都政運営は山下清の絵そっくり。2年が経過した小池知事


2018-08-11(平成30年) 元・文部科学大臣秘書官 鳥居徹夫

 

小池百合子さんが都知事に選出されて2年が経過した。

2106年夏に小池都知事が就任して最初に手がけたのは、舛添要一前知事がすすめていた韓国学校の用地貸与計画を白紙としたことであった。

これは新宿区矢来町にあった旧都立「市ケ谷商業高校」の跡地を、待機児童の多い新宿区が保育所の敷地に求めた要望を、こともあろうに舛添前知事が拒絶し韓国学校増設の用地としようとした。

また小池知事は、舛添前知事が進めていたオリパラのボランティア制服が、韓国王宮守衛の衣装と類似していたことから、その制服を廃止した。

さらに、東京都内で朝鮮学校11校を運営する東京朝鮮学園の教育環境や経営状況を調査した報告書を、都のホームページに再掲載させたのが小池都知事。

この報告書は、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)と朝鮮学校の「緊密で不可分な」関係を提示していたが、いつの間にか都のホームページから削除されていたという。

昨年の総選挙で、民進党は候補者を擁立せず、小池知事が立ち上げた希望の党に公認を申請することを全会一致で決定した。

ところが枝野幸男などが立憲民主党を立ち上げ、民進党は、「小池にはまってさあ大変」「枝野が出てきて枝分かれ」となった。

共産党を含む野党共闘を空中分解させ、民進党が枝分かれさせたのは、小池百合子知事の総選挙対応による。

さらに1017年に小池知事は、都立横網町公園(墨田区)で9月1日に営まれる関東大震災犠牲者追悼式典への追悼文を断った。そして今年も断った。当然のことである。

この式典の事務局は日朝協会で、6000余名も朝鮮人が虐殺されたという虚偽宣伝がはびこっていた。

これらは都議会自民党・自民党東京都連が手をつけられなかった。

それは朝鮮半島と関係の深い自民党議員が少なからず存在したからと言われる。

東京の自民党は、無思想無節操で古手のボスが支配し私物化してきた。そして若手が育つ芽を摘みとってきた。

ところが昨年の都議選において、自民党の古手のボスとそれに追従した都議たちが、枕を並べて落選し都議会から追放された。

2年前の都知事選で、都民が小池百合子候補(当時)に期待したのは、都庁ボスと都議会自民党のボス支配によるブラックボックスの徹底究明と透明化であった。自民党東京都連の権威主義と、都議会自民党の旧態依然たる体質、さらには東京都庁の公費天国、役人天国に大ナタを奮うことであった。

小池都政は、2年前のスタートから混迷したかのように見えた。

築地移転問題は、ちょっと立ち止まるハズが2年以上遅れたし、オリンピックの施設建設・運営などで迷走したかに見えた。

しかも都議会自民党と対決関係も加わったが、何とか乗り越えた。

小池都政のこれからは、ちょうど山下清画伯と同じで、作成時点はバラバラで支離滅裂であっても、仕上がりは立派な絵に完成されるのではないか。

(敬称略)