2026-11-2(令和8年)木村 良一(ジャーナリスト・作家、元産経新聞論説委員)
■極めて異例な拘束・逮捕
ロシアの情報機関「連邦保安局(FSB)」が10月13日、極東サハリンに駐在する北海道新聞の日本人男性記者をスパイ容疑で拘束したことを明らかにした。民間のインターファクス通信が伝えた。記者の名前など詳細は明らかにされていない。FSBは旧ソ連KGB(国家保安委員会)の後身で、KGBの国内治安・防諜機能を引き継いでいる。プーチン大統領はKGBの出身、FSBの長官も務めていた。
記者はホテルでいきなり黒装束の男たちに押さえ込まれ、手錠をはめられてモスクワに移送され、逮捕された。翌14日にロシアから日本に帰国する予定だった。FSBが身柄拘束時の動画を提供し、それをロシアの国営放送が流した。拘束・逮捕を正当化する用意周到な工作で、外国の記者をスパイに仕立て上げる演出である。
これまで日本人記者がロシアで一時的に拘束され、国外退去となったことはあるが、今回のような拘束は極めて異例だ。国際社会のルール上、決して許されない。ロシアの裁判所は12月12日まで2カ月の勾留を認めた。今後の司法手続きが長引く可能性があるうえ、ロシア刑法のスパイ罪で有罪となると、最長20年の自由剥奪(はくだつ)刑が科される。記者の生命に危険が及ぶ恐れがある。
FSB側は「記者が、ウクライナに対する軍事作戦にクリル諸島(北方領土と千島列島のロシア側の呼称)から動員された人数を調べていた。この情報収集は日本の諜報機関の指示によるものだ」と主張している。
■プーチン大統領の命令
2022年2月24日、ロシアがウクライナへ全面侵攻を開始し、日本は欧米とともにロシアに制裁を科した。これにロシアは反発し、日露関係は険悪化した。今年8月にはプーチン大統領が北方領土の択捉島に初めて上陸し、日本の主権をあからさまに侵害し、日本への圧力を強めた。今回のFSBによる日本人記者の身柄拘束・逮捕はこれに続くもので、日本の報道機関を狙って威圧をさらに強めた格好だ。FSBのトップを務めたプーチン大統領の指図とみて間違いない。ロシアは「日本の対露制裁が両国関係を悪化させた」と強調している。記者の拘束・逮捕を取引材料として、記者を解放する代わりに制裁の解除や緩和を求めてくる可能性がある。
全面侵攻直後の2022年3月には、ウクライナでの軍事行動を「戦争」「侵攻」「侵略」などと表現する報道を「虚偽」とみなし、最長15年の自由剥奪刑を科す法律を施行した。この法律はロシア国内の海外メディアにも適用されるため、海外メディアの特派員は身の安全を確保しながら慎重に取材を続けている。
ロシアは報道の萎縮を狙っているわけだが、これまでにも暴挙が繰り返されてきた。たとえば、2019年12月25日にはウラジオストクで共同通信の記者が拘束され、5時間後に解放されて翌日出国した。2023年3月にはアメリカのウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者が拘束され、翌年7月にスパイ罪で懲役16年の判決を受け、翌月、身柄交換で米国に帰国した。昨年末には日本メディアに協力するハバロフスク在住のロシア人男性が国家反逆容疑で拘束され、消息不明のままだ。
■安田純平さんの拘束
日本人記者の拘束として思い出すのが、フリージャーナリストの安田純平さん(52)のケースである。安田さんは内戦下のシリアで武装集団によって身柄を拘束され、2018年10月、3年4カ月ぶりに解放された。解放当時44歳だった。解放から10日後の11月2日、日本記者クラブ(東京・内幸町)で記者会見が行われ、私も駆けつけたが、会見場には400人近い大勢の報道陣が詰めかけた。
安田さんは過激派組織のイスラム国(IS)と対立する反体制組織が統治するシリアのイドリブで取材しようと考え、2015年6月22日の深夜にトルコからシリアに入った。だが、途中でガイドとはぐれ、スパイ容疑をかけられて拘束された。初めはゲスト扱いでテレビも見ることができた。しかし、拘束1カ月後に「日本政府に金を要求する。お前は人質だ」と告げられた。アパートの地下室、戸建ての民家、収容施設など10カ所で拘束され続け、ときには幅1メートル、奥行き2メートルの独房に入れられ、身動きや音を立てることを禁じられ、寝返りすることも許されなかった。
会見で安田さんはこう述べている。
「本当に気が狂いそうでした」
「身動きを禁止されたころから奥歯に激痛が走るようになったと思ったら、割れていた。無意識に歯を食いしばっていたのかもしれません」
「帰国後、病院で検査を受けたら胃と十二指腸に潰瘍もできていました」
■「あきらめたら試合終了」
3年4カ月という長い拘束だ。安田さんのようにいつ解放されるか分からない状況下で、耐えがたい肉体的かつ精神的な苦痛を受け続けたとしたら自殺するか、発狂するかだろう。彼の精神力の強さに感心させられる。
記者会見は質疑応答を含めて2時間40分行われた。会見の最後に安田さんが日本記者クラブのサイン帳に記帳した「あきらめたら試合終了」という言葉が紹介された。その言葉が印象的だった。
この言葉について安田さんは「何度も絶望して拘束された部屋の壁を蹴って『もう駄目だ。殺してくれ』と叫んだこともあったが、希望は最後まで捨てなかった。あきらめたら、精神的にも肉体的にも弱くなってしまう。いつかは帰れるとずっと考え続けた」と語っていた。
ロシア連邦保安局(FSB)に拘束・逮捕された北海道新聞の記者もまた、過酷な状況に置かれているに違いない。
前述したロシアで拘束された経験を持つウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者はNHKの取材に応じ、北海道新聞の記者が収容されているとされる拘置施設に自分もいたことを明らかにしたうえで、「精神的に厳しく、隔離された場所だった。狭い部屋に収容され、部屋の中は6、7歩しか歩けない狭さだった。1日のうち23時間はそこで過ごし、1時間は拘置施設の屋上を歩くことができた」と過酷な経験を語り、解放については「ロシアは見返りを得るまで彼をロシアにとどめておくだろう」と話していた。(10月16日放送)
■尊重すべき報道の自由
高市早苗首相は10月15日、首相官邸で記者団の質問に答え、「邦人の保護がとても大事だ。そこに注力したい。(日本政府としてロシアでスパイ活動を行っているような)事実はない。外務省が記者との面会も含めてロシア側に申し入れている。(日本とロシアで)国内法も違い、容疑の詳細も分からないが、日本の立場をしっかりと伝えていく」と北海道新聞の記者の早期解放と安全確保を最優先課題とする考えを示した。当然である。
北海道新聞は10月16日付けの朝刊で、編集局長名で談話を出した。
〈北海道新聞は、政府から独立した報道機関です。政府の指示に基づいて取材や情報収集を行うことはありません〉
〈記者はロシアの記者査証(ビザ)を取得して活動しており、報道の自由と取材活動は尊重されるべきです。具体的な拘束理由などが説明されないまま、記者を拘束した際の映像が広く公開されたことも、認めることはできません〉
〈私たちは今、記者の安全確保を最優先に考え、対応しています。外交ルートを通じて事実関係の確認と情報収集を急いでおり、早期の解放に向けて、万全を期して取り組んでいきます〉
ロシアの暴挙によって報道の自由が損なわれようとしている。いまこそ世界のメディアがひとつになってロシアの理不尽な行動を強く批判すべきだ。収容経験があるウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者は「拘置施設に届いた手紙を読むことが大きな助けになった。友人や職場、家族からの大きな支援があり、自分は1人ではないと実感できた」とも語っていたが、同僚の書いた記事や肉親の声が拘束・逮捕された記者に少しでも届けば、大きな支えとなり、あきらめずに耐え抜く力となるはずだ。

筆者AIにより作成
ー以上ー
◎慶大旧新聞研究所OB会によるWebマガジン「メッセージ@pen」の2026年11月号(下記URL)から転載しました。メッセージ@penには慶大HPからも入れます。