ミャンマーに民主主義を取り戻し、中国・習近平政権の覇権主義を封じ込めろ


2021-09-06(令和3年) 木村良一(ジャナーリスト、元産経新聞論説委員)

■これまでに1000人以上もの市民が虐殺された

旧ビルマのミャンマーで軍事クーデターが起きてから7カ月が経過した。2月1日、ミャンマー国軍はクーデターによって全権を掌握し、国営テレビを通じて非常事態宣言を発令するとともに、民主化を進めてきたアウン・サン・スー・チー氏(76)ら国民民主連盟(NLD)幹部の身柄を拘束した。スー・チー氏は国軍がでっち上げた複数の罪で裁判にかけられている。

ミャンマーの市民は国軍に反発してデモを繰り返したが、実弾を使った武力弾圧を受け、現地の人権団体・政治犯支援協会によると、これまでに1000人を超える市民が虐殺され、いまも5700人以上が身柄を拘束されている。

ミャンマー国軍は8月1日、意思決定機関の国家統治評議会(SAC)が暫定政府を発足させ、SAC議長で国軍最高司令官のミン・アウン・フライン氏(65)を暫定政府の首相に就任させた。クーデターから半年の節目に国軍トップが首相の座に就くことで、独裁体制の強化が図られた。

まさに軍部による恐怖政治だが、取材を進めると、その背景には中国・習近平(シー・チンピン)政権とミャンマー国軍との緊密な関係や、習近平政権の狡猾な動きが透けて見えてくる。

前回の8月号では台湾に対する軍事的威圧、香港の民主派一掃、東・南シナ海での軍事進出、尖閣諸島周辺海域への侵入、新疆ウイグル地区の集団殺害などを取り上げ、中国の覇権主義や戦狼外交を批判した。今回も習近平政権を糾弾する。

軍事政権と民主化運動を繰り返してきた国だ 

 ミャンマー国軍は昨年11月の総選挙で、スー・チー氏率いる国民民主連盟に惨敗したことからクーデターを起こしたといわれるが、その辺りの事情を掘り下げるためにミャンマーの歴史を簡単にのぞいてみよう。

映画にもなった小説『ビルマの竪琴』で分かるようにミャンマーは日本との関係が深い。太平洋戦争中、日本軍がイギリスから独立を目指すアウン・サン氏らビルマ独立義勇軍とともにイギリス軍と戦ってビルマを攻略した。しかし、日本軍による軍政が敷かれ、ビルマの独立は実現しなかった。

そこでアウン・サン氏らはイギリス軍に協力を求めて日本軍と戦い、1948年に独立を果たす。独立後、アウン・サン氏は「建国の父」として国民に尊敬されたが、暗殺されてしまう。このアウン・サン氏がスー・チー氏の父親である。

独立後もビルマは国内での民族対立や中国やカンボジア、ベトナムの共産主義の影響を受け、政権が安定しなかった。1962年には軍事クーデターによって軍事政権が誕生する。この軍事政権に対し、1988年に民主化運動が巻き起こり、スー・チー氏が運動のシンボル的存在となる。国名がビルマからミャンマーに変わったのは、その翌年の1989年だった。

民主化運動は軍事政権を倒したものの、再び軍事クーデターが起こり、軍事政権は国民民主連盟を組織していたスー・チー氏を拘束し、それ以来スー・チー氏は20年以上も断続的に軟禁された。

ミャンマーという国は軍事政権とこれに反発する民主化運動を繰り返してきた国なのである。

■習近平政権はミャンマー国軍に肩入れする

スー・チー氏率いるNLDの国民民主連盟が2015年の総選挙で勝って政権を掌握すると、ミャンマー国軍は次第に民主化を認めるようになる。しかし、前述したように昨年11月の総選挙でNLDが再び圧勝すると、国軍は勢力を巻き返そうと、今年2月1に軍事クーデターを起こして政権を奪取し、現在に至っている。

なぜ、一度は民主化を認める方向に傾いた国軍が民主化を否定するクーデターに走ったのか。そこには中国・習近平政権の国軍への肩入れがあるように思えてならない。

これまで中国は生活物資と対艦ミサイルや戦闘機などの兵器の多くをミャンマーに輸出してきた。昨年1月には、国家主席の習近平氏自身が19年ぶりにミャンマーを公式訪問し、経済協力とともに運命共同体の構築を約束し合った。両国はそれだけ密接な関係にある。

だが、ミャンマーは一党独裁体制の中国とは相反するスー・チー氏の国民民主連盟が実権を握る可能性が濃厚だった。ミャンマーには軍事政権と民主化運動とが対立を繰り返してきた歴史がある。中国は国軍が勢力を再び盛り返すことを期待し、チャンスを伺っていた節がある。ミャンマー国軍のクーデターが習近平政権に支えられていた可能性も考えられる。

その証拠にクーデター直後、アメリカのバイデン政権をはじめとする欧米の民主主義国家が国軍に強く抗議すると、中国はロシアとともに軍事クーデターを批判せずに「内政問題だ」として不干渉の立場を取った。憶測ではあるが、習近平政権とミャンマー国軍の間で話ができていたのかもしれない。

■中国のエネルギー供給の大きなカギを握る

中国が関係をより密接にしようとするほど、ミャンマーは中国にとって重要な国なのである。なぜミャンマーは重要な国なのか。

ミャンマーは地理的に中国の雲南省などに接し、中国側から見ると、インドシナ半島を経由してインド洋に出るルート上に位置している。逆にインド洋から中国に入るルートにもなる。中国は有事の際、マレー半島とスマトラ島の間にある太平洋とインド洋を結ぶ、マラッカ海峡をアメリカに封鎖されるのを恐れてきた。その恐れを解決してくれるのが、ミャンマーなのだ。ミャンマールートを使えば、マラッカ海峡を通らずに中東からの原油や天然ガスを輸送することができる。

このため中国は軍事政権時代の1980年代から原油・天然ガスのパイプラインの建設を精力的に押し進め、ミャンマー西部から中国の雲南省まで原油を送り込むパイプラインと、ミャンマー沿海で採掘された天然ガスを送るパイプラインとを完備させ、数年前から本格的な輸送をスタートしている。

ミャンマーは中国にとって欠かせないエネルギー供給の大きなカギを握る。そのミャンマールートは、アジアからヨーロッパとアフリカにまたがる巨大経済圏構想「一帯一路」の中で最も成功した例だといわれる。

しかし、これ以上ミャンマーを中国の思い通りにさせてはならない。中国の覇権主義には目に余るものがある。日本と欧米など民主主義を重んじる国々は、ミャンマー国軍による独裁政権を厳しく批判し、再びミャンマーに民主化の光りが灯るよう強く働きかけるべきである。そうした国際社会の行動こそが、中国を牽制し、その動きを封じ込められる。

―以上―

※慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の9月号(下記URL)から転載しました。

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