生命および幸福追求権は国民の権利、外交や防衛、国内諸制度も適正な憲法に‼


2021年5月11日(令和3年)

元 文部科学大臣秘書官  鳥居徹夫

◆「絶滅危惧種」となった「憲法9条をノーベル賞」運動 

今年令和3(2021)年の憲法記念日には、政党討論がNHKで放送されなかった。今年はタレントなどを登場させて、差別とか偏見や、感染の問題に矮小化し、平和と安全保障、中国の覇権の脅威に対する対応の討論すらなかった。

5月3日の憲法記念日に報道各社が世論調査を発表した。そこでは憲法改正を必要(賛成)とする人が、各社とも上回った。

憲法改正について各社の調査結果は以下の通り。

共同通信 必要66% 不要30%

読売新聞 必要56% 不要40%

毎日新聞 賛成48% 反対31%

朝日新聞 必要45% 不要44%

NHK  必要33% 不要20%

昨年までは「憲法9条をノーベル賞に」という宗教がかった運動がマスコミを賑わした。あのNHKや民放でも大々的に取り上げた「(武装放棄をせまる)憲法9条をノーベル賞に」という運動があった。ところが今年には、その生体反応すらなかった。絶滅危惧種どころか「希少価値の天然記念物」にもならなかった。つまり雲散霧消した。

日本国民の意識が成熟化し、現行憲法とりわけ第9条が、非現実的で削除とか改正すべきとの世論が逆転した。昨年の令和2(2020)年は、習近平の中華帝国が狂暴化し、香港の民主化運動を弾圧した。

共産中国は、新疆ウイグルだけではなく、チベットや南モンゴルでも、大陸中国は民族浄化政策をとっている。南モンゴルでは自国語の使用を禁止し、北京語の使用を強要した。

香港がイギリスから返還したときに、共産中国は50年間の「一国二制度」を約束した。ところが何と23年間で崩壊した。大陸中国は約束を平気で破っていた。

これが欧米に与えた影響が強い。EC諸国は、むしろ共産中国に好意的であったが、香港弾圧を機に大きく変わった。共産中国の専制主義がモンスター化した。

かつて共産中国は南シナ海を一方的に大陸中国の領海と宣言した。国際司法裁判所では、共産中国を国際海洋法条約に違反しているとした。

満潮時に海面に隠れる岩礁を埋め立てて、中国の領土と主張し既得権化している。共産中国には正義すらない。要するに共産中国は約束を守ろうという意思がない。それが隣国として存在する。

4月に菅・バンデン会談が行われた。日米会談では、狂暴化する習近平に結束して対応しようという意図を鮮明にした。

日米会談では、共産中国による人権抑圧に対し「深刻な懸念を共有する」と強調した。そして日米両国は自由、民主主義、人権、法の支配などの普遍的価値を共有する同盟国であることを鮮明にした。

日本においても、もはや「有害な9条信仰」や「左翼勢力による歪んだ憲法解釈」のマヤカシが、国民世論に排除されたということであろう。

日本の平和を守っているのは憲法第9条ではなく、自衛隊と日米安保条約に基づく米軍の抑止力なのである。

◆国民投票法が衆議院で可決、参議院に送付、成立へ 

このような中、憲法改正の手続きに関する国民投票法改正案が5月11日に衆議院本会議で可決され参議院に送付された。今国会の会期中(6月16日まで)に成立する見通しである。

改正案の内容は、①個人情報の保護、②駅構内やショッピングセンターでの共通投票所の設置、③災害や悪天候などを理由とする期日前投票の弾力的運用、④洋上投票の拡大、など7項目で、すでに現行の公職選挙法にあわせたものであった。

これらはすでに自民党や公明党、日本維新の会が平成30(2018)年に国民投票法改正案をまとめ国会提出されてから9国会目、3年近くなる。

これは平成28(2016)年の公職選挙法改正の内容に沿った制度上の整備にすぎなかった。本来ならば、先の公職選挙法の改正時に、国民投票法もあわせて改正すべきであった。

憲法改正は最終的には国民の判断でありであり、国民に選択肢を提示する義務が国会の諸政党にある。言うまでもなく立憲民主党などが、憲法調査会は開催さえ認めないとか採決をさせないなどとか審議拒否をはかるのは民主主義に反する。

衆議院可決時の法案付則には、国民投票に関わるCM規制やインターネット広告、運動資金規制について「検討を加え、施行後3年をめどに法制上の措置、その他の措置を講じる」とある。憲法審査会の審議を遅らせてきた立憲民主党などが、国民投票法改正案の付則を盾に実質的な改憲論議を妨げようとする策動を許してはならない。すでに立憲民主党の議員からは、付則の内容が憲法改正の発議の前提などと、可決前の議論を覆すような発言もあり、審議妨害の動きを見せた。立憲民主党や共産党などには、立憲主義も民主主義もない。

ところが憲法改正論議が進み国民投票が迫ると、立憲民主党などは国民投票法の改正に審議妨害していたとしても、その改正案賛成に審議対応を変えざるを得ない。

すでに自民党は、平成30(2018)年3月に、①自衛隊の明記、②国家緊急事態対処条項の新設、③参議院の合区解消と地方公共団体の再編、④教育環境の整備、などの「たたき台素案」を発表している。

4月の日米会談では、台湾海峡の平和と安定を重視する。中国の国際法無視、人権弾圧、このようなことは受け入れられない。わが国は主権の問題については譲歩することはないことで一致した。

◆軍事を正面から論ぜよ。抑止力こそ安全保障の基本

第2次大戦後の東西冷戦から、その終結とソ連の崩壊まで、日本では長期間にわたり「平和と民主主義」が、呪文のように唱えられてきた。ところが「平和」とは何であるかについて、単に戦火が及ばないかのような単細胞的な思考が、当時から今日にいたるまで国民風潮を支配していた。

日本の義務教育では、抑止力や同盟といった、安全保障の初歩的知識さえ教えていない。軍事を正面から論ずることを忌避する風潮が蔓延している。

日本国憲法は、自衛権の行使を否定していない。個別的であれ集団的であれ自衛権の行使は、憲法解釈上の問題ではなくて、政策判断上の問題である。

外交とは、血を流さない戦争であり、パワー・軍事力なしでは相手から譲歩を引き出せないことは、「世界の常識、日本の非常識」である。

昭和48(1973)年にノーベル平和賞を受賞したヘンリー・キッシンジャーは、その著『ホワイトハウス・イヤーズ』(邦訳で『キッシンジャー秘録』全5巻、小学館刊)で、次にように指摘する。

「弱ければ必ず侵略を誘い、無力であれば、結局は自国の政策を放棄させられる」

「力がなければ、もっと崇高な目的でさえ、他国の独善行為によって、押しつぶされてしまう危険があることは、事実なのである」

同著は「外交技術というものは、軍事力を補強することができても、軍事力の身代わりをつとめることは決してできなかった」「実際には、力の均衡こそが、平和の前提条件をなしていたのである」とも指摘した。(いずれも『キッシンジャー秘録』第1巻257ページ)

これは、国際的に不法行為であることにもかかわらず、南シナ海を実効支配している共産中国の覇権主義・帝国主義をみても明らかである。

外交に正義や道理は、全く無力なのである。つまりパワー・軍事力なしでは相手から譲歩を引き出せない。

つまり「歴史を通じて、国家の政治的影響力の大小は、およそ、その国の軍事力の程度に比例してきた」(同著)ことは、国際社会の「暴力の海」において否定しようがないのである。

外交とは、クラウゼヴィッツの言葉を借りるまでもなく、血を流さない戦争である。

国の大切な役割として防衛がある。防衛力の活用は平和と安全の維持のために常時活用できる体制の構築が必要とされる。

仲間の国がスクラムを組んで、国民の生命と領土・国民の財産を守り合う。これが世界の常識である。

◆生命・自由及び幸福追求権は国民の権利。立法その他の国政の上で最大の尊重が必要

左翼勢力や一部野党は、憲法改正を主張する勢力が、悪魔か天敵のように映るようである。

憲法に、基本的人権の尊重が謳われているにもかかわらず、左翼勢力は目の色をかえて憎悪感情をむき出しにする。

日本の国を守ることや自衛権の発動について、憲法上は全く問題がない。にもかかわらず歪んだ解釈を絶叫しているのが左翼勢力である。

制服自衛官にもその家族に対しても、いじめの標的とすることに快感を覚えるのではないだろうか。

また学校という閉鎖社会では、左翼教師が自衛隊は憲法違反と一方的な解釈を展開し、自衛隊員の子どもたちに肩身の狭い思いをさせている。

これは、言うまでもなく人権侵害なのである。日本には、憲法学者と自称する人たちがいるが、その多くが自衛隊違憲論をわめきたて、自衛官と自衛隊へのヘイトスピーチを繰り返している。

自分たちと考えが異なる他者にも当然、人権があることが理解できないのが左翼運動家たちである。彼らからは逆に差別・排除意識が感じられる。

自衛隊をはじめ、警察官・消防士・海上保安官などは日夜任務に励んでいる。

「国民の生命、自由及び幸福追求」のため日夜頑張っている自衛隊と自衛隊員に、憲法上に市民権を与え、誇りをもって国民の負担に応えることは、独立国日本として当然である。

憲法13条は「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」としている。

当然のこととして、国民の生命、自由、安全などは、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」のであるから、現行の昭和憲法の第9条2項についても、その趣旨を踏まえ、自衛権が前提である。

国連憲章51条は、このような集団的自衛権を個別的自衛権とともに、加盟各国が有する「固有の権利」であると定めている。

憲法のタテツケを私(鳥居)なりに整理すると、まず「皇室など国のかたち」を示し、次に昭和憲法でいう第13条に相当する条項・条文、それを受けて「最大の尊重を必要とする」防衛と外交の基本条項(自衛隊の市民権獲得と、侵略戦争の禁止など改正第9条を含む)、そのあとに国内諸制度(含む法の支配、人権・民主主義)という順番とすべきと認識する。

繰り返すが、自衛隊と自衛隊員に、憲法上に市民権を与え、誇りをもって国民の負担に応えることは、独立国日本として当然である。まさしく憲法改正こそが、国民の責務といえよう。