価対策も、コロナ対応や経済再生も、検討し先送りするだけ。

国民民主党の玉木雄一郎代表は、国会で「検討使」と揶揄していた。

 ところが岸田首相は、この衆参の選挙でイッキに2つの「ジンクス」を打ち破った。

一つ目のジンクスは、任期満了ないしは任期満了に近い総選挙は「追い込まれ解散総選挙となり与党が敗北する」というジンクス。

まずは、1977(昭和52)年の衆議院選挙で初の任期満了のときある。

三木武夫内閣の政局運営に自民党内が反発し、福田赳夫らが「挙党協」をつくり、いわゆる「三木おろし」を図ったが、三木武夫は粘り腰で解散を拒否。任期満了となり総選挙で自民党が大幅な議席減となり三木内閣は退陣した。

二例目は麻生太郎内閣のとき。麻生政権発足とともに解散を考えていたと言われるが、経済情勢は政権に不利な方向に働いた。

直後にリーマンショックが日本を直撃し不況に突入した。この時メディアは「派遣切り」や「年越し派遣村」などをセンセーションに取り上げた。しかも閣僚のスキャンダルもあった。

事実上の「追い込まれ解散」だった。任期満了を直前に控えた総選挙だったが、自民党は惨敗し政権交代、民主党が政権をとった。

2009(平成21)年に民主党政権が誕生したが、その民主党政権も長続きせず、野党自民党に「近いうち解散」を約束させられ惨敗。結果的に追い込まれ解散となり民主党は政権から転落、再度政権交代となり、いまの自民党政権となった。

そして岸田内閣も、国会日程に首班指名があったため、任期満了を越えた解散総選挙となったが、マスコミ予想に反し安定過半数を確保した。

実際、立憲民主党と共産党との共闘は脅威であり、自民党の過半数割れの報道もあった。立憲民主党の代表だった枝野幸男も政権獲得する確率は「大リーグの大谷翔平選手の打率程度」と胸を張っていたが、それ以上に自民党が危機感をもって、組織票を掘り起こした。「追い込まれた解散」ではなく、自公政権の生き残りを賭けた「攻めの選挙」になっていた。

岸田首相は、任期満了など「追い込まれ解散は与党が敗北」するというジンクスを打ち破ったのだ。

◆寅年の院選で勝利し、2つ目のジンクス破り 

もう一つは「寅年の参院選は与党が敗北する」というジンクスである。12年に一度の「寅年の参院選のジンクス」は、まさに何が起きても不思議ではない政局だが、それも高支持率の政権にマサカが起きた。

24年前の寅年は、「政界の玉三郎」と言われ人気絶頂の橋本龍太郎政権が、1998(平成10)年の参議院選挙でマサカの惨敗。参議院で与野党伯仲となり、橋本内閣は退陣となった。

消費税の税率を3%から5%に引き上げたのが橋本内閣であり、その影響を軽視していた。

また12年前の寅年、2010(平成22)年の参議院選挙では、菅直人政権が敗北した。選挙中に突如、「消費税率について自民党案(当時10%)を参考にしたい」と発言し、党内を混乱させた。その8ヵ月後に東日本大震災が起き、その対応のまずさに有権者の怒りを買い辞任を余儀なくされた。宿命的とも言える小沢一郎との党内抗争も激化し、その後の総選挙で民主党政権が崩壊。

そして今回も寅年。2022(令和4年)年の参議院選挙は岸田文雄政権であったが、野党がズッコケ。寅年のジンクスが打ち破れた。

安倍政権でも越えられなかった60議席を超えて大勝した。

参議院選挙前は、内閣支持率も自民党支持率も高く、楽観ムードが強かった。ところが岸田内閣自体、コロナ対応や経済再生をみても、成果らしい成果もない。一方で、岸田内閣の主要メンバーには、財務省の意に沿うメンバーが多いとの指摘も多い。国民生活の実態もわからず参議院選挙に突入することに、自民党内が危惧を抱いたことも大きかった。

たしかに岸田首相は、演説にアピール力がなく、選挙スローガンの「決断と実行」も言葉の遊びにも見えた。また岸田首相は高支持率に胡坐をかき、危機感が欠如しているとの指摘も強かった。

危機感を持つ与党幹部が「参議院選挙の寅年のジンクス」を、やたらと強調し、岸田首相も閣僚に失言しないように慎重な対応を求めた。

ところが野党がズッコケ。「寅年の参議院のジンクス」は杞憂だった。

閣改造を機に、支持不支持が逆 

岸田首相は、昨年の総選挙でホップ、今年の参議院選挙でステップし、「黄金の3年間」で財務省の財政緊縮路線と宏池会(岸田派)の強化拡大で「ジャンプ」と行きたいところだが、岸田首相は「動かざること山のごとし」で何も進まない。

岸田首相は、財務省の方ばかり向いていて、国民生活の向上に向けたリーダーシップを発揮しない。

そのくせ即断して総スカンだったのが、突如としての8月10日の内閣改造であり、官邸や自民党も「寝耳に水」であった。

「聞く耳」とは無縁の即断は、昨年の総選挙で落選した石原伸晃を、内閣官房参与に任命したときに猛反発を浴び、すぐに辞任となったケースもあり、お友達優先との批判も強かった。

内閣支持率の支持と不支持が逆転したのは、ちょうど8月10日の内閣改造のタイミングであり、その後は支持率が下がる一方。支持率は、急流下りで上がることがない。

この1年間、世界も日本も大きく様変わりした。ロシアによるウクライナ侵略は、半年にも及び依然として収束の兆しを見せないし、世界経済と安全保障に暗雲を漂わせている。

戦場になったウクライナは世界の穀倉地帯でもある。いまエネルギー価格と食料・穀物価格が上昇している。しかも経済状況は、依然としてデフレ状況を脱却していない。

小麦や農産物、家畜飼料などの原材料高とエネルギー価格急騰などで、日本企業は苦しめられているが、それを製品価格に転嫁できない。転嫁できても少しだけだ。その理由はデフレで個人所得が停滞し、消費需要が減退しているからだ。

原材料高が製品価格に少ししか転嫁できないとなると、労働コストの抑制となり個人消費が伸びない。個人消費が伸びないから、製品価格が切り詰められ、企業収益は伸びない。いま日本経済は、この悪循環のサイクルに陥っている。

岸田内閣は、大平正芳首相(故人、宏池会)もビックリの鈍牛で、「トゥーレイト」「トゥースモール」で、動きが鈍く手遅れで効果的な施策を提起しないし実行もしない。

自民党内に岩盤支持層がない岸田首相は、党内のリーダーシップを発揮できず、求心力も低下の一方。

内閣支持率は低下の一方だが、野党の支持率も一ケタ台であり、政権を揺るがすパワーはない。岸田首相にとっては、自民党内が「安心して乱れる」事態も予想され、政局の混乱につながりかねない。

そこで岸田内閣の起死回生策として、解散総選挙の選択が想定される。

それには岸田首相自身が、来年(2023年)5月末に、首相の地元広島で開催されるG7サミットで世界の耳目を集めた後に、政権浮揚で解散総選挙に出ようという戦略である。

さて選挙勝利をバネにすれば岸田首相の党内の求心力が回復し、長期政権の展望が開けると見るのか。

◆岸田首相は、次なるジンクス破りに挑するのか 

この1年間は、国政選挙が衆参で行われた激動の年となった。そして岸田首相は、2つのジンクスを崩した。

次なるジンクスは、「統一地方選挙の後の国政選挙で与党は敗北」というものであり、内閣支持率と自民党支持率を合計した「青木率」が5割を超えれば、政権は安定というジンクスである。

広島サミットが行われる5月末は、ちょうど4年に一度の統一地方選挙の行われた直後である。

これまでにも統一地方選挙のあった年に、国政選挙があったが、与党は軒なみ議席を減らしている。

それは地方議員が、自分の選挙に集中して、国政選挙に力が入らないからであり、有権者も選挙疲れが投票率も低くなる。とくに12年に一度の参議院選挙と統一地方選挙が重なる年は、与党の苦戦が顕著であった。1995年の「自社さ政権」の参議院選挙で社会党が惨敗、2007年の参議院選挙は第一次安倍政権で与野党逆転、2019年の参議院選挙も第2次安倍政権で苦戦した。

それゆえ与党としては、統一地方選挙の直前に総選挙を断行するケースが多い。それは地方議員や候補者が、自分の選挙運動と連動して活発に動くからである。

来年4月は統一地方選挙であり、5月にG7サミットである。

岸田首相は、どう動くか。3度目のジンクス破りに挑戦するのか、それとも自民党内が乱れたまま、衆議院議員の任期までズルズルいくのか、岸田首相の唱える「決断と実行」があるのかどうかが注目される。(敬称略)

ー以上ー